15.第3話③ 無職探偵と解けないはずの石化
旧治療区画から戻るなり、ヴェロニカは監査用の帳簿を集めさせた。
「隠した人を探すんじゃなかったの?」
「だから帳簿を見るのよ。人は口より先に紙で嘘をつくことがあるわ」
「紙は自分で嘘つかないけどね」
「書いた人間の責任よ」
監査用にまとめられていた記録は、ヴァレリヤンが仕事部屋にしていた治療室へ運ばれた。飼育記録、採涙記録、薬品台帳、備品の出納簿。机だけでは足りず、窓際の椅子まで紙で埋まる。
スヴャトスラフが一冊持ち上げた。
「全部見る気か」
「全部は見ないわ。見た人があそこで石になってるもの」
「原因は帳簿じゃない」
「知ってるわ。効率の話よ」
そう言って、私へ一冊渡してくる。
「ナターリヤは数字」
「効率って、人に渡すことなんだ」
「適材適所よ」
「私、武具鑑定士なんだけど」
「数字は読めるでしょう」
否定できないところだけ選んでくる。
最初に引っかかったのは、グルーシャの飼育記録だった。
餌を食べた。歩行に異常なし。採涙可能。体調は安定。
似た言葉が何日も並び、月が変わってもほとんど変わらない。
今朝見たグルーシャを思い出す。白く濁った片目、引きずる左脚。二口食べれば「食べた方」だと言ったミロスラヴァ。
「安定してたようには見えなかったけど」
ページを差し出すと、ヴェロニカは前後をまとめてめくった。
「半年くらい前から同じね」
ミロスラヴァは呼ばれると、死んだグルーシャのそばからそのまま来た。椅子には座らず、机の向こうに立つ。
「この半年、毎日ほとんど同じことが書いてある」
「毎日見ていましたから」
「餌を食べた」
「食べました」
「昨日は二口だった」
「昨日のグルーシャなら、食べた方です」
迷いがない。
「歩行に異常なし」
「歩けていました」
「左脚を引きずっていたでしょう」
「それでも自分で獣舎からここまで来ました」
記録から顔を上げたヴェロニカが、しばらくミロスラヴァを見る。
「あなたの『異常なし』は、普通のコカトリスと比べて?」
「いつものグルーシャと比べてです」
そこだった。
スヴャトスラフが腕を組む。
「王立施設の記録は、そういう書き方をするものではない」
「知っています」
「では虚偽記載だ」
「はい」
あまりに素直で、言った本人の方が一瞬黙った。
「理由は?」
ミロスラヴァの視線が、開いた帳簿へ落ちる。
「基準を下回れば、処分の検討に入ります」
「処分って」
「飼育を終えるという意味です」
答えたのはクセニヤだった。
ミロスラヴァは訂正しない。
「グルーシャは二十二年ここにいました。目が悪くなっても、脚を引きずっても、朝になれば起きたんです。私を見れば嘴を鳴らしたし、機嫌が悪ければ噛みました」
「噛むのは元気の基準なの?」
「グルーシャなら」
「なるほど」
「納得するんだ」
「彼女の基準は分かったわ」
正しいとは言っていない。
「つまり、『食べた』『歩けた』だけを書いたのね」
「はい」
「二口しか食べなくても、左脚を引きずっていても」
「食べましたし、歩きました」
「悪くなっていることは書かなかった」
「書けば、処分の基準に入ります」
ヴェロニカが眉を寄せる。
「それを普通は、よく見せたと言うのよ」
「はい」
スヴャトスラフが記録を閉じる。
「これは別件として預かる」
「分かっています」
「後悔は?」
少し考えたあと、ミロスラヴァは首を振った。
「同じ状態なら、また同じことを書きます」
治療室の向こうでは、ヴァレリヤンがまだ石になり続けている。
「でも、あの人を石にしたのはグルーシャじゃない。それも今は分かっています」
ヴェロニカは何も返さず、次の帳簿を開いた。
飼育記録の嘘は見つかった。ただし、それだけでは二羽目は出てこない。
次におかしかったのは採涙記録だった。
グルーシャから採った涙の量と、治療に使った量が合わない。少しずつ、しかし毎月きれいに余りが消えている。
「蒸発?」
「密封します」
クセニヤに即答された。
「瓶が割れた?」
「その場合は廃棄記録を残します」
「じゃあ、歩いたのね」
ヴェロニカが言う。
「涙が?」
「誰かに連れられて」
院長室から呼ばれたドラゴミルは、数字を見せられても表情を変えなかった。
「不足ではありません。融通です」
「どこへ?」
「当院の維持に協力してくださる方々へ」
「売った?」
「譲りました」
「代金は?」
「寄進を受けています」
「売ったのね」
「言葉を狭くすればそう見えるでしょう」
ヴェロニカの目が少し細くなる。
「広くすると?」
「王立施設といっても予算には限度があります。希少な治療資源を一部の支援者へ優先的に提供し、その寄進で餌や薬を確保する。施設が維持されれば、結果として救える患者は増えます」
「涙を横流ししたお金で?」
「施設を維持した資金です」
「同じ金貨よ」
「用途が違います」
「金貨は用途で生まれ変わらないわ」
ドラゴミルは息をついた。
「現場を知らない人間には、帳簿上の一行にしか見えないのでしょう」
「帳簿を調べに来た人が今、石になってるけど」
私が言うと、わずかに間が空いた。
「それとこの件は別です」
「そこは狭くするんだね」
ヴェロニカがこちらを見る。
「便利でしょう」
「あなたが言う?」
スヴャトスラフが採涙記録を取り上げた。
「王家への報告なしに流した分は、全部これか」
「寄進者へ優先提供した分です」
「記録外だな」
「制度が現場に追いついていないのです」
「制度の話は取り調べで聞く」
ドラゴミルの話は放っておくと遠くまで行く。スヴャトスラフは目的地に着く前に道を閉じた。
涙の不足はこれで説明がついた。
少なくとも、消えた涙そのものは二羽目の証拠ではない。
「嘘が二つ」
帳簿を積み直しながら言うと、ヴェロニカも頷いた。
「グルーシャを残すための嘘と、院を残すための嘘」
「本人たちはどっちも正しいことをした顔してるね」
「そこまで言うと怒られるわよ」
「誰に?」
「両方」
ドラゴミルはもう怒っていた。
「で、鳥は?」
「まだいないわ」
今度は備品台帳が引き寄せられる。
旧治療区画で使われていた物品まで遡っていくと、石継ぎ泥、薬液槽、洗浄布に混じって《保温石》が出てきた。
「これ何?」
「熱を長く保つ石です」
クセニヤが答える。
「浴槽の温度を一定にしたり、弱った魔獣を温めたりします」
古い備品一覧には四個。
その後の移管記録では、旧区画から浴場へ三個。
浴場に確認へ行くと、棚には確かに三個並んでいた。
「三個ある」
「記録どおりね」
「じゃあ終わり?」
「最初が四個よ」
戻ったヴェロニカが、二枚の帳簿を並べる。
四個あった。三個移した。廃棄も破損も記録されていない。
一個だけ、行き先がない。
「ヴァレリヤンも気づいてる」
欄外に小さな字が残っていた。監察官の筆跡だった。
【保温石 一個 用途不明】
そのすぐ下に、もう一行。
【卵の記録なし】
「卵?」
顔を上げると、入口にいたミロスラヴァの手が止まっていた。
今まで帳簿の嘘を認めても、あんな顔はしなかった。
「ミロスラヴァ」
「はい」
「コカトリスの卵を孵すのに、保温石は使える?」
返事まで、ほんの少し間がある。
「使えます」
ヴェロニカは四個と三個をもう一度見比べた。
「二羽目は、外から来たとは限らないわね」
養生院には若いコカトリスが一羽いる。
そして、記録から消えた保温石が一個あった。




