11.第2話 後日譚① リュドミラはやっぱり誘いたい
リュドミラは、今度は私の手を握らなかった。
「前回、相談料を二倍にされたから?」
「学習したのよ」
王立造幣局の彫金師は、事務所の扉から三歩離れたところに立ち、封筒だけを差し出している。
「受け取るだけなら無料よね」
「内容によるわ」
ヴェロニカが私より先に答えた。
「あなた宛てではないのだけれど」
「ここへ持ち込まれた以上、検分する権利があるわ」
「ないよ」
私が封筒を受け取ると、ヴェロニカは肩越しに中を覗こうとした。
「読む?」
「本人宛ての手紙を勝手に読む趣味はないわ」
「いま覗いてるでしょう」
「文字の配置を見ているだけよ」
封筒の中には、王立造幣局の印が押された採用条件書が入っていた。リュドミラの署名だけでなく、造幣局長の承認印も並んでいる。
週に三日。武具以外の貨幣、宝飾品、儀礼具の鑑定。専用の作業台と助手一名。報酬は、いま私が受けている鑑定仕事よりかなり高い。
「局長の承認も取ったわ」
リュドミラが言う。
「言ったとおり、正式な条件を持ってきたわ。前回は事件の途中だったから、ゆっくり話せなかったでしょう」
「事件の途中で勧誘する方が悪いのよ」
「今日は事件ではないわ」
「では、依頼でもない人間が事務所を占有している料金を――」
「徴収しないで」
私は条件書をもう一度読んだが、断る理由はあまり見つからなかった。
造幣局には優れた道具があり、珍しい金属も集まる。武具以外を見る経験は、鑑定士として無駄にならない。
「改めて、興味はある?」
リュドミラに尋ねられ、私は頷いた。
「あるよ」
隣で紙が鳴った。
ヴェロニカが、自分の帳簿を閉じた音だった。
「週に三日は多すぎるわ」
「何を基準に?」
「私が困るもの」
リュドミラが目を丸くした。
「ずいぶん素直ね」
「仕事の話よ」
「いま自分が困ると言ったでしょう」
「私の効率が落ちるという意味よ」
「言葉を細くし始めた」
私が言うと、ヴェロニカは帳簿を抱え直した。
「専用の作業台も用意するわ」
リュドミラが続ける。
「この事務所にも台はある」
「片方の脚へ本が三冊挟まっている台でしょう」
「高さを調整しているの」
「壊れてるんだよ」
リュドミラは私へ向き直った。
「すぐ決めなくていいわ。見学だけでも来ない?」
「行ってみたい」
「明日の午後は?」
「空いてるよ」
「空いていないわ」
ヴェロニカが即答した。
私は帳簿を開いた。
明日の欄には、見覚えのない文字で、
【南門付近の聞き込み】
と書かれている。
「これ、いつ決まったの?」
「いま」
「私が決める話だったでしょう」
「訂正は受け付けるわ」
「書く前に聞いて」
リュドミラが小さく笑った。
「明後日でもいいわ」
「明後日は雨よ」
「予報では晴れだけれど」
「造幣局周辺だけ降る可能性があるわ」
「そんな局地的な雨がある?」
「いまから祈れば」
「女神を私用に使わないで」
私は条件書を畳み、腰袋へしまった。
「明日の午後、見学に行くよ」
ヴェロニカが何か言いかける。
「私が決めた」
「ええ」
少し遅れてから、彼女は頷いた。
「では、南門の聞き込みは午前中に済ませるわ」
「それ、私も行く前提?」
「午前中は空いているでしょう」
リュドミラは帰り際、今度こそ私へ触れずに手を振った。
扉が閉まると、ヴェロニカは帳簿の明日の欄へ、新しい予定を書き加えた。
【午後 造幣局】 【終了時刻 未定】 【迎えに行く】
「最後の予定は頼んでないよ」
「造幣局から事務所までの帰路を確認するだけよ」
「何のために?」
「危険がないか調べるため」
「何度も歩いた道でしょう」
「明日、急に危険になるかもしれないわ」
私は帳簿から羽根ペンを取り、最後の一行だけを書き直した。
【一緒に帰る】
ヴェロニカは訂正された文字をしばらく見ていた。
「意味は同じでは?」
「だいぶ違うよ」
ヴェロニカは何も書き直さなかった。




