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M男は辛いよ  作者: こうた
第二章 「お前がMだから」

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第七話 お前がMだから

「大丈夫」


朝、鏡の前でそう言った。


真司は制服の襟を整えた。


寝不足だった。


昨夜はほとんど眠れなかった。


目を閉じると、昨日の教室が浮かんだ。


「チクり魔」


「被害者ぶるな」


「先生に言えば?」


何度も、何度も頭の中で繰り返された。


それでも学校へ行かなければならない。


真司は鞄を持って家を出た。


玄関を開ける。


母が後ろから声をかけた。


「真司」


「何?」


「今日、少し顔色悪いよ」


「大丈夫」


また、その言葉を使った。


「学校、嫌なら休んでもいいんだからね」


一瞬、真司は黙った。


休みたい。


本当は休みたかった。


けれど、


「大丈夫だから」


そう言って家を出た。


学校に近づくにつれて、足が重くなる。


校門が見えてきた。


そこで、真司は足を止めた。


帰りたい。


今ならまだ戻れる。


けれど、後ろから自転車が来た。


「おい、佐伯!」


高橋だった。


「何止まってんの?」


「……別に」


「学校行くだろ?」


「うん」


「じゃあ行こうぜ」


高橋は真司の肩を軽く叩いた。


その手が嫌だった。


けれど、何も言わなかった。


教室に入る。


自分の机を見る。


机の上に、紙が置かれていた。


――M男。


真司は紙を掴んだ。


丸める。


ゴミ箱へ捨てる。


「また捨てた」


高橋が言った。


「……何が?」


「M男の紙」


「いらないから」


「なんで?」


「嫌だから」


高橋は笑った。


「なあ、佐伯」


「何?」


「お前さ」


一歩近づく。


「本当に嫌なの?」


「……何回言わせるんだよ」


「だって、そう見えないから」


「どう見えるんだよ」


「嬉しそう」


「……」


「嫌なら、もっと怒れば?」


真司は拳を握った。


「怒ってるよ」


「嘘」


「嘘じゃない」


「じゃあ、何で毎日学校来るの?」


「……え?」


「嫌なんだろ?」


「だから……」


「本当に嫌なら学校来なきゃいいじゃん」


真司は言葉を失った。


高橋は続けた。


「でも来る」


「……」


「俺らに会いに来てるんじゃないの?」


周りから笑い声が起きた。


「違う!」


真司は叫んだ。


「学校に来るのは、学校だからだろ!」


「じゃあ、俺らを避ければ?」


「避けてるよ」


「でも同じ教室じゃん」


「……」


「つまり、気にしてないってことじゃん」


「違う!」


真司は頭を抱えた。


何を言っても、話が戻される。


嫌だと言えば、


「本当は嬉しい」。


避ければ、


「気にしていない」。


怒れば、


「演技」。


泣けば、


「大げさ」。


先生に言えば、


「チクり」。


もう何をすればいいのか分からない。


高橋が言った。


「結局さ」


少し笑って、


「お前がMだから悪いんじゃね?」


その言葉に、周囲が笑った。


「……俺が?」


「そう」


「俺が悪いの?」


「だって、お前が普通ならこんなことになってないだろ」


「……」


「俺たちは普通にしてるだけ」


真司は高橋を見た。


「普通って何?」


高橋は少し黙った。


「……何だよ、それ」


「俺が嫌がることをするのが普通なの?」


「だから、嫌がってるのが演技なんだって」


「違う」


「じゃあ何で?」


「……」


答えられない。


高橋が笑った。


「ほら」


その一言で終わった。


真司の言葉は、また消された。


昼休み。


真司は一人で弁当を食べていた。


向かいの席に田中が座った。


「なあ、佐伯」


「……何?」


「お前さ、高橋のこと嫌い?」


「……嫌い」


田中は少し驚いた。


「そこは普通に言うんだ」


「だって嫌いだから」


「でも高橋、お前のこと気に入ってるぞ」


「……」


「毎日お前のこと話してる」


真司は箸を止めた。


「何を?」


「面白いって」


「……」


「お前が怒ったとか、先生に言ったとか」


田中は笑った。


「高橋、お前のこと好きなんじゃね?」


真司は顔を上げた。


「俺は嫌だよ」


「何が?」


「そういうの全部」


「でもさ」


田中は弁当を食べながら言った。


「高橋だけが悪いのかな」


「……」


「お前にも原因あるんじゃない?」


その言葉が、胸に刺さった。


「俺の?」


「うん」


「何で?」


「だって、お前、反応するじゃん」


「……」


「怒るし、顔赤くするし」


「それは嫌だからだよ」


「でも、それが面白いんだろ」


真司は黙った。


田中は何でもないことのように言った。


「だったら、もう少し普通にすればいいじゃん」


普通。


その言葉が頭に残った。


放課後。


家に帰ると、母がテレビを見ていた。


「おかえり」


「ただいま」


「今日はどうだった?」


「普通」


また同じ言葉。


母は笑った。


「そう。よかった」


真司は自分の部屋へ行った。


鞄を置く。


制服を脱ぐ。


机の引き出しを開ける。


紙が何枚も入っている。


「M男」


「チクり魔」


「被害者」


真司はそれらを一枚ずつ並べた。


そして、今日言われた言葉を書く。


――お前がMだから悪い。


書いたあと、しばらく見つめた。


「……俺が悪いの?」


口に出してみた。


自分で聞いても、答えが分からない。


もし自分がもっと明るかったら。


もっと強かったら。


もっと上手に笑えたら。


もっと普通だったら。


こんなことにはならなかったのかもしれない。


そう思い始めていた。


それが、一番怖かった。


いじめている人間ではなく、


自分自身を疑い始めていた。


夜。


母が部屋の前から声をかけた。


「真司、ご飯できたよ」


「うん」


「どうしたの?」


「何でもない」


母は少し黙った。


「学校で何かあった?」


「ない」


「本当に?」


「……うん」


母の足音が遠ざかっていく。


真司は机の前に座った。


ノートを開いた。


そこには、


「俺はMじゃない」


と何度も書かれていた。


真司はその下に新しく書いた。


――俺が悪いのかもしれない。


書いた瞬間。


手が止まった。


そして、その文字を見つめた。


消そうと思った。


でも消せなかった。


その言葉だけが、妙に現実に見えた。


次の日。


体育の授業。


高橋がボールを真司に投げた。


「取れよ、M男!」


真司は受け取らなかった。


ボールが床に落ちる。


「何で取らないの?」


「……やりたくない」


「また嫌がってる」


「本当にやりたくない」


「ほら」


高橋が笑う。


「そういうところだよ」


「何が?」


「お前がMだから、みんな面白がるんだよ」


真司は黙った。


「だからさ」


高橋は笑いながら言った。


「俺たちのせいにするなよ」


その言葉を聞いた瞬間。


真司は何も言えなくなった。


自分が悪い。


自分がMだから。


自分が反応するから。


自分が弱いから。


自分が普通じゃないから。


その考えが、少しずつ真司の中に根を張っていった。


そしてそれは、


高橋たちが真司に植えつけたものだとは、


まだ気づいていなかった。


その日の夜。


真司はノートの最後に、一行だけ書いた。


――俺が変われば、全部終わるのかな。


しばらくして、その文字を見つめる。


そして小さく呟いた。


「……変わらなきゃ」


その瞬間から。


真司は、


自分を変えることばかり考えるようになった。

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