表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は、断罪の日にだけ微笑む  作者: 七七街


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/3

1話

第一話 悪役令嬢は、断罪されて死んだ


 シャンデリアの光が、磨き上げられた大理石の床に落ちていた。


 王立学園の卒業舞踏会。貴族の子息令嬢たちが最後に集う夜であり、多くの者にとっては、次の立場を確かめ合う場でもある。誰が誰と踊るのか。誰が王太子の隣に立つのか。誰が笑い、誰が置いていかれるのか。


 その中心に立っていたのは、公爵令嬢リリアナ・ヴァレンシュタインだった。


 銀糸を編み込んだような淡い髪。白い首元を飾る真珠。深い青のドレスは、夜空を切り取ったように美しい。背筋はまっすぐ伸び、指先の角度ひとつまで乱れがない。


 誰もが彼女を見ていた。


 けれど、その視線に憧れはなかった。


「リリアナ・ヴァレンシュタイン」


 広間のざわめきを断ち切るように、王太子エドワードの声が響いた。


 金の髪を持つ若き王太子は、階段の上からリリアナを見下ろしていた。その隣には、白いドレスをまとった少女が立っている。


 聖女ミリア。


 数年前、神殿に見いだされた奇跡の少女。清らかな癒やしの力を持ち、誰にでも優しく、王都の民からも貴族からも愛される存在。


 彼女は今、エドワードの背に隠れるようにして、目元を潤ませていた。


 リリアナは視線を上げた。


「何でしょう、殿下」


 その声に震えはない。


 広間の者たちは息をひそめた。誰もが、今から起こることを予感しているようだった。


 エドワードは一歩前へ出た。


「この場をもって、お前との婚約を破棄する」


 ざわめきが広がった。


 婦人たちは扇の奥で目を見開き、若い令嬢たちは声にならない悲鳴を漏らす。楽団の音はとうに止まっていた。広間に残ったのは、息遣いと衣擦れの音だけだった。


 リリアナは少しだけ首を傾けた。


「理由をうかがっても?」


「しらばっくれるな」


 エドワードの声に怒りがにじむ。


「お前は聖女ミリアに数々の嫌がらせを行った。彼女のドレスを裂き、階段から突き落とし、部屋に忍び込み、王宮の帳簿まで盗み見た。さらには禁じられた地下礼拝堂にまで足を踏み入れたそうだな」


 広間の視線が、一斉にリリアナへ突き刺さった。


 ドレスを裂いた。

 階段から突き落とした。

 部屋に忍び込んだ。

 帳簿を盗み見た。

 地下礼拝堂に入った。


 どれも令嬢の行いとしてはあまりに醜く、そして公爵家の娘としてはあまりに重い罪だった。


 ミリアが小さく震えた。


「リリアナ様……私は、ただ、殿下や皆さまと仲良くしたかっただけなのです」


 その声は細く、痛々しかった。


 近くにいた令嬢がミリアの肩を抱く。


「聖女様、おかわいそうに」


「まさか公爵令嬢ともあろう方が、そこまで……」


「以前から怖い方だとは思っていたけれど」


 ささやきが広がっていく。


 リリアナは、ひとつひとつの声を聞いていた。聞こえていないふりなどしなかった。けれど、どの言葉にも眉ひとつ動かさなかった。


 エドワードはリリアナをにらみつける。


「何か申し開きはあるか」


 その問いに、広間の誰もが耳を澄ませた。


 リリアナが泣き崩れるのを待っている者もいた。

 言い訳を始めるのを待っている者もいた。

 公爵家の力を盾に、無様に怒鳴るのを期待している者もいた。


 リリアナは静かに息を吸った。


 そして、微笑んだ。


「ええ。すべて、わたくしがやりましたわ」


 広間から音が消えた。


 エドワードでさえ、一瞬言葉を失った。


 リリアナは続ける。


「聖女様のドレスを裂いたのも、階段から落としたのも、お部屋に入ったのも、帳簿を見たのも、地下礼拝堂へ入ったのも。すべて、わたくしです」


 ミリアが唇を押さえる。


「そんな……」


 その声を聞いた瞬間、エドワードの顔が怒りで染まった。


「認めるのだな」


「はい」


「なぜだ」


「気に入らなかったからですわ」


 リリアナは淡々と答えた。


「どなたにも愛され、どなたにも許され、どなたの記憶にも美しく残る聖女様が。わたくしには、少しばかり目障りでしたの」


 広間の空気が冷えた。


 それはあまりにも悪役めいた言葉だった。高慢で、冷たく、救いようがない。


 ミリアは涙をこぼした。


「リリアナ様……私は、あなたを嫌ったことなど一度もありません」


「それは素晴らしいことですわね」


 リリアナは、ミリアを見た。


「嫌う必要がないほど、あなたは満たされていらっしゃるのでしょう」


「リリアナ!」


 エドワードが怒鳴った。


「まだ彼女を傷つけるか!」


「傷つける?」


 リリアナはゆっくりと瞬きをした。


「聖女様は、傷つくのですか?」


 その言葉は、小さかった。


 だが、ミリアの肩がかすかに揺れた。


 誰もそれに気づかなかった。王太子も、令嬢たちも、騎士たちも。リリアナだけが、その一瞬を見ていた。


 エドワードは腰の剣に手をかけた。


「もういい。お前の罪は明らかだ。公爵家にはすでに確認を取っている。ヴァレンシュタイン公も、お前をかばうつもりはない」


 リリアナの目が、ほんのわずかに細くなった。


 父は来ない。


 そう知っていた顔だった。


「そうですか」


「お前の身柄はこの場で拘束する。王家への不敬、聖女への害意、禁域への侵入。もはや婚約破棄だけでは済まされぬ」


 近衛騎士が二人、リリアナの左右に近づいた。


 公爵令嬢の手首に触れることをためらうように、一瞬だけ動きが止まる。


 リリアナは自ら手を差し出した。


「どうぞ」


 騎士の片方が顔を伏せる。


 細い手首に、銀の拘束具がかけられた。


 冷たい金属の音が広間に響く。


 それでようやく、誰かが小さく息を吐いた。舞踏会は完全に終わった。祝福の場は、悪女の断罪の場になった。


 リリアナは連れていかれる前に、一度だけ振り返った。


 視線の先には、聖女ミリアがいる。


 ミリアは涙を流しながら、両手を胸の前で握っていた。痛ましげな顔。慈悲深い瞳。誰が見ても、被害者そのものだった。


 リリアナはその顔を見て、静かに笑った。


 その笑みは、勝ち誇ったものではない。

 怒りでも、悲しみでもない。


 どこか、長く待っていたものがようやく来たと知った者の顔だった。


 だが、それを理解できる者は誰もいなかった。


 リリアナは広間を出た。


 背後で、誰かがミリアを慰める声が聞こえた。


「聖女様、もう大丈夫です」


「怖かったでしょう」


「悪女は裁かれます」


 リリアナは足を止めなかった。


 石造りの廊下は舞踏会の熱から遠く、夜の冷たさを抱えていた。窓の外では、王都の灯がちらちらと揺れている。


 騎士たちは無言だった。


 その沈黙が、リリアナには少しだけおかしかった。


 誰も彼女に問いかけない。

 どうしてそんなことをしたのか。

 本当にすべて認めるのか。

 何か事情があったのではないか。


 誰も聞かない。


 悪役令嬢には理由など必要ないのだろう。


 地下牢の扉が開けられた。


 冷えた空気と湿った匂いが流れ出す。壁には古い染みがあり、床には薄く水がたまっていた。貴族の令嬢が一晩を過ごすには、あまりにも粗末な場所だった。


 リリアナは中へ入った。


 拘束具を外され、扉が閉められる。


 鉄格子の向こうで、騎士の足音が遠ざかっていった。


 ひとりになると、リリアナは壁際の寝台に腰を下ろした。薄い毛布は湿っていて、座っただけで冷たさが染みてくる。


 それでも、彼女は姿勢を崩さなかった。


 舞踏会でそうしていたように、背筋を伸ばし、手を膝の上に重ねる。


 しばらくして、足音が近づいてきた。


 軽い足音だった。


 騎士ではない。

 侍女でもない。


 リリアナは顔を上げた。


 鉄格子の向こうに、聖女ミリアが立っていた。


 白いドレスは舞踏会のままだった。涙の跡が頬に残っている。けれど、近くで見ると、その瞳は不思議なほど澄んでいた。


「リリアナ様」


 ミリアは悲しげに呼んだ。


「お休みになれませんか?」


「このような場所で眠れるほど、たくましく育ってはおりませんの」


「そうですよね」


 ミリアは胸の前で指を組んだ。


「私、どうしてもお話ししたくて。明日の朝には、もう……」


 言葉の途中で、ミリアは目を伏せた。


 まるでリリアナの死を悼んでいるようだった。


 リリアナは黙っていた。


 ミリアは鉄格子に近づく。


「リリアナ様。最後に、何か言い残すことはありますか?」


 優しい声だった。


 聖女にふさわしい、柔らかく清らかな声。


 リリアナはその声を聞きながら、少しだけ首を傾けた。


「ありますわ」


「なんでしょう?」


 ミリアの瞳が濡れている。


 リリアナは立ち上がり、鉄格子の前まで歩いた。


 二人の距離は近い。

 手を伸ばせば、互いの指先が触れるほどに。


 リリアナはミリアの顔を見つめた。


 その美しい目。

 白い頬。

 かすかに震える唇。


 誰もが守りたくなる聖女。


 誰も疑わない少女。


 リリアナは、ほほ笑んだ。


「あなた、ずいぶんお腹が空いているのね」


 ミリアの涙が、一瞬だけ止まった。


 その一瞬だけ、聖女の顔から悲しみが消えた。


 次に浮かんだものを、リリアナは見逃さなかった。ほんのわずかな驚き。隠しきれない不快感。そして、薄い笑み。


 けれど、それもすぐに消えた。


「……リリアナ様は、最後まで意地悪なのですね」


「そう見えますか」


「ええ」


 ミリアは悲しげにうなずいた。


「でも、私はあなたを許します」


「それはどうも」


「神は、きっとあなたの魂にも救いをくださいます」


 リリアナは何も答えなかった。


 ミリアはしばらく彼女を見つめていたが、やがて小さく会釈した。


「さようなら、リリアナ様」


「ええ」


 リリアナは静かに返した。


「さようなら、聖女様」


 ミリアの足音が遠ざかる。


 地下牢には、また冷たい静けさが戻った。


 リリアナは寝台に腰を下ろした。今度は背筋を伸ばすのをやめ、壁に背を預ける。


 石の冷たさが、肩越しに伝わってくる。


 窓はない。


 夜がどれほど進んだのかは分からなかった。


 けれど、リリアナは目を閉じなかった。


 眠るには、少しだけ惜しい夜だった。


 翌朝、王都の広場には大勢の民が集まっていた。


 悪役令嬢の処刑。


 その噂は一晩で広がっていた。聖女を傷つけ、王太子を欺き、禁じられた場所に踏み入った公爵令嬢。美しい顔の裏で悪意を隠していた女。誰もが、そう語っていた。


 処刑台の周りには騎士が並び、王家の旗が風に揺れていた。


 空は嫌になるほど晴れている。


 リリアナは黒い外套をかけられ、処刑台へ上がった。


 手首は縛られている。髪飾りは外され、長い髪が背に流れていた。昨夜までの華やかなドレスではなく、簡素な白い服を着せられている。


 それでも、彼女は美しかった。


 そのことが、民衆の憎しみを余計に煽った。


「聖女様を苦しめた悪女め!」


「公爵家の恥さらし!」


「殿下を裏切った女!」


 声が飛ぶ。


 石は投げられなかった。騎士が止めていたからだ。もし誰も止めなければ、きっと彼女の白い服は泥と血で汚れていただろう。


 リリアナは何も言わない。


 処刑台の正面には、王太子エドワードがいた。


 その隣にはミリアがいる。


 エドワードは硬い顔をしていた。正義を果たす者の顔。国のため、聖女のため、未来のために悪を裁く王太子の顔。


 けれど、その拳は強く握られていた。


 ミリアは目元を押さえている。泣いているのだろう。民衆はその姿を見て、さらにリリアナを憎んだ。


 処刑人が斧を持って立つ。


 司祭が罪状を読み上げた。


 リリアナ・ヴァレンシュタイン。

 王太子殿下の婚約者でありながら、嫉妬により聖女ミリアを害した罪。

 王宮の機密に触れた罪。

 禁域へ侵入した罪。

 王家と神殿の信頼を踏みにじった罪。


 読み上げられるたびに、民衆の声が大きくなった。


 リリアナはそれを聞いていた。


 自分の罪が、正しく並べられていくのを。


 事実だけなら、どれも間違っていない。


 だから彼女は反論しなかった。


 司祭が最後に言う。


「何か、言い残すことはあるか」


 広場が静まり返った。


 エドワードがリリアナを見る。


 ほんの一瞬、彼の目に迷いが浮かんだ。


 リリアナはその迷いを見た。


 そして、少しだけ笑った。


「殿下」


 エドワードの肩が揺れる。


「どうか、お幸せに」


 それは、恨み言ではなかった。


 許しでもない。


 ただ、かつて婚約者だった相手へ向ける、最後の礼のような言葉だった。


 エドワードは唇を動かした。


 だが、何も言わなかった。


 言えなかったのかもしれない。


 リリアナはもう彼を見なかった。


 視線を横へ移す。


 聖女ミリアがいた。


 ミリアは涙を流している。頬を伝う涙は朝の光を受けて、宝石のように輝いていた。


 美しい涙だった。


 誰もが彼女を信じる理由が、リリアナにはよく分かった。


 リリアナはミリアを見つめた。


 ミリアもまた、涙の向こうからリリアナを見ていた。


 ほんの一瞬。


 本当に、まばたきほどの一瞬。


 ミリアの口元が動いた。


 笑ったように見えた。


 リリアナも、ほほ笑み返した。


 処刑人が斧を持ち上げる。


 広場の空気が止まる。


 鳥の声が、遠くで聞こえた。


 リリアナは目を閉じなかった。


 最後まで、聖女を見ていた。


 刃が落ちる。


 その日、悪役令嬢リリアナ・ヴァレンシュタインは死んだ。


 王太子は悪を裁いた。

 聖女は涙を流した。

 民衆は正義が果たされたと信じた。


 誰もが、それで物語は終わったのだと思った。

3話ぐらいの予定になりますが

面白い面白くないレビューをいただけると励みになります!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ