名前を書かない紙
ベルクが姉妹の滞在を記録しようとすると、ティアは妹の名を役所へ出さないでほしいと頼んだ。峠の領主の家で働いていた時、退職を申し出た者が引き留められたという。リネは契約書を読めず、主人の家を出ることを許されたかどうかも曖昧だった。村に匿われていると知られれば、連れ戻されるのではないかと恐れている。
ベルクは村へ住む以上、人数を隠すわけにはいかないと答えた。税や食料の計算にも関わる。ミラは何もかも秘密にするのでなく、村内で必要な情報と、外へ渡す情報を分けられないか考えた。エダは保管場所を変え、滞在人数の記録と氏名入りの記録を別々に綴じた。
しかし役所が正式に名前を求めてくれば、村だけで拒めるとは限らない。ミラは安心させるための約束をしなかった。ティアには、分かっている契約の内容を紙に書いてもらった。働き始めた日、渡された賃金、退いた理由。知らないことは空欄のまま残した。
リネは鉛筆を握ったが、名前の字を最後まで書けなかった。ルークが教えようとしたところで、ティアが肩を強張らせた。ミラは少年を外へ誘い、二人だけで書きたい時が来るまで待った。知られたくない事情のある人にとって、親切な問いかけさえ重くなることがある。
ベルクの棚には、前年の出生と葬儀を記した小さな冊子が残っていた。ミラはそれを見て、数字の裏に一人ずつ名前があると改めて感じた。記録が悪いのではない。誰が見て、何に使い、本人へどう説明するかが大切なのだろう。エダは冊子に鍵を掛ける位置まで確かめた。
夕方、ベルクは領主の家の名をフェルンに確かめると言った。噂だけで手を打てば、かえって姉妹を危険にさらす。村に入った二人が今夜眠れることと、明日以降の権利を守れることは別の問題だった。ミラは記録を二重の封筒に収め、鍵の掛かる棚へ置いた。




