舟を出さない
増水した川を渡りたいと、隣町へ向かう商人が頼んできた。荷には傷みやすい野菜が積まれ、遠回りすれば売り時を逃す。トーマの小舟なら対岸へ運べるのではないかという。商人は高い運賃を払うと言ったが、老人は舟を出さないと答えた。
水面は穏やかに見えても、下には流木が走っている。トーマは去年、同じような雨の後に舟底を割った話をした。商人は納得せず、村が勝手に商売を妨げていると怒った。ミラは野菜の損失を理解しつつ、トーマを説得して舟を出させるつもりはなかった。
セランは野菜を村で一時的に預かれるか尋ねた。サラは共同鍋で使える量を買い取る案を出し、ニーナは傷みの早い品から先に選んだ。全部は買えないので、商人には残りを別の道で運ぶか、近くの村で売るか決めてもらった。
商人は銅貨の損を数え、不満そうに荷を分けた。それでも夕方には村へ野菜を売り、売れ残りを峠道へ載せ替えた。舟を出さなかったことへの礼はなかった。トーマはそれでよいと言い、舟の綱を確かめた。頼まれるたび命を賭けるのでは、川で長く働けない。
トーマは舟を片付けながら、昔の自分なら運賃につられて出したかもしれないと話した。川で長く働くうち、渡れない日を知ることの価値を覚えたという。ミラは老人が断る権利を守れたことに安心した。村へ来た客の困りごとも大切だが、危険をよく知る人の判断を値段で覆してはいけなかった。
夜、ミラは商人が売った野菜をサラと仕分けた。朝の食卓には、いつもより青い葉が並ぶだろう。橋が渡れなかった一日の損失が、誰かの命の危険へ変わらずに済んだ。完全な解決ではないが、守れたものはあった。




