第07話「安く買って、高く売る」
【東海連合 港町マレア 到着二日目】
手持ち …… 銀貨百六十六、銅貨十六(岩塩二十袋・四十貫 売却済)
岩塩相場 …… 一貫につき銀貨四(テラ村比、十倍超)
塩問屋コルム 談 ───「東の塩田、軒並み死にかけ」(詳細未確認)
次手 …… 空の荷車を、そのまま西へ走らせる愚は避ける
革袋の中で、銀貨がぶつかり合う乾いた音がした。銅貨のそれより、いくらか澄んで響く気がする。気のせいだ。銀も銅も、鋳た金属の音に貴賎などない。ただ、俺の耳が、まだこの重さに慣れていないだけだった。
三日前まで、この袋の中身は銀貨六枚と銅貨十八枚がすべてだった。今は、その桁がまるごと変わっている。
だが、この重みを懐に仕舞ったまま、大人しく西へ持ち帰るつもりはなかった。
「――で、これからどうする気だ、坊主」ヴォルクが荷車の轅に寄りかかりながら聞いた。空になった荷台には、麻袋の名残の塩の白い粉が、うっすらと筋を引いている。「たんまり儲けたんだ、さっさと帰って祝杯でも挙げりゃいいだろうが」
「空の荷車で帰るのは、悪手だ」
「あ?」
「行きは岩塩を運んで、帰りは手ぶら。それだと、荷車も俺たちの足も、片道分しか働いていない」
ヴォルクは片眉を上げ、それから呆れたように笑った。
「儲けたそばから、次の勘定かよ。忙しない頭してるな、坊主は」
「往復で稼がなければ、この道は割に合わない」
北回りの正規路の十五分の一の日数。その利点は、一度きりの大儲けで終わらせるにはもったいなさすぎた。行きに岩塩、帰りに西で値の跳ねる品を積めば、この回廊そのものが、通るたび利を生む回路になる。
港町の市場は、テラ村とは比べ物にならない密度で品が並んでいた。染めの布、瓶に詰めた香辛料、吹き硝子の器、干した海藻の束。歩きながら、一つひとつに目を走らせては、頭の中で却下していく。
染めの布は上物だが、西の商人がすでに扱っている定番品だ。差益は薄い。香辛料は軽くて高値がつくが、湿気を含みやすく、テラ村のような内陸の村では使い道そのものが乏しい。硝子の器は美しいが、あの峠の岩道を思えば、着く前に半分が割れて終わりだろう。干した海藻の束も目に留まったが、これを美味いと思う舌が、テラ村にあるとは思えない。安いだけの品は、売れなければ元手を寝かせるのと同じだ。
「何をそんなに睨めっこしてるんだよ」
「西で高く売れて、峠を越えられるものを探している」
「そんな都合のいい品、そうそう転がってねえだろ」
歩きながら、露店の隅で交わされている立ち話が耳に入った。
「――今年の塩田は、もう駄目だろうよ。三軒に一軒は畝すら起こしてねえ」
「東の方は、軒並みそうらしいな。潮の流れが変わったとか、なんとか」
コルムの言葉を裏づける噂だった。詳しい理由までは、立ち話の断片だけでは分からない。この町の誰もが薄々気づいている異変らしいことは、声の湿り気で分かった。だが今は、深追いする時ではない。頭の隅に留めて、足を止めずに歩き続けた。
市場の奥、ひときわ人だかりのできている一角があった。覗き込むと、小さな石を紐で吊るした品が、所狭しと並んでいる。石の中心に、蛍のような淡い光が灯っていた。
「魔灯石ですよ、お客さん。灯り取りにゃ、これが一番安上がりだ」
店主の売り文句に、足が止まった。
灯りを灯した石が、店先にずらりと連なっている光景は、蝋燭一本を惜しむテラ村の夜を知る身には、異様なほどの贅沢に映った。
「これは、どこで作られている」
「作る? 作りゃしませんよ、こいつは。東の鉱山でごろごろ採れる、ただの魔石を削って灯り玉に仕立ててるだけです。塩田がこんなことになる前は、鉱山の連中も暇を持て余して、こっちの仕事に精を出してたくらいでね。この辺じゃ、猫の額ほどの庭にも一個は転がってまさぁ」
店主は事も無げに言うと、石を一つ摘まみ上げて放って寄越した。受け取った石は、掌に収まるほどの大きさで、思ったより軽い。淡い光が、指の間から漏れて揺れた。
石を包む光に見入っていると、遅れて視界の端に文字が浮かんだ。
『魔灯石/真価:小さな村の夜をまるごと変える灯/世評:東ではありふれた量産品、二束三文』
真価と世評の落差が、これまで視てきたどの品とも違う形をしていた。人の腹の探り合いとは別の意味で、指先が石の輪郭をなぞる速さが、自分でも分かるほど速くなっていた。
西では、日が落ちれば村じゅうが闇に沈む。蝋燭も油も、惜しみながら使う土地だ。その闇に、この石ひとつで小さな灯が生まれる。東では二束三文の量産品が、西では夜そのものの値打ちを変える品になる。
同じ物が、立つ場所を変えるだけで、こんなにも違う顔を見せる。前世で嫌というほど見た理屈だった。安く仕入れて、高く売る。言葉にすれば子供でも分かる商いの基本だが、その差を最初に見つけて動いた者だけが、利を独り占めにできる。塩と、光。方向は逆でも、やっていることは同じだ。
「これを、まとめて売ってもらいたい」
「へえ、太っ腹だ。何個お求めで?」
「二十」
店主は目を丸くしたが、すぐに算盤を弾く顔になった。
「二十なら、一個銀貨二枚でどうです。バラで買うより、まとめ買いは色をつけますよ」
迷いはなかった。銀貨四十枚。手持ちの重みからすれば、痛くも痒くもない額だ。
「それでいい」
懐から銀貨を数えて渡す。革袋に、また新しい石の擦れる音が加わった。銅貨とも銀貨とも違う、涼やかな音だった。
木箱に詰められていく魔灯石を眺めながら、ヴォルクが顎を撫でた。
「塩を売って、光る石を買う、か。相変わらず、頭の中身がよく分からねえ商いをするな、坊主は」
「分からなくていい。西に着けば分かる」
荷車に魔灯石の木箱を積み込み、西へ向けて発った。
行きより軽い荷だった。だが、軽いからといって気を抜けるわけではない。魔灯石は硝子細工と変わらぬ繊細さで、荷車の揺れひとつで罅が入る。木箱の中に藁を敷き詰め、その上からさらに布で包んだ。過剰なくらいの手間をかけたつもりだったが、峠の岩道を思えば、それでも足りない気がした。
「行きは塩、帰りは光る石か」ヴォルクが荷車の綱を担ぎ直しながら鼻を鳴らした。「坊主の考えることは、いちいち規模がでかいな」
「規模ではなく、差だ。西と東で、値の差があるものを右から左へ動かす。それだけの話だ」
「それだけって顔じゃねえけどな、坊主は今」
図星を突かれ、返す言葉がすぐには出なかった。頬の緩みは、自分でも気づかないうちに顔に出ていたらしい。
回廊に踏み入ると、二度目とあって道の勝手はいくらか分かっていた。ここで足を滑らせる、あの岩の先で下生えが深くなる。一度通っただけの記憶が、思いのほか体に染みついている。
「戻り道は覚えとけって言ったろ」ヴォルクが振り返って笑った。「坊主にしちゃ、上出来だ」
「褒められている気がしない」
「褒めてるさ。街育ちの坊やが、二度でここまで勘を掴むたぁ、大したもんだよ」
峠の中腹、往路で山狼と切り結んだ岩場に差しかかると、ヴォルクの足が自然と速まった。血の跡はとうに雨で流れていたが、この男の記憶には、まだ生々しく残っているらしい。
「今度は出てこないでほしいものだ」
「贅沢言うな。出てきたところで、俺がいりゃ同じ結果だ」
「その自信は、どこから来る」
「数だけは、こなしてきたからな」ヴォルクは剣の柄を軽く叩いて笑った。「坊主の数字と同じだ。積み重ねりゃ、嘘はつかねえ」
軽口には違いないが、この男の背に預けた命の重みを、今更ながらに思う。荷車の綱を握る手に、ほんの少し力がこもった。
下り坂に差しかかる頃、荷台の木箱が大きく揺れた。とっさに手を伸ばし、綱を強く引く。車輪が石を噛み、荷車が跳ねかけたところをどうにか押さえ込んだ。
「危なっかしいな、その荷。塩の方がよっぽど気楽だったぜ」
「割れれば、儲けごと消える。慎重になるのも道理だ」
「そりゃそうだが……」ヴォルクは荷台の木箱を横目に見ながら、片頬で笑った。「命より荷が心配な顔してんの、面白いから許してやる」
軽口を叩き合いながらも、足元だけは互いに緩めなかった。一歩ごとに石を選び、荷車の揺れを殺す。往路で得た土地勘と、二人の間に馴染み始めた呼吸が、慎重さを支えていた。
峠の頂に差しかかったところで、ヴォルクが荷車を止めた。振り返ると、東には今しがた発った港町の海が、西にはテラ村の乾いた大地が、同時に見渡せた。二つの土地を隔てていたのは、地図の上の空白でしかなかったのだと、今更ながらに思い知らされる。
一度の野営を挟んだだけで、峠は抜けきっていた。荷が軽い分、足の運びが速い。二日を要した往路より、確かな差がついている。
「――抜けたな」ヴォルクが額の汗を拭いながら言った。「今度は、思ったより楽できたじゃねえか」
「次はもっと早くなる」
「気の早いこった」
木々の切れ間から、西の空が茜色に染まっているのが見えた。大崩壊の後、名もない商隊が一度だけ通った道が「通れる道」として値をつけ始めた、という遠い記憶をふと思い出す。あの時の商隊も、こうして荷を担いで、同じような夕暮れを見たのだろうか。名前は残らなくても、彼らが拓いた航路だけは、地図の上に太い線として残り続けた。
今、俺たちが刻んでいるこの道のりも、いずれ同じ重みを持つはずだ。
「――何、しみったれた顔してんだ」
「別に」
「嘘つけ、また変なこと考えてる顔だ」ヴォルクは呆れたように肩をすくめると、荷車の綱を握り直した。「考えるのは西に着いてからにしろ。日が暮れる」
塩害地の外れ、灌木の切れ目まで戻ってきた時には、すでに日が落ちかけていた。
畑仕事を終えた村人が数人、遠目にこちらへ気づいて足を止める。荷車を引く二人の姿を、しばらく探るように眺めていたが、やがて一人が大きな声を上げた。
「――帰ってきた! おい、帰ってきたぞ!」
声を合図に、村の方から人が集まり始めた。だが、その顔に浮かぶのは歓迎より先に、疑いだった。無理もない。代官の目を盗んで、誰も通ったことのない道へ、大事な岩塩を積んで消えた男たちだ。無事に戻っただけでも僥倖だが、それが儲けになったかどうかは、また別の話だった。
「――どうだった、坊ちゃん」
人垣の中から、村長アーヴィンが進み出た。低く抑えた声に、いつもより硬さが滲んでいる。
答える代わりに、俺は懐から革袋を取り出し、その口を開いた。銀貨が、夕暮れの薄い光を受けて鈍く光る。
どよめきが起きた。
「本当に……売れたのか、あの岩塩が」誰かが呟いた声には、まだ半信半疑の色が残っていた。
「一貫、銀貨四枚で売れた」俺は静かに答えた。「テラ村の相場の、十倍を超える値だ」
数字を口にした瞬間、人垣の空気が変わるのが分かった。誰かが息を呑む音、隣の者と顔を見合わせる気配。長年、代官に搾られ続けてきた村に、初めて外から入ってきた「割の合う数字」だった。
「まさか、狸に化かされてんじゃ……」誰かがなおも疑わしげに呟いた。
「化かされてなどいない」ヴォルクが荷台の木箱を下ろしながら口を挟んだ。「俺がこの目で見た。銀貨がざっくざく積まれるとこをな」
俺は集まった村人たちに向き直り、銀貨をいくらか取り分けた。岩塩を掘り、運ぶのに手を貸してくれた男たちへの日当だ。相場を知らない村人たちは、渡された銀貨の枚数に、最初は戸惑い、それから顔をほころばせた。
「日当だ。掘って、運んでくれた分の礼だ」
「こんなに……いいのかい、坊ちゃん」老いた男が銀貨を両手で押し戴くようにして聞いた。
「働きに見合う分だ。多すぎるとは思わない」
「――律儀な坊ちゃんだ」老爺は皺だらけの顔をくしゃりと崩し、銀貨を懐へ大事そうにしまい込んだ。「代官様には、ついぞ聞かせてもらえなかった台詞だな」
分配を終えると、荷台に積んだ木箱の存在に、村人たちの目が移った。
「これは、何を積んできたんだい」
答える代わりに、俺は木箱の蓋を開け、藁の中から魔灯石をひとつ取り出した。すでに日は落ちて、あたりは薄闇に沈み始めている。石を掌に乗せると、淡い光が、闇の中でひときわ鮮やかに浮かび上がった。
「――光ってる」
子供の声だった。人垣の隙間から、小さな影が飛び出してきて、石の光に吸い寄せられるように駆け寄る。
「魔灯石という。火を使わず、灯りだけを灯す石だ」
集会所の軒先に一つ、井戸端に一つ、アーヴィンの家に一つ。石を配って回ると、村のあちこちに、これまで見たことのない淡い光が点り始めた。蝋燭の炎とは違う、揺れない静かな光だ。夜風に乗って、誰かの家の煮炊きの匂いがかすかに漂ってくる。この数日で初めて嗅ぐ、生活の匂いだった。
「――こりゃあ、まるで」誰かが呟いて、言葉を切った。何と例えればいいのか、この村の誰も知らなかったのだろう。
灯りの下に、自然と人が集まってくる。誰かが小さく笑う声、子供がはしゃぐ声。この村に来てから、いや、恐らくはこの村自体、久しく聞かなかった類の音だった。
人垣の端に、フィーネの姿があった。腕を組み、光る石を睨むように見つめている。
「――西で売って、東で仕入れる。往復で稼ぐ気ね」ぽつりと呟いた声に、悔しさと感心が半々に滲んでいた。「あたしがギルドに潰される前に、思いつきたかった手よ、それ」
それだけ言うと、フィーネは腕組みを解かないまま、人垣の奥へ戻っていった。何か言いたそうな横顔だったが、村長との話が先だと分かっているのだろう。
灯りに照らされた村の顔を眺めながら、俺は懐の革袋を、もう一度確かめた。まだ銀貨の大半が残っている。日当と魔灯石の元手を差し引いても、次の元手には十分すぎる重さだった。
この村に、これまでなかった数字が芽吹こうとしている。
その夜、村長宅の板間で、俺はアーヴィンと今後の算段を話していた。魔灯石の残りをどう配るか、次の往復で何を仕入れるか。話は尽きなかったが、そこへ、慌ただしい足音が近づいてきた。
戸を叩く音に、アーヴィンが眉をひそめて立ち上がる。
「――こんな時分に、何用だ」
戸を開けると、そこに立っていたのは、代官邸で見た覚えのある男だった。恰幅のいい体を夜気に震わせ、揉み手をしながら上目遣いにこちらを窺っている。バルドの取り巻きの一人だ。
「いやいや、夜分に失礼しますよ、村長様。……おや、そちらにいらっしゃるのは」男の目が、俺の顔を捉えて、卑屈な笑みが凍りついた。「これはこれは、ヴァルデ家のご子息様。噂はかねがね」
「用件を聞こう」
愛想の欠片もない返しに、男は一瞬たじろいだが、すぐに愛想笑いを貼り直した。
「なに、大した話ではございません。ただ……村に、妙な噂が立っておりましてな。誰も通ったことのない道を使って、荷を東へ運んだ者がいる、とか」
村の入り口に灯る魔灯石の光が、男の背後で揺れていた。隠すつもりも、もはやなかった。
「事実だ。それが何か」
男は一瞬、言葉に詰まったが、すぐに用意していたらしい台詞を並べ立てた。
「代官様が、大変ご懸念でございましてな。あの回廊とやらは、そもそもヴァルデ男爵家の旧領に属する街道と、古い記録にあるとか。ご子息様といえど、正式な許可なしにお使いになったとあっては……いやはや、後々面倒なことになりかねませんなあ」
言葉の慇懃さの奥に、バルド本人譲りの、探るような光があった。
「回廊が誰の許可を要する道か、証拠はあるのか」
「証拠、と言われましても……古い記録の話ですのでな。ただ、代官様は、事を荒立てたくはないとおっしゃっておいでです。穏便に、双方納得のいく形で――」
「穏便に、上納の話でもする気か」
男の愛想笑いが、一瞬だけ強張った。図星だったらしい。
「めっそうもない。ただ、代官様は、ご子息様のお立場を案じておいでなのです。無許可の街道を使ったなどと知れれば、ヴァルデ家のご当主様にも、累が及びかねませんからなあ」
家の名を持ち出されて、初めて、この男の言葉に一片の重みが混じった。ただの脅しではなく、こちらの弱いところを、ちゃんと調べた上で突いてきている。
「父にまで話を持っていく気か」
「いえいえ、滅相もない。そうならぬよう、代官様も気を揉んでおいでだと申し上げているのです」男は揉み手を続けながら、声を一段落とした。「今のうちに、穏便な形をお決めになるのが、双方のためかと」
「――伝えておけ」俺は静かに言った。「回廊を使う権利は、いずれこちらで明らかにする。今夜のところは、それだけだ」
男はしばらく俺の顔を窺っていたが、やがて一礼して踵を返した。夜道へ消えていく背中を見送りながら、アーヴィンが低く呟いた。
「――来たか」
「来ましたね」
「あの狸が、指を咥えて見ているとは思っていなかったが……」アーヴィンは戸を閉め、闇の中で小さく息を吐いた。「坊ちゃん、次はどう出る」
答えは、まだ形になっていなかった。だが一つだけ、確かなことがある。
回廊を難癖の種にするということは、あの男もまた、この道の値打ちに気づき始めたということだ。
儲けの匂いを、あの狸が嗅ぎつけた。




