第59話「この台で」
【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の二十六日の昼】
手持ち …… 銀貨二百四十七枚、銅貨十六
共有財布 …… 銀にして千二百七十一枚分(銭の数 千二百九十八枚/うち千枚分はレイ・ヴァルデの預り)
申告件数 …… 三百十七件(うち労賃百二十五件)
人口 …… およそ二百四十六人(兵は数えない)
売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)
未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)
公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン)/申告値 銀にして一万枚分・月の流通税 銀にして百枚分(当村へ納付/初月分 納付済み)
公示 …… 位の売買 一件(買主 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/銀にして千枚分/月の九日 テラ申告台)
公示 …… 人別改め 一件(辺境伯 代理 レーヴェン/札 二百四十四枚/受けぬ者 五人/月の十日)
公示 …… 徴発の償い(布告済み/台帳に載る物は申告値どおり共有財布から償う)
公示 …… 徴発の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)
公示 …… 徴発 十一件(返却 一件/支払い 十件・銀にして二百七枚分/月の十八日 テラ申告台)
公示 …… 遊休地一角(申告者 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/申告値 銀貨六枚)
公示 …… 辺境伯の布告 写し 一通(夫役/来月朔日より/月の二十日 取り下げ)
公示 …… 王国の規定 写し 一通(夫役の条/写し セリーヌ・ヴァルデ)
公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)
公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)
公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)
公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)
公示 …… 公示台帳の写し 十通(裏書=写した者の名・日・場所)
公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)
公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/成立/朔日 テラ申告台)
公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/先月の十日 テラ申告台/裏書つき)
公示 …… 西部詰所の布告 写し 一通(朔日施行/三条)
公示 …… 台帳建ての勘定(布告済み/一枚分=規定の重さの銀。ヴァルデ鋳は八割で受ける)
公示 …… 分銅の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)
公示 …… 弁済 一件(借主 セリーヌ・ヴァルデ/貸主 中央商業ギルド連合/銀にして千枚分/朔日 西部詰所/貸主承諾つき)
保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)
預り …… 七十五件(銀にして千百二十三枚分/うち一件 レイ・ヴァルデ 銀にして千枚分/うち一件 亭主の遺した銭・返すために貯めた分)
特記───「半分」
鉛は、卓に置かれても鳴らない。
銀なら澄んだ音がする。銅でも、濁りながら響く。札が板に触れる音は、濡れた布を叩いたように鈍く、卓の脚まで届かなかった。それが一枚、また一枚と、重なっていく。
二十六日の昼、卓の上の鉛の札は、判を押した者の半分を超えていた。積もった山の裾が、蓋の開いた朱肉の壺に届きかけている。その壺へ指を伸ばす者は、一人もいない。
二日前の朝、あの列を止める手は、俺の手の中に一つもなかった。
特記───「銀貨六枚で」
返事は、椀の湯気が尽きるまで来なかった。
四十一の親指に、朱が残っている。朔日には、その四十一人が北の山へ登る。手付けの札は懐の中にあり、約束は兵の帳面にしか載っていない。
錫の縁から立つ筋が細り、一度だけ傾いて、消えた。杭の頂で旗が鳴る。レーヴェンは冷めた椀を取って飲み干し、卓に戻した。目は椀の底を見たままだ。
背後で、木の棒の尻が霜を突いた。
ソルが隣に立った。約束の紙の上に重しとして置いてある俺の控えを、断りもなく引き寄せ、頁を繰る。紙の四隅が、重しを失って跳ね上がった。折り目のついた頁が、すぐに出てくる。夜のうちから、同じ行を何度も開いていたのだろう。
「どこで結んだかは、聞かない」ソルが言った。「誰を、どこから連れていく約束だ」
「テラの者を。テラの外へ」
「なら、ここで効く約束だ。ここで効く約束は、台に出す。出さずに連れ出せる者は、一人もいない」
天幕の入口の布が風で膨らみ、革と油の匂いが霜の上へ流れてきた。具足の手入れに使う脂の、重い匂いだ。布が萎むと、匂いも引いた。
「台は」レーヴェンが言った。「人を載せぬ。そちらが、そう定めた」
「載せるのは約束だ」ソルの棒が、控えの端を叩いた。「人じゃない」
「約束は、伯の土地で結んだ」
声に力みはなかった。卓の上の錫の椀に、天幕の影が縁まで差している。
「村の台の及ぶところではない。載せる板が要るなら、杭に紙がある」
「あれは、あんたが打った紙だ」ソルが言った。「台帳じゃない」
木の棒が控えの上を下りていき、頁の中ほどで止まる。棒の先が、一行の頭を押さえていた。
旗が、また鳴った。
「ここは、最初から公示の及ぶ土地だ」
棒の先が、行を叩いた。
「その土地は、伯がこの台に申告した。銀貨六枚で」
行の頭に『遊休地一角』とある。申告者の欄にオットマー・グラウ、代理の欄にレーヴェン。値の欄は、銀貨六枚。
レーヴェンの目が、控えの行から足元へ下りた。杭の根は、霜で白い土に刺さっている。天幕の四隅の綱も、卓の四本の脚も、朱肉の壺が据わった場所も、同じ土の上にあった。
外套の下の砂時計の膨らみは、動かなかった。
卓の縁から、溶けた霜の雫が三つ落ちた。天幕の内側で、誰かが鞘を鳴らし、そのあとは何の音もしなかった。
「載せよう」
「いつ載る」
「写しに二日かかる。二十六日の朝には、板に出す」
「朔日は、動かさぬ」
天幕の綱が一本、杭に擦れて軋んだ。
「動かさなくていい」ソルが控えを閉じた。「朔日までに、全部が読まれる」
「値を書くのは、こちらの手である」レーヴェンは、卓の上の紙へ顎を向けた。「持っていくがよい」
「高く書けば」ソルが紙を巻きながら言った。「四十一通ぶんの税が、毎月嵩む。安く書けば、誰でも買える。どちらかだ」
レーヴェンは答えなかった。羊皮紙は巻かれるのを嫌って、二度、端が跳ねた。巻き終えた筒からは、天幕の中と同じ匂いがした。ソルはそれを小脇に挟み、巻きの端を木の棒の尻で一度叩いた。
勝った気はしなかった。載せるのは、ただの入口だ。入口の先を読むのは、本人たちだ。
特記───「三枚」
二十五日は、羊皮紙の枚数を数えるところから始まった。
約束の全文は、羊皮紙三葉に分かれて板の左半分に収まった。四十一通を同じ文で並べれば、板が何枚あっても足りない。セリーヌは一通だけを全文で写し、残りの四十通は、名と日当だけを縦に並べた一覧にした。羽根筆が羊皮紙の目に引っかかるたび、細い音がする。右の中指は、第一関節まで墨に染まっていた。紙の端を揃える暇は、朝から一度もなかった。
卓の向こうでは、左の頬に火傷の痕のある兵が、帳面を開いて座っていた。天幕から来て、一言も発さず、頁を押さえている。百二十八行を写して帰った男が、今日は写される側にいた。名を送るたびに、兵の指が次の行へ下りる。
午後には、判を押した男たちが、仕事の合間に板の前へ来た。一人ずつ、一覧の前に立つ。字は読めない。それでも自分の名の形は知っていて、縦に並んだ黒い列を、指で上から探していく。見つけると指が止まり、横の数を見る。本人が申告台で口にした数が、そこにあった。数を確かめた男たちは、もう一度だけ名を見て、帰っていった。隣の三葉には、目を向けなかった。ダンは一覧を見に来なかった。俺の卓の上の鉛の札を、黙って取って懐へ落とし、荷を担いで戻っていった。
昼を過ぎて、ミラが荷紐を指に巻きながら板の前に来た。全文の紙の頭を、顎を上げて眺める。「申告値」の欄が、墨の一画もなく空いている。
「値の欄だけ、見事に空いてるじゃないか」ミラが笑った。「家宰様、値をつけるのを渋ってるぞ」
「渋ってない」ソルが言った。「申告は、持ち主が書く。こっちが埋めたら、それはこっちの値だ」
「じゃ、持ち主はいつ来るんだい」
「来る」
老爺が、人垣の後ろから煙管の雁首を伸ばして、一覧の端をなぞった。
「儂の名は、載っとらんのう」雁首が、最後の行で止まる。「六十八は、買う値もつかんか」
ミラが吹き出しかけて、荷紐で口を押さえた。ソルは、木の棒を持ち上げただけで、答えなかった。
ミラは荷紐を肩へ掛け直し、まだ笑いながら市のほうへ戻っていった。踵が、地面をきちんと蹴っていた。
日が傾く頃、板の脇の卓に、控えを抱えた影が一つ増えた。
フィーネは何も言わなかった。セリーヌの隣の椅子に腰を下ろし、一覧の紙を自分のほうへ引く。セリーヌの手が止まり、墨壺が指の幅ぶんだけ脇へ寄った。
風が出て、卓の上の紙の端が持ち上がった。セリーヌの指が押さえ、フィーネの指が押さえ、二人の指が、同じ角に重なった。どちらも引かなかった。
卓の隅に、筆が一本立てかけてあった。二十二日に叩きつけられて、ソルが指で揃えた穂先は、二股に分かれたままだ。フィーネはそれを取り、一覧の数字を指で拾って、自分の控えの数字と合わせていった。合えば、行の端に点を打つ。二股の穂先は、点を二つずつ並べて打った。点は、行の端で列になって増えていく。
俺は卓の端へ寄せていた控えを、半分、引いた。フィーネは、そちらを見なかった。点は、増え続けた。
夜が更けて、魔灯石の白が紙の上の影を平らにした。フィーネは一度席を立ち、宿のほうへ消えて、湯気の立つ椀を二つ持って戻った。一つはセリーヌの肘の脇に、もう一つは、俺の控えの角に置かれた。置いた手は、もう一覧の数字へ戻っていた。椀の中は、ただの白湯だった。
二十六日の夜明け前、霜を踏む足音が二つ来た。提げ灯を持った兵の、半歩前をレーヴェンが歩いている。
板の前で足を止め、三葉の全文を、端から端まで目で渡った。セリーヌが、墨を含ませた羽根筆を、柄のほうから差し出す。レーヴェンは受け取り、空いていた欄に、迷いなく書いた。角の立った字は、欄の幅の半分も使わなかった。筆はセリーヌへ返された。レーヴェンは、口を開かなかった。
「……一通、銀貨三枚」
フィーネが読んだ。二股の筆が、控えの上で止まっている。
「四十一通で」ソルが言った。「月に、銅貨百二十三」
兵の提げ灯が揺れ、霜の上で影が長く伸びて、縮んだ。レーヴェンは来た道を戻っていった。振り返らなかった。
値がついたのは、人ではない。人を縛る紙だ。紙の値を見れば、その向こうで男が一人いくらに数えられているかが読める――三枚。
東の山の縁が、白くなり始めていた。欄の墨は霜に冷やされて、艶を失っていった。
特記───「読む」
読み上げは、日が杭の頭に届く頃に始まった。
セリーヌは板の前に木箱を据え、その上に立った。声に抑揚をつけない。紙に書かれた高さのまま、口から出す。名のところでも、日付のところでも、息の継ぎ目は同じだった。木箱の脇には、控えを抱えたフィーネが立っている。唇が、読み上げより一語ぶん遅れて動いていた。
朝のうちから、人は板の前から麦倉の脇まで詰めていた。判を押した男の家の者が、最前列を取っている。字の読める者が先に前へ出て、一覧の名を指で数え、数え終わると黙って後ろへ下がった。読めない者は読める者の口を見て、読める者は紙を見る。視線が、二つの高さに分かれていた。ダンは最前列の左端にいる。腕を組み、組んだ肘の内側を、母親の手がつかんでいた。判を押した日は雲を見ていた目が、今日はセリーヌの口を見ている。手の甲の皮は、日に焼けて、節ごとに白く浮いている。
「雇い入れの約束。四十一通。雇い主、オットマー・グラウ。代理、レーヴェン。一通の申告値、銀貨三枚」
最前列の誰かが、三枚、と言った。壮年の男で、自分の口から出た数に、自分で先に驚いているようだった。
「九十日が」男は、後ろの者に向けるでもなく続けた。「三枚か」
返す者はいなかった。セリーヌの声は、その上を通り越して、期間と人別へ進む。作業は日の出から日没まで。昼の休みは一度。病の者は三日まで休んでよい。水は山の井から汲む。夜の灯は、日没から一刻まで。寝床は山が貸し、夜具は持参とする。鑿と槌は山が貸し、折った者は弁じる。夜具は持参、のところで、前列の男が、肩の外套を握り直した。鑿は弁じる、のところで、後ろの誰かが舌打ちをした。
同じ高さのまま、三つの行が通った。
「日当は、申告の値をもって、山の札にて払う。山の店の値は、山が定める。借りの残る者は、山を出ぬ」
宿の主の腰で、鍵束が一度鳴って、止まった。最前列で、親指に朱の残る手が一つ、また一つと、拳の中へ隠れていった。人垣の最後列では、荷を担いだヨエルが、首の後ろへ手を上げて、そのまま下ろさなかった。ガンツの石粉の手が、その肩に載った。
約束の全文が終わると、セリーヌは一覧に移った。名と、日当の数。名が読まれるたびに、人垣のどこかで肩が動いた。最初の名が、ダンだった。声は、次の名と同じ高さのまま通り過ぎた。
四十一番目の名を読み終えて、セリーヌは紙から目を上げた。兵が杭の脇で早口に読んだときの、倍は掛かっていた。木箱の上の背筋は、読み始めと同じ角度だった。
板の上の一通が、秤の皿に載ったように揺れた。墨の字が一度ほどけ、読める形に戻る。
『雇い入れの約束/真価:鎖/世評:日当つきの、九十日の仕事』
人垣から、声がした。ダンの肘をつかんだまま、母親が板の紙を見ている。
「三枚で、うちの子が買い戻せるのかい」
ソルは、答えるまでに木の棒を持ち替えなかった。
「買える。安く書いた紙は、誰でも、安く買える。本人でも、家の者でもだ」
「三枚だろうが」壮年の男が言った。「日当は日当だ。冬が越せる」
答える者はいなかった。
ダンの腕が、ほどけた。母親の指は、袖の布を離さなかった。ダンが一歩出ると布が伸び、二歩目で、指のほうが先に力を失った。ほどけた手は前掛けの上へ落ち、そのまま動かなかった。
荒れ地の道を、男が一人で歩いていく。麦袋は担いでいない。襟の後ろで、荷縄の跡が赤かった。俺は人垣を離れ、ソルと並んで、十歩ほど後ろをついていった。
天幕の前の卓には、兵が座り、レーヴェンがその脇に立っていた。
ダンは卓の前で足を止め、懐から鉛の札を出した。掌を返して、卓に落とす。鳴らなかった。札の表の砕けた車輪の上に、親指の朱が半分だけ移った。
「借りは、作らねえ」
レーヴェンは、札に手を伸ばさなかった。兵が帳面を開きかけて、閉じた。
兵の足元の麻袋は、口の膨らみが少しも減らないままだった。減らない袋の脇で、卓の上の山だけが育っていく。
ダンの次に、人垣から男が一人出た。鍋の車の若い男だった。札を手の甲で払うように卓へ飛ばし、札は跳ねて朱肉の壺の縁に当たり、蓋が転がった。兵が蓋を拾い、壺に戻した。
娘の手を引いた父親が来た。娘の手は握ったまま、反対の手で札を載せ、札の縁が卓の縁と平行になるまで、指で直した。列の五番目にいた男は、札を置いたあと、その上に掌を押し当てて、退けなかった。退けたとき、掌に札の形が白く残っていた。
若い男が二人、連れ立って来た。一人が置き、もう一人は札を握ったまま、相方の置いた札をしばらく見てから、置いた。年嵩の男は札を置くと、朱肉の壺へ手を伸ばしかけ、自分の親指の朱を見て、引っ込めた。誰かの投げた札が兵の胸に当たり、落ちた。兵は口を閉じたまま屈んで拾い、卓の山へ載せた。杭の脇で毎朝数を足していた声は、今日は一つも出なかった。
首から紐で下げていた男は、外すときに襟へ引っかけ、頭から脱ぐようにして外した。女房が夫の懐から札を抜いて、自分の手で卓へ置いた夫婦もいた。夫は、空いた懐に自分の手を入れ、何もないのを確かめてから、出した。
誰も、何も言わなかった。置く音は、どれも鳴らない。
機織りの弟が卓の前に来たのは、山が膝の高さになった頃だった。兵の前で懐を探り、出てきたのは紐だけだった。紐穴に通すはずの先に、札がない。子供に持たせた札は、子供と一緒に、どこかの路地へ消えていた。弟は紐を卓に置き、腰の革袋から銀貨を三枚出して、その隣に並べた。銀が卓で鳴った。この日、卓で鳴った音は、それが最初だった。
「札を返す者は、手付けを戻す」ソルが控えを卓の端に開いた。「返せぬ者は、三枚で紙を買う。どちらでも、紙は本人の手に戻る」
レーヴェンの手が、銀貨の上で止まった。受け取る形に開いた指が、三枚の上で一息ぶん動かない。それから一枚ずつ、袖の内へ落とした。
ソルが弟の名の横に書き込んだ。『買主 本人』。
道の脇には、札を懐に入れたまま立っている者が、何人かいた。最初に「三枚か」と言った壮年の男も、その中にいた。男は、卓と板を、交互に見ていた。
レーヴェンは卓の前に立ち、戻ってくる札を、一枚ずつ指で寄せていた。札の縁を揃える指は、置かれるたびに動き、一度も止まらなかった。
夕の旗が、杭の頂から長い影を引いていた。卓の上の鉛は、三十四枚になっていた。
ソルが木の棒の先で山を端から崩し、五枚ずつ除けていった。六つ目の山のあとに、四枚が残った。夕の光を受けて、札の灰色が赤を帯びている。兵は一度も手を出さず、帳面は閉じたままだ。残る六人は道の脇に立って、懐に手を入れたまま動かない。
「三枚なら」ミラが、札の山と、遠くの板の紙とを見比べた。「あたしが四十一通、まとめて買ってやろうか」
「買ったら」フィーネが、控えを抱えて言った。「あんたが、四十一人の雇い主よ」
ミラの口が開いたまま、荷紐を巻く指が止まった。
「……やめとく」
フィーネの口の端が、動いた。動いて、すぐに戻った。
ソルの肩が、一度揺れた。
レーヴェンは札の山を見たまま、口を開いた。
「出ていけると知れた手は、山では手にならぬ」
レーヴェンの顔が、兵のほうへ向いた。
「取り下げとする。残りの四十通、すべて」
兵は帳面を脇に挟み、腰の墨壺の蓋を回しながら歩き出した。レーヴェンがそのあとに続く。俺たちは、少し離れてついていった。
板の前で、兵は羽根筆を墨壺に浸し、一覧の上から線を引いていった。名の上を、一本ずつ。筆が羊皮紙の目を擦る音は、セリーヌの筆の音と同じ速さだった。六人は、いつのまにか板の前に来ている。自分の名の上を線が通るのを、一人ずつ、最後まで見ていた。
四十本目で、筆が止まった。兵は線の上へ砂を振り、息を一つ当てた。粒がセリーヌの手の甲に飛んだ。セリーヌは、払わなかった。
線を引かれた一覧は、そのまま板に残った。風が当たっても、釘穴は鳴らなかった。
セリーヌが、線で潰された一覧の脇へ、自分の筆で三字を足した。『取り下げ』。写し手の字は、兵の引いた線より、ずっと細かった。
フィーネは、俺の隣に立っていた。肩が触れるほどの間合いで、二人とも線を見ている。
「……止めたのは、あんたじゃないからね」
「ああ」声が、遅れて出た。「ダンだ」
フィーネは、それに答えなかった。答える代わりに、二股の筆を、俺の控えの上へ置いた。
日が落ちきる前に、三人が板の前へ来た。取り下げていた労賃の行へ、自分の手で、自分の値を書き直す。ダンは数を口で言い、フィーネの筆が、それを行に戻した。二人とも、顔を上げなかった。
麦袋を担ぎ直そうとしたダンの肩に、母親の手が伸びた。袖ではなく、袋の端をつかんで、持ち上げるのを手伝う。ダンは、手伝わせた。
レーヴェンは、板の脇の卓の端に立っていた。外套の懐へ手を入れ、真鍮の砂時計を出す。卓に据え、手首を返した。上の硝子に溜まっていた砂が、細い口へ寄っていく。
「六人の札は」俺は言った。
「鉛である」レーヴェンは砂時計から目を離さなかった。「返すには及ばぬ」
兵は先に、荒れ地の道を戻り始めていた。
「朔日に、また来る」レーヴェンが言った。
外套の裾が霜の名残を払い、足音が一つ、荒れ地の道へ遠ざかった。朔日まで、あと五日。
硝子の中で、砂は一本の細い筋になって落ちていた。
【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の二十六日の夕】
手持ち …… 銀貨二百四十七枚、銅貨十六
共有財布 …… 銀にして千二百七十七枚分(銭の数 千三百四枚/うち千枚分はレイ・ヴァルデの預り)
申告件数 …… 三百二十件(うち労賃百二十八件)
人口 …… およそ二百四十六人(兵は数えない)
売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)
未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)
公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン)/申告値 銀にして一万枚分・月の流通税 銀にして百枚分(当村へ納付/初月分 納付済み)
公示 …… 位の売買 一件(買主 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/銀にして千枚分/月の九日 テラ申告台)
公示 …… 人別改め 一件(辺境伯 代理 レーヴェン/札 二百四十四枚/受けぬ者 五人/月の十日)
公示 …… 徴発の償い(布告済み/台帳に載る物は申告値どおり共有財布から償う)
公示 …… 徴発の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)
公示 …… 徴発 十一件(返却 一件/支払い 十件・銀にして二百七枚分/月の十八日 テラ申告台)
公示 …… 遊休地一角(申告者 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/申告値 銀貨六枚)
公示 …… 辺境伯の布告 写し 一通(夫役/来月朔日より/月の二十日 取り下げ)
公示 …… 王国の規定 写し 一通(夫役の条/写し セリーヌ・ヴァルデ)
公示 …… 雇い入れの約束 四十一通(雇主 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/一通 銀貨三枚/月の二十六日 公示/一通 買い戻し・買主 本人/四十通 同日 取り下げ)
公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)
公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)
公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)
公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)
公示 …… 公示台帳の写し 十通(裏書=写した者の名・日・場所)
公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)
公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/成立/朔日 テラ申告台)
公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/先月の十日 テラ申告台/裏書つき)
公示 …… 西部詰所の布告 写し 一通(朔日施行/三条)
公示 …… 台帳建ての勘定(布告済み/一枚分=規定の重さの銀。ヴァルデ鋳は八割で受ける)
公示 …… 分銅の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)
公示 …… 弁済 一件(借主 セリーヌ・ヴァルデ/貸主 中央商業ギルド連合/銀にして千枚分/朔日 西部詰所/貸主承諾つき)
保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)
預り …… 七十五件(銀にして千百二十三枚分/うち一件 レイ・ヴァルデ 銀にして千枚分/うち一件 亭主の遺した銭・返すために貯めた分)
特記───「朔日に、また来る」




