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第57話「領内」

【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の二十日の朝】

手持ち …… 銀貨二百四十七枚、銅貨十六

共有財布 …… 銀にして千二百六十一枚分(銭の数 千二百八十八枚/うち千枚分はレイ・ヴァルデの預り)

申告件数 …… 三百二十件(うち労賃百二十八件)

人口 …… およそ二百四十六人(兵は数えない)

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)

公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン)/申告値 銀にして一万枚分・月の流通税 銀にして百枚分(当村へ納付/初月分 納付済み)

公示 …… 位の売買 一件(買主 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/銀にして千枚分/月の九日 テラ申告台)

公示 …… 人別改め 一件(辺境伯 代理 レーヴェン/札 二百四十四枚/受けぬ者 五人/月の十日)

公示 …… 徴発の償い(布告済み/台帳に載る物は申告値どおり共有財布から償う)

公示 …… 徴発の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)

公示 …… 徴発 十一件(返却 一件/支払い 十件・銀にして二百七枚分/月の十八日 テラ申告台)

公示 …… 遊休地一角(申告者 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/申告値 銀貨六枚)

公示 …… 辺境伯の布告 写し 一通(夫役/来月朔日より)

公示 …… 王国の規定 写し 一通(夫役の条/写し セリーヌ・ヴァルデ)

公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)

公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)

公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)

公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)

公示 …… 公示台帳の写し 十通(裏書=写した者の名・日・場所)

公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)

公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/成立/朔日 テラ申告台)

公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/先月の十日 テラ申告台/裏書つき)

公示 …… 西部詰所の布告 写し 一通(朔日施行/三条)

公示 …… 台帳建ての勘定(布告済み/一枚分=規定の重さの銀。ヴァルデ鋳は八割で受ける)

公示 …… 分銅の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)

公示 …… 弁済 一件(借主 セリーヌ・ヴァルデ/貸主 中央商業ギルド連合/銀にして千枚分/朔日 西部詰所/貸主承諾つき)

保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)

預り …… 七十五件(銀にして千百二十三枚分/うち一件 レイ・ヴァルデ 銀にして千枚分/うち一件 亭主の遺した銭・返すために貯めた分)


特記───「領内」


「知っておる」


レーヴェンは右の紙から目を離した。読むのに、息を二つもかけていなかった。


板には紙が二枚並んでいる。左は一昨日の夕の羊皮紙。右は、夜明け前にソルが打った一枚だ。釘を木の棒の尻で叩き入れる音が、まだ寝ている家々の戸に当たって、返ってきた。セリーヌの黒い墨の字は、どの行も頭が揃って、同じ高さの縁から始まっている。余白の隅に、条の番号と、写し手の名。朝の湿りを吸って、墨の縁が毛羽立っていた。『第二十九条 夫役は、領内の普請に限る』。


セリーヌは板の脇に立って、紙の端を揃えていた。揃える端は、とうに揃っている。


レーヴェンは天幕から一人で歩いてきて、半円を割って板の前に立ったところだった。木箱は提げていない。兵は二人、少し離れた荷車の脇に待たせてある。半円は昨日の続きで、朝のうちからできていた。桶の女も斧の男もいる。子供の手に、棒がない。


字の読める者が、先に板の前で読み上げていた。読めない者は、口の動きを目で追っていた。「領内」の二字のところで、声の詰まる者が多かった。テラは領内か。峠はどうか。回廊は。互いに聞き合って、誰も答えを持たなかった。


「知っていて、打ったのか」ソルが聞いた。木の棒の先は、左の羊皮紙の最後の一行を指している。


「打った」


余白の隅の、写し手の名のところで、レーヴェンの目が一度止まった。それから誰に言うでもなく、板に向かって言った。


「北の山は、領内ではない」


広場の端で、荷車が一台、軸を鳴らして通り過ぎる。その音が遠ざかって聞こえなくなるまで、誰も口を開かなかった。


「領内ではない、と言うなら」ソルの木の棒が、左の紙の上で止まった。「この布告は」


「下ろす」


そう答えてから、レーヴェンは後ろを向いた。


「下ろせ」


荷車の脇から、兵が二人、板の前へ来た。右の兵の腰に、釘抜きが差してある。釘の頭の下へ爪をかけ、梃子の要領で起こすと、鉄が木を離れるときに、きい、と細い声を立てた。羊皮紙の左の端が剥がれて反り返る。二本目が抜けたとき、紙は兵の手の中で、自分から巻かれていった。


濡れた板の肌に、釘の穴が二つ残った。指で突いた跡のような、黒い丸だった。縁に朝露が溜まって、丸の底が光った。風が板を渡ると、穴が細く鳴った。二つの穴は、鳴り方が少しずつ違った。


二枚の紙が並んでいた板の左半分が、空いた。右の写しだけが、板に残って、風に端を震わせている。


兵が巻いた羊皮紙を差し出す。レーヴェンは受け取って、懐へ入れた。砂時計の膨らみの隣に、紙の筒が並んで収まる。一昨日のように板の縁へ置くことも、手で触れることもなかった。


「取り下げの行も」レーヴェンが言った。「書くがよい」


「言われなくても、書くに決まってるでしょ」


フィーネの筆が、控えの布告の行に走った。「取り下げ」。墨が湿っているうちに、日付を添える。月の二十日。筆の運びが、いつもより荒かった。


半円のあちこちで、札の紐が放された。紐が胸を打つ音が、いくつも重なる。桶の女が桶を持ち上げ、水が縁で揺れた。宿の主の鍵束が一度鳴って、握り込まれて止まった。誰かが笑いかけて、隣の者に袖を引かれた。アーヴィンの組んだ指がほどけ、また組み直された。半円の後ろで、年寄りが膝を折って座り込み、立ち上がるのに両脇から手が要った。右の紙の下の隅がめくれかけて、セリーヌの指の腹が、それを黙って押さえた。


ソルは控えの余白の三行を見ていた。人を数える。物を取る。人を働かせる。三行目へ引きかけた木の棒の先が、紙の上で止まって、そのまま持ち上がった。


ヴォルクが支柱から肩を起こして、板の前へ出た。外套の泥は、もう払われている。釘穴の一つに、人差し指を入れてみた。指のほうが、穴より太かった。


「引き下がるのか」


「急がぬ」


それだけ言って、レーヴェンは天幕へ戻っていく。兵が二人、あとに続いた。釘抜きを腰へ戻す兵の掌で、抜いた釘が二本、触れ合って鳴った。


俺は卓の脇から、その背を見ていた。周りの者が息をついているあいだ、目は懐の膨らみに貼りついたままだった。人を数える男が、八十七の手を、紙一枚で手放した。手放したのではなく、置いたのだ。


特記───「荷を解く」


縄が解ける音がしたのは、昼前だった。


鍛冶屋の戸口の脇で、荷車の縄が一本ずつ緩められていく。妻が荷台の縁に足をかけ、逆さに括られていた揺り籠を、両腕で抱えて下ろした。柳の枝が荷台の板を擦って、青い匂いが立つ。揺り籠は戸口をくぐって、見えなくなった。少しして、梁から吊るされるのが戸の隙間から見えた。縄の結び目は、荷に括られていた時とは違う結び方をしていた。


次に鞴の革が出てきた。鍛冶屋は畳み目を伸ばし、革の端を木枠に当てがって、爪の先で釘の位置を探している。重すぎて積めなかった金床は、奥の土間に据わったままだった。戸口の闇の奥で、冷えた鉄に槌が一度だけ落ち、澄んだ音が路地へ出てきた。炉の灰が掻き起こされ、火打ち石が二度鳴り、三度目で煤の匂いが流れ出す。


機織りの枠が、脚を下にして立てられた。包帯の巻かれた親指が、縄の最後の結び目を解いている。鍋の車では、若い男が鍋を一つずつ下ろして、母親の足元の土に並べ始めた。老女は膝の毛布を畳み、鍋の列を目で数えて、一つ足りないと言いたげに若い男の袖を引く。若い男は鍋の間を探し、一つ見つけて、並べ直した。老女は並べ終えた鍋の一つを指の節で叩き、割れていない音を聞いて、毛布の膝へ手を戻した。


市の天秤の皿が、ようやく鳴り始めていた。分銅が置かれ、皿が傾き、外される。干し魚の吊り紐に、今日は蠅がいない。昨日、九十本の線を引きかけて棒を投げた子供が、その棒を拾い、地面に引いた昨日の線を、足の裏でこすり消していた。


機織りは枠に経糸を一本ずつ掛け直し、掛けるたびに指で弾いて、張りを確かめていた。弾かれた糸が、ぴん、と鳴る。昨夜まで、あの枠は、ただ縛られた木だった。


ゲオルクの店先では、箒の柄が壁に立てかけられたままだった。昼を過ぎて、パンを買いに来る客が、列と呼べるほどになった。ゲオルクは値を言う前に、いつも一度、唾を飲む。今日は、飲まなかった。宿の主が地下から酒樽を転がし出し、栓を抜いた。集まった者の椀に、最初の一杯が注がれる。昨日、笑いかけて口を押さえた桶の女が、今日は声を出して笑った。笑い声に、井戸端の誰かが釣られた。広場の端で、子供が走った。走る足音が、久しぶりに広場を横切った。井戸の滑車が、一日ぶりに軋んだ。パン屋の竈には、朝から二度目の火が入り、焼きたての匂いが市を渡って、昨日まで素通りしていた客の足を止めた。アーヴィンは控えの束を日向に出して干していた。三晩分の湿りで、紙の端が波打っている。


「家宰様、意外と話の分かる男じゃないか」


ミラが荷紐を指に巻きながら、広場の端で言った。踵が地面を蹴っていない。


「あの子の写しを読ませりゃ、あっさり下ろしたよ。あんたら、あたしの見てないところで、何か仕込んだだろう」


「何も仕込んでない」フィーネが控えを抱えたまま答えた。「だから、嫌なの」


「嫌?」


「分かる男が、一番、厄介なの」


「あんたは疑い深いねえ」


ミラは荷紐を肩に掛け直して、笑ったまま市のほうへ歩いていった。フィーネは、その背に言い返さなかった。控えの角を、筆の尻で一度、叩いただけだった。


老爺が板の前に立っていた。煙管の雁首から、鉄の札を外している。紐の結び目が固く、爪で何度か引っかいて、ようやく解けた。


「印のない札は、ただの鉄じゃ」札を掌に載せ、日に透かすように眺める。「釘にでもするかのう」


「釘にするなら、兵の天幕に打ってやりゃいいじゃないか」戻ってきたミラが言った。


「儂の釘は、儂の板にしか打たんわい」


老爺は鉄の札を懐へしまい、煙管を吹かした。灰が一粒、板の穴の縁に落ちた。子供が棒を釘穴に差し込み、母親に襟首を引き戻された。


板の脇では、誰かがセリーヌの手に、湯気の立つ蒸し饅頭を押し込んで、何も言わずに去っていった。セリーヌは手の置き場を失い、紙の端の代わりに、饅頭の端を揃えかけて、やめた。


荷運びに戻ったダンが、麦袋を担いで広場を横切ってくる。襟の下の肩に、荷縄の跡があった。板の前には、母親が立っていた。羊皮紙のなくなった二つの釘穴を、日に焼けた手の甲を前掛けに押し当てたまま、いつまでも見ている。


ダンは麦袋を足元に下ろし、母親の横に並んだ。襟から荷縄の跡がのぞいている。


「飯だ、おふくろ」


母親は、釘穴から目を離さなかった。ダンが麦袋を担ぎ直すと、その袖を、後ろ手に探して、つかんだ。


俺は路地の入口に立って、鍛冶屋の戸口を見ていた。鍛冶屋が、荷台に残った最後の縄に手をかけた。鞴の革を縛っていた縄だ。結び目を解けば、あの家の荷は、全部もとの場所に収まる。


俺は口を開きかけて、閉じた。止める口実を、何一つ持っていない。朔日まで、あと十一日ある。


鍛冶屋は縄を解いた。革の端が、ほどけて垂れた。


夕方になって、フィーネは控えの下段に、日の入りを書き付けた。銀にして四枚分。昨日の倍になっていた。市の手が戻ったのだ。


峠へ向かう道に、兵の背は一つもなかった。荒れ地の竈の煙は昨日と同じ六つで、同じ高さに昇っている。


天幕のほうから、兵が一人、板間へ来た。腰に墨壺を提げ、脇に帳面を抱えている。左の頬に火傷の痕がある。


兵は卓の前に立つと、断りも入れずに労賃の欄を開いた。公示の台帳は、誰が見てもよい頁だった。フィーネが筆を置いた。穂先の墨が、卓の上で乾いていく。ソルの木の棒が、控えの上に横たえられる。頁の端へ伸びた兵の手の、一寸手前で、棒は止まった。止める条は、どこにもない。棒は、それ以上動かなかった。


兵は帳面を卓の端に広げ、羽根筆を墨壺に浸した。帳面には、罫がすでに引かれている。名の欄と、値の欄。幅は、フィーネが控えに引く罫と同じだった。名を写す。日当を写す。次の行へ。余白の黒い点には、一度も筆を止めなかった。点の打たれた行も、打たれていない行も、同じ速さで。筆の音は一定で、頁をめくるたびに、紙の端が卓の縁に擦れた。


「……何を写してるの」


兵は答えなかった。筆を浸し、次の行を写した。百二十八行を、上から下まで。蝋燭が一本、短くなった。


最後の行を写し終えると、兵は頁に砂を撒いた。息で吹き払う。砂が卓の上に散って、フィーネの控えの端に、細かい粒が残った。兵は帳面を閉じ、脇に抱えて、来たときと同じ歩幅で戻っていった。


フィーネは掌の側面で、控えの砂を払った。払っても、頁の溝に入った粒が、指に触れて、ざらついた。


特記───「飛び石」


沢は、村から北西へ半刻ほど入った窪地を流れていた。月は十九日を過ぎて、出が遅い。灯りは持たなかった。目が暗がりに慣れるまで、水の音だけを頼りに斜面を降りた。


ヴォルクは流れの縁にしゃがんで、石を置いていた。浅瀬の幅に、人の歩幅で一つずつ。置くたびに足で踏んで揺らし、動かないことを確かめる。石が沈むたび、暗い水面に、輪が一つ広がって消えた。脱いだ外套が岩の上に丸めてあり、袖をまくった腕に、苔の緑がこびりついていた。


「何しに来た」背を向けたまま、ヴォルクが言った。


「道を見に」


「止めに来たのか」


「止めない」


ヴォルクの手が、石の上で止まった。振り向きはしない。


「十二日、預けろと言ったのは、あんただ。十一日になった」


「ああ」


「使わずに済むなら、それが一番いい。済まなかった時に、道がなけりゃ、あんたは何を渡す」


「何も、渡せない」


「だから、石だ」


ヴォルクは顎で、岸に積んだ石の山を示した。俺は一番手前の石を抱えた。腕に来る重さは、想像した倍あった。浅瀬に一歩入ると、苔の上で踵が滑った。石が腕から離れて、水に落ちる。しぶきが、ヴォルクの顔の半分を濡らした。くるぶしが、冷たさで痺れた。


ヴォルクは濡れた顔を拭わなかった。笑った。声は水音に混ざって、すぐ消えた。


「あんたが持つと、石が逃げる」


「石にも、嫌われたらしい」


「小さいのを持て」ヴォルクが、岸の山の一番上を指した。拳ほどの石だった。「あんたの手は、数える手だ。運ぶ手じゃない」


拳ほどの石を、流れの真ん中へ置いた。ヴォルクが片足を載せて、体重をかける。石は動かなかった。流れが、ヴォルクの足首を左右に分けて、暗いほうへ通り過ぎていった。


特記───「言い値で」


二十一日の朝は、フィーネに叩き起こされた。


「天幕の前に、杭が立ってる」


戸口で、フィーネは外套の前を合わせもせずに言った。髪が片側だけ潰れている。眠っていない顔が、寝すぎた顔のように見えた。寝床から這い出て靴を探すあいだ、フィーネは足を踏み替えて待っていた。


荒れ地へ向かう道は、夜露で重かった。歩きながら、フィーネが言った。


「昨日、あの兵は何も取らなかった。取らない日の次は、取る日よ」


返事の代わりに、足を速めた。


天幕の前に卓が出ていた。荒れ地の中ほどで、杭が一本、陽に向かって立っている。杭に羊皮紙が一枚、打たれていた。布告と同じ羊皮紙で、同じ形の釘だった。違うのは、釘の頭がまだ光っていることだ。


卓の上に、朱肉の壺と帳面が置かれている。朱肉の油の匂いが、風に乗って届いた。帳面は昨夕のものだった。壺の脇に座った兵の左の頬に、火傷の痕があった。昨夕、百二十八行を写した兵だ。壺の蓋は閉じている。蓋の縁に、前に使った朱がこびりついて、黒ずんだ赤の輪を作っていた。


杭の紙は釘一本で端を止められただけで、風に反っていた。レーヴェンは、その反りを押さえようともしない。天幕の布が、背後で鳴っている。


文面は三行だった。


『雇い入れ。北の山の普請。九十日。

日当は、テラの申告台に記された各人の労賃の値をもって払う。

グランゼ辺境伯』


文字は迷いなく、角が立っている。昨日の布告と、同じ手だ。


人垣が、杭の前に厚くなっていった。字の読める者が二行目を読み上げ、読めない者が、その口元に耳を寄せる。読めない者も、自分の値だけは知っていた。申告台で、自分の口で言った数だ。隣に二行目をもう一度読ませ、そこに自分の値が書かれていないことを確かめてから、それでも口の中で、自分の値を転がしている。


女が一人、指を折って数えていた。麦の値に直しているらしい。折った指が、途中で片手では足りなくなって、もう一方の手へ移った。


「俺の値で、だとよ」


声は低く、誰に向けたものでもなかった。


「三行じゃな」老爺が、人垣の後ろから首を伸ばして言った。「位の布告より、短いわい」


誰も笑わなかった。


レーヴェンが卓の脇に立っていた。外套の裾が風に揺れ、懐の膨らみは変わらない。俺と目が合ったが、避けるでも、迎えるでもなかった。


「雇う」レーヴェンが言った。「日当は、そちらの書いた値で」


フィーネが卓へ寄り、帳面を覗き込んだ。昨夕、兵が写していた労賃の欄が、名と値の二列で並んでいる。最初の行は鍛冶屋で、日当は銅貨二十七とあった。本人が申告台の前で、自分の口で言った数だ。「七」の横棒が、右へ長く払われていた。フィーネが板に書き続けてきた癖が、そのまま移っている。


「……あたしの字」


声が先に出て、フィーネは筆の尻を握り直した。帳面と杭の紙を、何度も見比べる。杭の紙の二行目、「各人の労賃の値」の字だけが、他の行より墨が濃かった。書き手がそこで筆を止め、墨を足した跡だった。


「払うなら——」


そこで止まった。口が半分開いたまま、続きが出てこない。


ソルの木の棒の先が、杭の紙の二行目を下りていって、「値をもって」の上で止まった。他の行より、長く。突ける穴は、どこにも見つからないらしい。棒が持ち上がった。


「言い値で、雇う」


棒の尻が、卓の縁を一度叩く。


「……こちらの作法だな」


レーヴェンは、それを否定しなかった。肯定もしなかった。砂時計に手をやることもなく、天幕の入口の布を、半歩ぶん空けた。入口の暗がりの奥で、木箱の蓋が一つ、閉まる音がした。


人垣の前列に、昨日、荷を解いた者が多い。揺り籠を戸口へ下ろした鍛冶屋が、腕を組んで、杭の紙を遠くから読んでいる。唇が二行目で止まり、また一行目へ戻った。機織りの包帯の親指が、その隣にあった。鍛冶屋の妻は人垣の端で、夫の肘の内側を握っている。握った指が、白くなっては戻った。鍋の車の若い男は、母親を家に置いてきたらしく、手が空いていた。


払わずに取る布告を先に打ち、次に払うと言う。最初から、こちらが本命だった。


人垣の中から、誰かが歩き出した。


ダンだった。麦袋は担いでいなかった。襟の後ろで、荷縄の跡が一筋、赤く光っている。列も作らず、帳面を持つ兵に呼ばれもせず、卓のほうへ一人で歩いていった。途中で一度、人垣の外れへ首が動きかけて、止まった。足取りは、迷っているようには見えなかった。


人垣の外れで、日に焼けた手の甲が前掛けを離れ、隣へ伸びた。袖を探して、空をつかんだ。


卓の向こうで、兵の手が朱肉の壺の蓋を回した。


【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の二十一日の朝】

手持ち …… 銀貨二百四十七枚、銅貨十六

共有財布 …… 銀にして千二百六十五枚分(銭の数 千二百九十二枚/うち千枚分はレイ・ヴァルデの預り)

申告件数 …… 三百二十件(うち労賃百二十八件)

人口 …… およそ二百四十六人(兵は数えない)

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)

公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン)/申告値 銀にして一万枚分・月の流通税 銀にして百枚分(当村へ納付/初月分 納付済み)

公示 …… 位の売買 一件(買主 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/銀にして千枚分/月の九日 テラ申告台)

公示 …… 人別改め 一件(辺境伯 代理 レーヴェン/札 二百四十四枚/受けぬ者 五人/月の十日)

公示 …… 徴発の償い(布告済み/台帳に載る物は申告値どおり共有財布から償う)

公示 …… 徴発の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)

公示 …… 徴発 十一件(返却 一件/支払い 十件・銀にして二百七枚分/月の十八日 テラ申告台)

公示 …… 遊休地一角(申告者 オットマー・グラウ/代理 レーヴェン/申告値 銀貨六枚)

公示 …… 辺境伯の布告 写し 一通(夫役/来月朔日より/月の二十日 取り下げ)

公示 …… 王国の規定 写し 一通(夫役の条/写し セリーヌ・ヴァルデ)

公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)

公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)

公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)

公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)

公示 …… 公示台帳の写し 十通(裏書=写した者の名・日・場所)

公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)

公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/成立/朔日 テラ申告台)

公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/先月の十日 テラ申告台/裏書つき)

公示 …… 西部詰所の布告 写し 一通(朔日施行/三条)

公示 …… 台帳建ての勘定(布告済み/一枚分=規定の重さの銀。ヴァルデ鋳は八割で受ける)

公示 …… 分銅の照合 一件(隣領徴税官 ハウゼン/王国規定により/裏書つき)

公示 …… 弁済 一件(借主 セリーヌ・ヴァルデ/貸主 中央商業ギルド連合/銀にして千枚分/朔日 西部詰所/貸主承諾つき)

保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)

預り …… 七十五件(銀にして千百二十三枚分/うち一件 レイ・ヴァルデ 銀にして千枚分/うち一件 亭主の遺した銭・返すために貯めた分)


特記───「日当は、そちらの書いた値で」


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