第15話「集まる者たち」
【グランゼ辺境 テラ村 村の入口、夕】
手持ち …… 銀貨百六十六枚、銅貨十六
共有財布 …… 銀貨三十三枚
申告件数 …… 四十一件/人口 およそ百五十人
特記───「峠から、二十一人分の足音が近づいている」
足音が、先に届いた。
規則正しく、重い。行商の足取りとは違う。荷を担いだ者が長い距離を歩き通した後にだけ出る、崩れない足音だった。土埃の匂いに、汗と獣脂の匂いが混じって流れてくる。子供の泣き声が一つ上がり、誰かがすぐにあやした。
村の入り口に、俺は立っていた。先頭を歩くのは、ずんぐりと背の低い影だ。山のような荷を背負い、それでも歩調は乱れていない。近づくにつれ、影の輪郭がはっきりしてくる。太い腕、赤茶けた髭、荷の隙間からはみ出した鑿と槌の柄。ドワーフだった。
列は二十一人。老いた者、若い者、肩車された子供。誰もが荷を背負い、それぞれの重さを黙って運んでいた。腰の曲がった老いた男が、家財道具らしき木箱を背負い、若い男に半歩遅れて歩いている。荷車を引かない一団だった。積めるものはすべて、自分の背で運んできたのだろう。
この村に、彼らを食わせる余裕はあるのか。答えを出す前に、列が足を止めた。
「――止まれ」
ドワーフが片手を上げると、後ろの二十人が一斉に足を止めた。号令に慣れた動きだった。荷の隙間から、槌だけでなく、水準器らしき木枠や、丸めた図面が覗いている。行商の荷にしては、専門の道具が多すぎた。
「石工だ」
短い一言だった。名乗りとしては素っ気なさすぎる。だが嘘やごまかしの気配は微塵もなかった。
「どこから来た」
「北から」
それだけだった。名も、来た理由も付け足さない。俺が黙って続きを待っていると、ドワーフはようやく付け加えた。
「噂を、聞いた」
「どんな噂だ」
「値がつく市があると」
「どこで」
「マレアで」
マレアの塩問屋コルムの店先か、荷揚げ場の隅か。誰かが酒の席でこぼした言葉が、回廊を通って東から流れてきたらしい。回廊は物だけでなく、噂も運び始めている。
村人たちが、遠巻きに集まってきていた。老爺が煙管を手にしたまま、目を細めてこちらを窺っている。ゲオルクは店先から出てきて、額に手をかざしたまま動かない。歓迎の声は、どこからも上がらなかった。よそ者を見る目には、警戒の膜が張られていた。
数日前まで、彼らも似た目で見られていた側だ。台帳が村に根づき始めた今、その視線は驚くほど早く、向きを変えている。人はいつの間にか、値踏みする側に回りたがるものらしい。
「二十一人、村に置いてほしい」ドワーフは荷を下ろさないまま言った。「働く。飯以外は、いらない」
背後の列に、目をやった。若い衆が土を踏みしめ、家族連れが荷を担ぎ直す。年老いた女が、孫らしき子の手を握ったまま俯いていた。元は奴隷だったのだろう、首元に古い枷の痕を残した男が、列の端で目を合わせようとしない。誰もが、見定められることに慣れた立ち方をしていた。値をつけられる側に立ち続けた者だけが持つ、肩の縮め方だった。
「名は」
「ガンツ」
短い返事の後、また沈黙が落ちた。名乗り一つに、余計な言葉は付いてこない。だが目だけは、俺の答えを逃さず捉えていた。二十一人分の運命を、たった一人が背負って立っている重さが、その目の奥にあった。
即答できる話ではなかった。食わせる当てのない口を、二十一人分背負い込む決断だ。村の誰かに相談する前に、俺一人で決めていい種類のものではない。だが、この場で追い返せば、二度と戻ってはこないだろう。
日が傾き、影が長く伸びていた。誰も動かないまま、しばらくが過ぎた。
「今夜、話し合う」俺はようやく口を開いた。「それまで、村の外れで待て」
ガンツは頷きもせず、ただ荷を担ぎ直した。列の後ろで、子供を肩車していた男が、安堵とも諦めともつかない息を吐いた。
その夜、村長宅の板間に、村の有力どころが集まった。ランプの油が惜しいのか、灯りは一つだけだった。影が壁に大きく伸び、集まった顔の半分を暗く塗っている。
「二十一人」アーヴィンが低く切り出した。「倉の麦は、月に二百貫、市に出す売り物と決めた。施しの元手じゃない。あの者たちは、買う銭を持っておらん。ただで食わせれば、坊ちゃんが自分で敷いた仕組みが、真っ先に崩れる」
村長の声には、数字の裏づけがあった。反論の余地を削るための、実務の重みだった。
反対の声は、続けて上がった。
「よそ者だぞ」老爺が煙管の先で戸口の方を指した。「素性も知れん。どこの誰か分からん奴を、簡単に招き入れていいもんかね。代官の目を盗んで逃げてきた咎人が混じっとらんとも限らんぞ」
「素性の分からん奴を入れりゃ、面倒も一緒に入ってくる」ヴォルクが腕を組んだまま吐き捨てた。その口調に、いつもとは違う硬さがあった。「――俺だって、初めはそうだった。行く当てもなく、腹を空かせて、坂道で因縁つけられて。拾われなけりゃ、今頃どこかで野垂れ死んでた」
誰も、その一言には触れなかった。ヴォルク自身、食い詰めて流れてきた男だ。自分の来し方を苦い顔で口にしたのは、初めてだった。拾う側と拾われる側、二つの立場を同時に抱えた男の顔だった。
「うちの店の客は、増えます……けど」ゲオルクが目を伏せがちに言葉を濁す。歓迎の側に立っているのは分かったが、語尾が最後まで持たなかった。「その、蓄えを、削ってまでとなると……」
「タダで受け入れるのは反対」フィーネが腕を組んで言った。「それじゃ、物乞いを集めるのと同じでしょ。この村は、施しの村じゃない」
言い切った後、フィーネの目がわずかに揺れた。実家の反物が、誰かの施しで生き延びるくらいなら潰れた方がましだと啖呵を切った日の記憶が、透けて見えた気がした。施しは、受ける側の値を殺す。それを、あの没落で誰よりも思い知った女だった。
全会一致には、遠く及ばなかった。四方から出た言葉が、板間の空気を重くしている。灯りの油が、じりじりと音を立てて燃えていた。次の言葉を急く者は、いなかった。
視界の端が、うっすら滲みかけた。二十一人分の真価を視れば、誰を入れるべきか一目で分かる。だが、視た瞬間、この市は俺が値をつける市になる。ギルドの等級台帳と、同じものになる。
意識を、そこで止めた。
「値は、自分で書かせる」
四つの視線が、俺に集まった。
「明日、台帳に人の欄を作る。一日いくらで働くか、本人に書かせる。安く書けば、その値でしか買われない。高く書けば、見合わなければ次から誰も呼ばない」
「それで、あの者たちに銭を稼ぐ当てがあるのか」アーヴィンが低く問い返した。数字での納得を、最後まで求める男だった。
「稼がせる。働いた分の銭は、自分の書いた値で稼がせる。村が丸抱えするのとは違う」
アーヴィンはしばらく黙り、やがて小さく顎を引いた。反対を撤回したわけではない。だが、聞く耳を持つ程度の理屈は通ったらしい。
「人に、流通税は」ソルが帳面から顔を上げた。
「かけない。人は、台帳に載る側じゃない。書く側だ」
「随意買取も、適用しない」ソルは即座に一言で線を引いた。「人は、物じゃない」
反論は出なかった。だが、腑に落ちた顔でもなかった。
翌朝、広場に台が運び出された。ソルが台帳を開き、新しい欄に木の棒で線を引く。人の欄だった。
真っ先に前へ出たのは、ガンツだった。台帳の前に立つと、羊皮紙をじっと見つめたまま、動かなかった。
「値を決めるのは、誰だ」
低い声だった。
「あんただ」
長い沈黙が挟まった。太い指が、羊皮紙の縁を何度もなぞる。石粉が染みついた爪、節くれだった関節。書き慣れない手が、微かに震えていた。
やがて、木の棒が動いた。
「一日、銀貨一枚」
広場が、静まり返った。組合の等級で頭を押さえられ続けた男が、初めて自分で自分の値を書いた瞬間だった。
背後で、村人のざわめきが起きた。
「あのドワーフに、銀貨十枚も前払いだと」
「気でも触れたか」
俺は聞こえないふりをした。十日分、前払いで払う。石工衆四人分は、ガンツ自身の取り分から出すという。親方が弟子を抱える形だった。銀貨十枚は、村がこの一月かけて積み上げた流通税収入の三分の一近い。かつての経済設計者としての勘が、割に合うかを瞬時に弾いていた。答えは、まだ出ない。出るのは、井戸の水を見てからだ。
ガンツの後ろに続いた者たちは、大半が「一日、銅貨三」と俯いて書いた。首に枷の痕を残した男も、震える手でその数字を書いた。数字はどれも、同じ形をしていた。長く安値で買い叩かれ続けた者だけが辿り着く、控えめすぎる字だった。理由を、誰も口にしない。俺もまた、あえて詮索はしなかった。値の低さの裏にある事情は、本人が語りたくなるまで、こちらから暴くものではない。
「儂も、書き直していいかい」
老爺が横から割り込んできた。
「一日、銀貨二枚」
「あんた、何ができるのよ」
フィーネが即座に切り返すと、周りからどっと笑いが起きた。老爺は片眉を上げただけで、木の棒をソルに突き返す。緊張の続いた広場に、久しぶりの緩みだった。
だが笑いが引いたあとも、村のざわめきは完全には消えなかった。あの値に見合うのか。誰もが、まだ疑いの目でガンツを見ていた。値を書かせただけでは、村の腹は納得しない。値は、証明されて初めて値になる。それを分かっていたのは、俺よりも、当のガンツの方だったのかもしれない。
ガンツが最初に足を止めたのは、広場の井戸だった。
屋根の落ちた井戸小屋、縁が欠けた木桶。誰かが繕おうとした跡は残っているが、それきり放置された罅が、底まで走っている。この村に来た日、俺自身も同じ井戸端で、水桶を抱えた女に値踏みされたことを思い出した。あの頃から、この井戸だけは変わらず罅を抱えたままだった。ガンツはしゃがみ込み、石組みに指を這わせた。
「死んでる」
「何がだ」
訊いた途端、ガンツの口調が変わった。
「水脈が、石組みの目地で切れてる。上の三段、積み方が違う。北の石工じゃねえ、素人が急ごしらえで直した跡だ。目地の詰め物が土のまま、水を吸って割れてやがる。底の罅は、そこから何年もかけて広がった。石は嘘をつかねえ。嘘をついたのは、これを積んだ奴だ」
一息に言い切ると、ガンツはまた口を閉じた。饒舌だったのは、その数十秒だけだった。
老爺が、杖を突きながら割り込んできた。
「親父の代からある井戸だぞ。よそ者に、いじられてたまるか」
「二日で、直す」
ガンツは短く返しただけだった。老爺はなおも渋い顔をしていたが、ガンツはもう聞いていなかった。石工衆四人が荷を解き、古い石を一つずつ剥がしにかかる。鑿の先が目地に食い込むたび、乾いた音が広場に跳ね返った。
剥がした石の目地には、土がそのまま詰まっていた。誰かが急場しのぎで詰めたきり、直す手間を惜しんだ跡だ。ガンツは石の裏を指でなぞり、値踏みするように黙って眺めては、また次の石へ手を伸ばした。石粉が舞い、朝の光の中で白く漂う。
村の若い衆は、最初は遠巻きに眺めていた。腕を組んだまま、値踏みするような目つきで作業を追っていた者もいる。だが半日も経つ頃には、剥がした石を運ぶ手を貸し始めていた。誰が言い出したわけでもない。ただ、重い石を一つ運ぶたび、よそ者と村の若者の間で無言のやり取りが交わされ、動く手が少しずつ増えていった。汗の匂いが、石粉の匂いに混じっていく。
一日目の夜、ガンツは弟子たちと火の傍で黙々と飯を食っていた。村の女房の一人が、余った麦の粥を鍋ごと運んできた。ガンツは椀を受け取り、短く頭を下げただけだった。礼の言葉はなかったが、椀を持つ手は、丁寧だった。
二日目の夕方、木桶に水が満ちた。
老爺が真っ先に近づき、手ですくって口に運んだ。喉が、大きく動いた。それきり、何も言わなかった。親の代から使い、繕っては諦め、繕っては諦めしてきた罅だ。よそ者の手であっさり塞がれたことへの、言葉にならない何かが顔をよぎっただけだった。周りに集まった村人たちも、順に水をすくっては、口をつけていく。誰も、はしゃぎはしなかった。ただ、水の冷たさを確かめるように、長く口に含んでいた。
「石は積める」ガンツが水を見下ろしながら、初めて自分から続けた。「等級は積めねえ。北の組合じゃ、連合の指定した仕事以外を請けたってだけで、剥奪された。理由は、それだけだ」
それ以上は語らなかった。だが、その一言だけで十分だった。バルドの倉に押されていた印章と、コルムが漏らした連合の影が、頭の隅で重なりかける。塩問屋も、石工組合も、指定の外に出た者から等級を奪う。まだ確信には至らない。だが、遠く離れた場所で、同じ根から伸びた影を見せられている気がした。
視界の端が、滲んだ。
『ガンツ/真価:石と水脈を読む、大陸有数の職人の技/世評:等級を剥奪された、流れの石工』
真価と、自分で書いた値との差を、俺は見た。銀貨一枚と、この文字の間には、まだ埋まっていない溝がある。だが、口にはしなかった。ここで数字を教えれば、また誰かが値をつける市に逆戻りする。ガンツが自分で埋めるのを待つ。それが、この村の台帳が他の何とも違う理由だった。
翌朝、井戸端に人が集まっていた。流入者の何人かが、台帳の前で列を作っている。首に枷の痕を残した男も、その中にいた。
書き直しに来た者たちの手は、もう震えていなかった。木の棒を握る指が、迷いなく数字を書いていく。誰も、大きな数字は書かなかった。銅貨三が、四になり、五になった程度の変化だ。それでも、昨日より少しだけ、太い字だった。震えが止まったというだけの違いが、羊皮紙の上ではっきりと見て取れた。
ガンツだけは、動かなかった。
「――変えないのか」
「働きが変わりゃ、書き直す」ガンツは水桶に手をかけたまま言った。「今日はまだ、井戸一つだ。――旦那」
最後の一言だけ、付け足しのように短かった。それだけだった。
【グランゼ辺境 テラ村 広場、夜】
手持ち …… 銀貨百五十枚、銅貨十六
共有財布 …… 銀貨三十六枚
申告件数 …… 六十八件(うち労賃二十一件)
人口 …… およそ百七十一人
特記───「値がついた分だけ、村は増えた」
夜の広場に、井戸端の水音が絶えず流れていた。新しく建ちかけた小屋の灯りが、二つ、三つと増えている。流入者の子供が、村の子供と並んで水を汲む姿があった。桶を取り合って、片方が半分だけ譲る。小さな諍いが、笑い声に変わって消えていく。垣根はまだ低くなっただけで、消えたわけではない。それでも、昨日までなかった声の混じり方だった。
ガンツは井戸端で、弟子たちに石組みの手直しを指図していた。仕事の話をするときの声だけが、遠くまでよく通った。石を積む順を指す太い指の動きに、迷いは一つもない。
俺はその声を聞きながら、二十一人分の重さが、まだ肩に残っているのを感じていた。決断を口にする前の迷いは、誰にも言わなかった。言えば、迷いごと誰かに背負わせることになる。それは、しない。冷えた夜気が、頬の熱を少しずつ引いていく。今日一日で背負ったものの重さを、体だけが正直に覚えていた。銀貨十枚の重みは、まだ懐からも肩からも、消えていなかった。
ヴォルクが、山の稜線を見上げたまま動かなくなった。獣人の耳が、じっと立っている。
「――増えてるな」
「何がだ」
「山の獣の匂いじゃねえ」
俺は目を凝らした。峠の稜線に、小さな橙色の点がいくつも灯っている。数日前までは、なかったはずの光だった。
「野営の火か」
「野営にしちゃ、数が多すぎる」ヴォルクの声が、低く沈んだ。「それに、動かねえ。腰を据えてやがる」
獣人の耳が、風向きを探るように微かに動いた。人の気配とも、獣の気配とも違う何かを、その耳だけが拾っている。
村の竈の煙は、今日も数を増やした。だが、峠の火は、竈の火とは種類が違う。人が住みに来た足音と、何かが腰を据えて村を窺う気配は、同じ峠から届いても、まるで別の音に聞こえた。富が増えれば、それを狙う目も増える。当たり前の理屈が、今夜になって初めて、実感を伴って腹に落ちた。
――火の数が、増えていた。




