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向日葵とウィンドブレイカーの擦れる音

(引っ越しやね)

 自宅であるマンションの前には、二台のトラックが止まっていた。

 エントランスロビーは開け放たれていて、同じ作業着の人達がハキハキと挨拶をくれるので、仕方なく頭を下げる。

 入れ違いに乗り込んだエレベーターの中には『引っ越しのお知らせ』という貼り紙がしてあった。出掛ける時には気付かなかったその紙には、型通りの挨拶が記されていた。

「お母さん、ただいま」

 玄関先に掛けてあるフレームに声だけを掛けた。

 母の写真は他にリビングのテレビ台と、父の部屋のサイドテーブルにある。

 中でも私は、この写真が一番のお気に入りだった。

 小さい頃、父の膝の上でアルバムを見た時に一瞬で心を奪われた一枚。

 青空の下で向日葵を見上げるロングヘア―の母は綺麗だった。

 白のワンピースが良く似合っていて、可憐さの中に凛としたものを感じさせるのが印象的だ。

(こげな女性になりたい)

 そんな思いで飾るようになった。

(憧れ、か……)

 私が三つの時に旅立った母。

 父の話の裏を読めば、私を出産したことが死期を早めたことは間違いないだろう。

 朧げな記憶では、常に病院にいる人だった。ニット帽を深々と被り、院内の薬品の匂いを綯い交ぜにしながら優しく微笑む人。もしも生きていてくれたなら、父には相談しづらいようなことも、きっと包み込むようにして聞いてくれたと思う。

 でも、そうだとすると、きっと私はこの世にいなかっただろう。それを考えると命の尊さを学んでいる気がして、加害者に対して(死ねばいいのに)と呪う自分の感情に後ろめたさを覚えて、大切な母の写真を見ることさえ出来ないでいた。

「おかえり」

 明るいリビングから顔を出して、暗い玄関先へ父が声を掛けてきた。

「どうしたと?」

 今年で四十七になる父。

 清潔感さえあれば顔立ちは整っているので恰好良いはずなのだけれども、白いものが目立ち始めた癖の多い髪をボサボサにしたまま、無精髭を良しとする人だった。

「筑清の事務員さんから書類の不備があったって言われてからくさ。実印ば捺しにきたとよ」

 仕事着としているテニスのウインドブレーカーを、スリッパの裏拍子のように擦れさせながらやってくる。

「迷惑かけて、ごめんね」

 俯いた私は、質感が母譲りと言われたことのあるセミショートの髪に手をやった。

「なん言いよっとか。そげなことよりリハビリはどうね?」

「もう少ししたら、松葉杖も要らんごとなるって」

「そうか。頑張った甲斐あったな」

「うん……。そうだ、夜は辛子高菜のオムレツにするけんね」

「おお、それは楽しみばい」

「なんか私のことより嬉しそうやね?」

「馬鹿か。そげなことあるわけ……いや、ちょびーとだけ、あるか」

「もう!」

 渋い顔を作る私にカラカラとした笑い声を上げて「冗談やろうもん」と入れ違いに父はシューズを履く。私は「いってらっしゃい」と、その広い背中に声を掛けて、ドアの向こうから射し込んだ光に目を眇めた。

 そうして、暗くなるのと同時に溜息した。

 治っていくことは確かに喜ばしい。日常生活が楽になるから。だけど、傷も残るこの脚を何処に向けて歩ませればいいのか。怒りや悔しさ、そして諦め。

 そうした感情が波のように押し寄せて、日々に溺れるような苦しさから逃げ出したい自分がいる。なにより、父の無条件の優しさをストレスと感じてしまっている自分自身に、気持ちが圧し潰されそうになっていた。

「罰当たり……」

 力なく、私は呟いた。

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