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このポジション

「かなた!?」


 景色が白くなる。


 コートへ身体が落ちる音。


「救急車! 早く!」


 駆け寄る。


「かなた! かなた!」


 返事がない。

 その時になって、やっと気づいた。

 あの顔色。

 あの息。

 あれは、緊張じゃなかった。


(私、なんば見よったと!!)


 ずっと見ていたつもりだった。

 彼のフォーム。

 打点。

 呼吸。

 笑顔。

 全部。

 なのに。


 一番大切なものを見落としていた。

 *

 病院。

 数時間後。

 医師から家族へ告げられた。

 病気の再発。

 その言葉だけで、美紀さんの肩が震えた。

 綾乃さんが長政さんへ詰め寄る。


「様子ば見よらんかったとね!」


「すまん……」


「親父のせいじゃない」


 隆哉さんが止める。


「俺だって気づけんかった」


 誰のせいでもない。

 分かっている。

 でも誰かを責めなければ、立っていられない。

 私は、ただ呆けたように座っていた。

 *

 翌日。


「ごめんなさい」


 病室の前で、美紀さんに止められた。


「意識は戻ったんだけど……誰にも会いたくないって」


「……そうですか」


「本当にごめんなさい」


「また明日来ます」


 帰った。

〈大丈夫ね?〉

 既読にならない。

 翌日も。

 その翌日も。

〈会ってくれるまで毎日行くけんね〉

 返事はない。

 それでも行った。

 十日ほど経った頃。


「どうぞ」


 美紀さんが扉を開けて、私と入れ違いに出ていく。

 病室へ入る。


「――!?」


 息が止まりそうだった。

 二週間も経っていないのに。

 なのに。

 ベッドの上のかなたは、別人みたいに痩せていた。

 白い一房が、やけに目についた。


「……どげん?」


 ちゃんと声になったか分からない。


「見ての通り」


 彼は無理に笑顔を作った。


「LINE、ごめん」


「よかよ」


「優しくしないで」


「え?」


「当たる場所、なくなっちゃう」


「……」


(そっか)


 私は椅子を近づけ、腰を下ろした。


「じゃあ言うけど」


「……」


「返事ぐらいせんね! 彼氏以前に、人として最低やろ!」


「ごめん……」


「今度そげなことしたら別れるけんね!」


「……僕、まだ彼氏なの?」


「はぁ!?」


 思わず立ち上がる。


「君から別れるんは許さん! 私が別れるって言うまでは、君はずっと私の彼氏ばい!」


 彼の目に涙が浮かぶ。


「こんな姿なのに?」


 私はジーンズを捲った。

 靴下を下げた。

 傷痕を見せる。


「こげな脚ばい?」


「……」


「私はこれ、今でも好きやないんよ。綺麗とはとても思えん」


 彼を見る。


「でも私やろ?」


 彼が大粒の涙を零す。


「かなたも、かなたやろ」


「でも僕は病気なんだよ! またいつ元気になれるか分からない。今度こそ、本当に死ぬかもしれないんだよ!」


「やけん、なんね?」


「栞ちゃんの時間が勿体ない! もっといい人――」


 黙らせた。


「……」


 唇。

 ガサガサしていた。

 少し薬の味がした。

 ふと、母を思い出す。

 私の初めてのキス。


「私は、君の彼女でよかったとよ」


 彼の目を見る。


「このポジション、誰にも譲らんけんね」


「……」


「ファーストキスなんやけん、ありがたく思わんと有明海に沈めるばい」


「……肝に銘じます」


 涙を流しながら。

 かなたが笑った。

 そして、私も笑った。

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