恍惚とした呪い
「筑清学園やったら、入れるばい」
強豪校への進学を白紙にして、思考を停止させて入院生活を送る私に、父が言ってきた。そこは、最寄り駅から福岡方面に三つ進んだ場所にある学校だった。私が不思議に思い理由を聞くと、母方の祖父がそこの理事長で、父が入学を頼みに行ってくれたのだという。幼い頃から母方の親族の話を聞いたことのなかった私は、子供なりに気を遣ってか、詮索したことはなかった。
「実はな……」
父が初めて語ってくれたこと。それは、結婚の許しを乞いに行ったものの祖父に猛反対されて、駆け落ち同然で一緒になったという過去だった。そのため、私が生まれた時と母が亡くなった時以外は、長らく音信不通にしていたらしい。反対された理由は、家柄の違い。それだけで、厳格な祖父像が容易に浮かぶ。
「そういう時代やっただけたい」
私の中で芽生えそうな何かに先回りするように、父は言った。そして、その祖父を頼り、北九州市にある祖父母の家へ父は頭を下げに行ってくれた。そこでは、幸運だったと言うべきか、祖父と顔を合わせることはなかったらしい。けれど、「手続きが完了した」という知らせだけは祖母から受け取ったそうだ。
私は、父に促されて、緊張しつつも祖父母の家に電話を入れた。
すると「お前は別たい」と、ぶっきらぼうながらも孫娘を想う祖父の不器用な声を聞き、祖母からは「たまには遊びに来んしゃい」と、優しい言葉を掛けてもらい心温まる思いをした。
けれど、滾るものが拭えない。
時間が経てば経てば経つほど、加害者を恨む気持ちは肥大化していく。これまでの努力を叩き潰されたことが許せない。不要な経験を強制的に植え付けられたことに激しい憤りを感じている。私の進むべき道を奪ったことを、一生後悔させてやりたい。そうして、考えの辿り着く先は、いつも同じ。
(死ねばいいのに)
そんな黒い感情が、恍惚として張り付いていた。事故の加害者は、結婚して間もない若い男だった。高校からの付き合いで結婚に至った妻が産気づいたという知らせを受けて、バイクを飛ばしていたのだという。その加害者本人は、捻挫程度の無傷に近い状態で、無事に出産を終えた妻と一緒に、生まれたばかりの長女を抱いて私の病室へ何度も面会を求めてきていた。
私は、一度も会わなかった。
代わりに応対する父は、最初こそ声を荒げたものの、最終的にはその夫婦に対して「あんたも親になったっちゃけん、しっかりせないかんばい」と、廊下から励ますような声を掛けていた。本音を言えば、父には徹底して厳しい態度を貫いて欲しかった。けれど、その優しさで育てられた身としては、その言動を真っ向からは否定できない。そうすると、私の澱んだ感情は燻ったまま、ただ時間だけが過ぎ去っていっていた。




