安堵のさき
九月。
暑さは、まだ次の季節へ譲る気がないらしい。そんな中、文化祭に突入した。
私達のクラスは、アニメとメイドを合体させた「アニメイドカフェ」になった。
一部の男子は「融合」とかなんとかいって興奮していた。
「メイド服、楽しみやね」
「全然……」
可愛らしく振る舞うのが苦手なうえ、衣装にも問題があった。
スカート。
そして、薄手の白い靴下。
(うそやろ……)
テーピングを持ってきていない。
これでは、傷痕が透けて見えてしまう。
着替えの手が止まり、自分の脛を見下ろす。
「栞?」
迷ったものの、思い切って事情を話し、弥生に脛を見せた。
「体調悪いことにして、休んでもよかよ」
弥生は傷痕を見ても、顔を曇らせたり、憐れむような目を向けたりしなかった。
ただ、いつもと変わらない声で、そう言ってくれた。
「ううん。大丈夫」
「じゃあ、なるべく接客せんで済むようにする」
「ありがとう……」
弥生は本当にそうしてくれた。
他の女子へ自然に役割を振り、私は厨房側にいる時間が増えた。
教室には甘い飲み物の匂いと、食器の触れ合う音、それに浮かれた客とクラスメートの笑い声が絶えず混ざっている。
その騒がしさに紛れていれば、今日ぐらいは何とかやり過ごせると思っていた。
それでも。
「あ、いた」
聞き慣れた声だけは、妙にはっきり耳に届いた。
身体が強張る。
彼が来た。
(なんで来るとよ……)
そう思ったくせに、胸が僅かに跳ねたことにも腹が立つ。
よりによって、彼は私が近づけば脚を隠しようのない通路側の席へ、何の迷いもなく腰を下ろした。
「すいませーん」
(最悪……)
周りを見回す。
他のみんなは対応中だった。
私しかいない。
注文票を握る指に、無駄な力が入った。
仕方なく彼のところまで歩く。
一歩進むたび、薄い靴下の向こうにある傷痕へ意識が吸い寄せられた。
同じ脚なのに、この間のコートに立った時とは、意識の仕方がまるで違う。
「お、お帰りなさいませ……ご、ご主人様」
「似合ってる」
彼が屈託なく笑う。
「ありがとう……」
反射的に、スカートの裾へ指を添えた。
彼の視線は、私の顔と衣装にだけ向いている。
それより下へは、一度も落ちてこない。
ほっとした。
ほっとしながら、傷ついた。
分かる。
気を遣っている。
駅前で私があんなふうに傷痕を見せたから。
見られたくないことを、彼は知っているから。
だから、見ない。
それだけのことなのに。
そのことが――嫌だった。
(なんで……)
本当なら、ありがたいはずなのに。
見られたくない。
ずっと、そう思っていたはずなのに。
なのに、彼には、見られないことまで気になってしまう。
注文を取り終えると、私は右脚をいつもより強く踏み出し、逃げるようにその場を離れた。
*
文化祭が終わったあと。
なんとなく、いつもの公園へ足が向いた。
壁打ち場の方から、聞き覚えのある打球音が響いていた。
見ると、制服姿の彼が壁に向かってラケットを振っていた。
「中牟田さん」
「なんで制服のままなん?」
「早く打ちたかったから」
彼は嬉しそうに笑う。
その顔をフェンス越しに見ていると、八月に一緒にラリーをした時の感触が、手のひらにほんの少し戻ってきた。
「やる?」
差し出されたラケットを見る。
「よか」
私は長椅子へ座った。
彼は壁打ち場から出てくると、ラケットを脇に置いて隣に腰を下ろした。
「気、遣ってくれたっちゃろ?」
「今日?」
「うん」
少しだけ、間が空く。
「脚のこと?」
私は頷いた。
「見られたくなさそうだったから」
「うん……」
それでいいはずだった。
なのに。
「だって、キショかろ。こげな脚」
「そうは思わないよ」
即答だった。
私は思わず彼を見る。
「僕は、怪我する前の中牟田さんの脚を知らないから、比べようもないし」
「……」
「傷があるから見たくないとか、そんなふうには思ってないよ」
彼は一度言葉を切った。
「でも、中牟田さんが見られたくないなら、僕は見ないようにする」
「……」
胸の奥が詰まった。
慰められたからじゃない。
傷なんて気にするなとも、綺麗だとも言われなかった。
ただ、私が見られたくないと思っていることを、そのまま受け入れてくれた。
それが、嬉しかった。
「君は……辛くないと?」
「何が?」
「テニス。思いっきりできんこと」
彼は、すぐには答えなかった。
視線の先では、誰も乗っていないブランコが風に揺れていた。
「……辛いよ」
短い返事だった。
私は、何も言えなくなる。
彼は少し間を置いて、続けた。
「でも今は、できることの中で楽しいことを探してる」
「……」
「その方が、少し楽だから」
そう言って、彼は笑った。
(ウソ……)
なぜ、そう思ったのかは分からない。
いつもの屈託のない笑顔だった。
なのに、その奥に、まだ私の触れられないものが残っている気がした。




