辛いものは辛い
車内で「また明日」と弥生に手を振り、いつもの駅で私は降りた。
改札を出て階段を下りると、道を挟んだ向こう側に父のテニスショップが見えた。ドア越しには、接客中の父がいた。
「近所にテニスショップがあると、ガット張る時に便利でいいね」
甘露寺かなた。どうやら同じ駅だったようで、さっきから少し後ろに気配を感じていた。
「別に張らんし……」
ポケットのスマホが振動する。
弥生からだった。
〈仲良く帰らんといけんよ〉
母親みたいなメッセージだ。
「テニス、やめちゃったの?」
私は溜息を吐く。
まただ。
私を不快にさせる響き。
「君には、関係ないやろ」
「うん。でも、できるんなら、やった方がいいんじゃないかなって思って」
「は?」
私の中で何かが切れて、彼に向き直った。
「ちょっと上手いからって、なに様なん? 確かに、どんなに努力したっちゃ、私は君みたいにはできんよ。それに、見てん……こげな脚じゃ、やり直したって惨めなだけやろ?」
「中牟田さん……」
「骨が二本も折れとって、脛の骨まで見えよったとよ……変な方に向いてて、バリきしょかったとよ。傷痕もしっかり残っとうとよ。スカートだって、気にせず穿けんとよ!」
右脚のサポーターへ手を掛け、力任せに外す。
靴を脱ぎ、靴下も乱暴に剥ぎ取った。
歪な皮膚の線。
色。
引き攣れ。
見たくないものを全て彼に突きつけた。
事故に遭うまで、自分の脚を綺麗だとか汚いだとか、そんなふうに考えたことはなかった。
速く走れるか。
深いボールに追いつけるか。
踏み込んだ時に軸がブレないか。
私にとって身体は、ずっとテニスをするためのものだった。
それなのに今は、誰かにどう見られるかばかり気にしている。
見られたくない。
気持ち悪いと思われたくない。
女の子なのに――なんて、昔は考えたことさえなかった。
「どう?」
言葉にならないものまで、喉から出そうだった。
私、女の子なのに……。
それなのに。
なんで。
「ごめん……」
彼は目を落とした。
「なんが〈ごめん〉ね。私の気持ちなんか、知りもせんとズケズケ口出してきたんは、君やん」
「……」
「私なんか、努力して努力して……頑張って頑張って。そうして、やっとここまで来とったとに……大怪我ばさせられて……なんもかんも嫌になって。今も、どげんしたらいいか、いっちょん分からん!」
気づけば、大粒の涙が零れ落ちていた。
通りすがりの人達が、こちらを横目に通り過ぎる。
やっと分かった。
本当は、この人だけに怒っているんじゃない。
私は、この気持ちをずっと誰かに受け止めて欲しかったのだと。
「僕ね……」
甘露寺かなたが、静かに口を開く。
「少し前まで、病気で何もできなかったんだ」
「……え?」
「今は学校にも通えるし、普通に生活もできる。でも、何をしてもいいわけじゃない。運動も様子を見ながらで、病院にも定期的に通わなくちゃいけない」
「……」
彼は右側の白い髪へ軽く触れた。
「この白いのも、その頃からなんだ」
「……」
「だからって、中牟田さんより僕の方が辛いとか、そういうことを言いたいんじゃないよ。ただ、できるのにやらないのは勿体ないって思っちゃったんだ。僕は、やりたくても思いっきりできないから」
「……」
「ごめん。ほんと、踏み込み過ぎた」
何も言えなかった。
彼だって辛い。詳しいことは何も知らない。それでも、あんなに楽しそうにプレーしていた姿を思えば、分かる気がした。
でも、私の辛さは変わらない。
彼がどれだけ辛かったとしても、それで私の苦しさが軽くなるわけじゃない。
そして、そんなことを考えてしまう自分が情けない。
自分のことしか見えていない。
ふと、暗闇の中で頭を抱えて蹲っている自分の姿が浮かんだ。
辛いものは辛い。
それでも、少しだけ励ましを受け取れたような気がした。
頑張れば、元に戻っていける可能性が残されている。
時間は、まだ私の味方になってくれるかもしれない。
そのことまで拒む必要があるのだろうか。
そんなふうに思わされた。
「ありがとう……」
「え?」
「なんでもなか」
私はサポーターを丁寧に付け直した。
そして、彼の気配を確かめながら、ゆっくりと歩き出した。




