才能の向こう側
「ありがとうございました」
ゲームセット。
結局、先輩の言った「これから」は、最後まで訪れなかった。
「お……おう」
先輩は茫然自失といった様子で、かなり遅れてネットへ近づき、彼の細く白い手を握った。
「栞! 甘露寺くんて、スゴかね!!」
「う、うん……」
コート上の冷徹さと反比例して、弥生の熱は上がる一方だった。
それにしても、異常だった。
8-0。
最初のサービスゲームこそ、何度もデュースを繰り返した。
けれど、そこまでだった。先輩の球種、フットワーク、攻めるタイミング、守る時の癖。その全てを読み終えたとでもいうように、2ゲーム目から試合の様相が変わった。
はっきり言って、こんな試合を私は見たことがない。
初心者相手なら、分かる。
でも、先輩は、昔とはいえ九州大会まで駒を進めた選手だ。
下手なわけがない。
なのに、これだけの差がつく。
その理由は間違いなく、甘露寺かなたのテニスが尋常じゃないほど洗練されていたことだ。
ボールそのものに、見た目の通り重々しさはなかった。
それでも、バウンドしたあとの伸び、打つテンポ、予測、体幹の安定、しなやかさ。その一つ一つが正確で無駄がなかった。
細い。
小さい。
華奢。
なのに、コートの中では、先輩よりもずっと大きく見えた。
(なんなん、この人……)
「よかったら、また相手してください!」
「……ぉ、ぉう」
肩を落とす先輩へ、彼は屈託のない笑みを向けた。けれど、その弱々しい返事に少しだけ眉を下げる。
「……迷惑ですか?」
「いや……そういうわけやなか」
先輩は力なく答えると、ラケットヘッドが地面に擦れてしまいそうなほど低く垂らしてコートの出口へ歩き始めた。その背中には、さっきまでの威勢が欠片も残っていなかった。そして、それを見送っていると、彼が「鍵、返してくるから、ちょっと待ってて!」と言って、小走りで校舎へ向かっていった。
(どげんしたら、あげなプレーができるっちゃろうか……)
私はその後ろ姿を目で追う。
練習量とか、質とか、それだけでは答えにならない。
そういうものを全部積み重ねた、そのさらに向こうにある何か。
才能――
そんな便利な言葉しか、今の私には思い浮かばなかった。
「ねぇ」と、隣の弥生が話し掛ける。
「本当に、彼と栞は付き合ってなかと?」
「…………は!? なん言いよっと、会うのこれで二度目よ!?」
「でも、人を好きになるんに、会った回数は関係なかろ?」
「いや、そういう問題やなくて! それに、あんな人のことば『君』とか呼ぶやつばい!?」
「『君』っちゃ、なんか標準語って感じするね」
弥生が可笑しそうに笑う。
「弥生は、標準語ば喋る男が好きなん?」
「う~ん、標準語っていうか……」
弥生が何か言い掛けていたところで、彼が戻ってきた。
「お待たせ」
「……」
私は、眉を寄せた。彼が息を弾ませていたからだ。
ほんの少し走っただけのはず。それなら、さっきまでシングルスで戦っていた時の方が、よほど息を乱していてもおかしくない。
なのに、あの時は息の乱れなんて見えなかった。
「よかったら、一緒に帰らない? 君達、帰りは電車?」
「なんが君達ね!?」
「え?」
「私達には、ちゃんと名前があるっちゃけんね!?」
彼が目を丸くする。
「もしかして……マネージャーになりたかったの?」
「そうじゃなか! そうじゃなくって!」
否定はしたものの、自分でも何が言いたいのか分からない。息遣いの違和感や今の状況が混ざりあって、感情だけが先走る。困り顔の彼を前にして、私まで言葉に詰まってしまった。すると、弥生が私達の顔を見比べながら口元に両手を当てて、肩を揺らして笑った。




