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第9話 契約にない返事

 離婚から、半年が経った。


 私は、エダさんの店で働き続けていた。

 ときどき帳面を作り、よく注文を取り、まだ間違えて叱られることもある。

 両親は、私の暮らしを見に来た。

 父は部屋の狭さを心配したが、私が戻らないと言うと、母が父の袖を引いた。


「帰る場所があることは、覚えておいて。それだけでいいわ」


 私は、その言葉を大事にした。

 ここで上手くいかなくなっても、全てが終わるわけではない。

 それが分かると、店で新しい仕事を任されることも怖くなくなった。


 アルヴィンとは、恋人になった。

 ある休日、彼が、はっきり聞いてくれたのだ。

 散歩へ行く相手ではなく、恋人として会ってほしいと。

 私は、自分の暮らしへ帰れることを確かめたうえで、頷いた。


 心の声は聞こえない。

 そのために失敗することもあった。


「あのとき、私は、もう帰りたいと思っていました」

「私は、まだ話したいと思っていた」


 博物館で、帰る時刻がずれた日の会話だ。

 どちらかが全部我慢するのではなく、次は最初に時刻を決めた。

 聞こえないことは、不便だった。

 でも、聞く練習はできた。


 ある晴れた休日、私は、以前の屋敷へ招かれた。

 食事ではなく、庭を見るために。


 公爵は、あの白い花の前で待っていた。

 今度は晴れていた。


「見せたいものがある」


 彼は、最初に私が綴じた帳面を出した。

 私が、屋敷を出る前に作ったもの。


「読んでもよいのですか」

「君に、読んでほしい」


 私は開いた。


 雨の日、庭を歩いた。

 リーナが、紙を折る向きを教えてくれた。

 私は一枚目をずらした。

 彼女が笑った。


 次の頁。


 食事へ、先に誘った。

 来られないと言われた。

 用事があると教えてくれたので、拒まれたとは思わないことにした。


 次。


 髪の結び方が違った。

 口で、似合うと伝えた。

 彼女は礼を言った。


 私は、ページをめくる手を止めた。


 離婚の日。


 寂しいと、言えた。

 彼女も、寂しいと言った。

 明後日、会う約束がある。


 目の奥が、熱くなった。

 彼は、私がいなくなる日だけを数えていたのではなかった。

 次に会うために、言葉を覚えていた。


「全部、うまくはできなかった」


 アルヴィンが言った。


「これからも、君に聞き返されることはあると思う。だが、言わなくても伝わるとは、もう思わない」


 彼は、小さな箱を開けた。

 指輪があった。

 前の婚姻では、家に保管されていたものを借りた。

 今度は、私へ見せるために、選んだものだった。


「リーナ。もう一度、結婚してほしい」


 私は、帳面を閉じた。


「店の仕事は、続けます」

「知っている」

「帰りが遅くなる日も、あります」

「迎えが必要か、君に聞く」

「あなたの言葉が、分からない日もあります」


 彼は、少し笑った。


「別の言葉で、伝える」


 私は、差し出された手を取った。


「はい。アルヴィン」


 公爵の目が、少し濡れた。


「今のは、契約にない返事です」


 私が言うと、彼は笑った。


「私の申し出も、そうだ」


 彼の頬へ、私は手を伸ばした。

 顔を近づけると、彼が途中で待った。

 私は、残りの距離を自分で越えた。


 心の声より、温かいものが、唇へ伝わった。

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