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8/10

第8話 元夫は、紙を一枚買っていきます

 文具店の上の部屋は、狭かった。

 机と寝台を置くと、椅子を引く場所を考えなければならない。

 お湯は、下から運ぶ。

 朝、眠くても、棚の埃は消えない。


 私は、そこで眠った。

 少し寂しくて、少し自由だった。


 初日の夕飯は、向かいの店で買ったパン。

 二日目は、エダさんと一緒に、店の裏で煮込みを食べた。

 三日目には、どこへ何をしまったか、覚え始めた。


 アルヴィンは、約束どおり開店後に来た。

 豪華な馬車で入口を塞がず、角で降りて歩いてきた。


「紙を、見せてもらえるだろうか」


 私は、接客の言葉で返した。


「何にお使いですか」

「誘いの手紙に」


 顔が熱くなった。

 エダさんは、棚の向こうで何か数えていた。

 こちらを見なかったことが、ありがたい。


 私は紙を三種類見せた。

 彼は、少し引っかかりのある白い紙を選んだ。


「一枚でも、買えるか」

「はい」


 彼は代金を払い、その場でペンを借りた。

 カウンターの隅で書き、私へ渡す。


 次の休みに、川沿いを歩きませんか。


「返事は、後でいい」


 彼はそう言って、帰った。

 五呼吸どころか、何も聞こえない。

 彼がどれくらい不安なのかも、返事を待つ間、何を考えるのかも。


 私は、紙を店の帳面に挟んだ。

 仕事中は、仕事をする。

 そのあと、自分の返事を決めればいい。


 夕方、伝言を送った。

 行きます、と。


 次の休み、川の水は澄んでいた。

 公爵は、私の住む部屋について尋ねた。

 狭いと答えると、広い部屋を用意するとは言わなかった。


「机は、使いやすいか」

「椅子の位置を変えて、少しよくなりました」

「眠れている?」

「最初の夜は、あまり。でも、今は」


 彼は、安心した顔になった。


「寂しくは、ないか」


 私は、川を見た。


「あります。屋敷の庭も、皆さんも、あなたも」


 最後を言うとき、少し声が小さくなった。


 彼は、聞き返さなかった。

 しっかり聞いたことが、その顔で分かった。


「私もだ」


 小さな沈黙があった。

 私は彼の手の近くへ、自分の手を寄せた。

 彼が、こちらを見た。


「繋いでも?」

「はい」


 元夫の手は、温かかった。

 妻だった頃には、知らなかった温かさだった。


 数週間、彼は私の休みに会いに来た。

 予定が合わなければ、次を決める。

 ある日は、私が誘った。

 文具店で売り始める帳面を、一緒に見てほしかったのだ。


 前世の記憶だけでは、この店の商品にはならない。

 紙を作る工房へ確かめ、綴じる人と話し、値段をエダさんに教わる。

 私が考えたのは、持ち歩くときに角が傷みにくい、小さな表紙だった。


「これを、一冊」


 彼が言った。


「前の帳面は、もう埋まりましたか」

「まだだ。これは、別のことに使いたい」


 私は、代金を受け取った。

 何を書いているかは、やはり聞かなかった。

 けれど、休日には、その続きを話してもらえる気がした。

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