第2話 旦那様の心、声が大きいです
神殿の窓口で、係の女性は頷いた。
「双方の名前が書かれた申し立て用紙に、相手が初めて触れたとき。本音が、申立人へ五呼吸ほど伝わります」
「五呼吸」
「一日一度までです。相手の意思を確かめる前に、協議のきっかけを作るための祝福ですね」
女性は見本を裏返した。
そこに、小さな注意書き。
私の紙では、夫が雨について返事を書いた場所だ。
「こんな重要な説明を、裏へ」
「表には記入欄が多くて」
文具店員だった私は、見本を眺めた。
余白の使い方について、言いたいことはあった。
でも、今は夫の心の方が重要だった。
「これは、申し立ての受理ですか」
「いいえ。用紙を持っているだけでは、婚姻は終わりません。書類を持って、正式な手続きをしてください」
「その祝福は、手続きのあとも?」
「成立した婚姻だけに働きます。解消されれば、終わります」
それから女性は、少し声を落とした。
「聞こえたものは、相手の考えの一部です。全部ではありません。それだけで、離れる、残るを決めなくてもよいのですよ」
私は、紙を鞄へ戻した。
昨夜の声を思い出す。
泣いていたのは、夫。
でも、理由は分からない。
離婚が面倒だからかもしれない。周囲の評判が気になるのかもしれない。
私は、こちらの声で話を聞きたかった。
屋敷へ帰ると、アルヴィンが玄関にいた。
いつもなら、この時刻は執務室にいる。
「神殿へ」
「はい。用紙の説明を聞いてきました」
彼は、私の鞄を見た。
説明を始める前に、鞄から落ちかけた紙を、取ってくれた。
『今日、出してしまったのか』
私は、息を止めた。
『待ってほしい。いや、彼女の権利だ。待てと言ってはいけない』
声が、途切れた。
ほんの五呼吸。
夫は、紙を私へ返した。
「まだ、提出していません」
彼の肩が、少し下がった。
「旦那様。この用紙には、祝福があるそうです」
私は、分かったことを全部説明した。
聞こえた言葉も。
アルヴィンは、最後まで黙っていた。
「申し訳ありません。知らずに、聞いてしまいました」
「君が、謝ることではない」
彼は額へ手を当てた。
耳だけではなく、首まで赤かった。
「昨夜の、雨の話も」
「はい」
長い沈黙があった。
私は、紙をしまった。
「残ってほしい理由を、教えていただけますか」
アルヴィンは、私の目を見た。
見たまま、何も言えなくなった。
私は、待った。
忙しいと言って逃げることも、今回はできない。
「君と、話す時間がほしい」
ようやく、それだけ。
「七か月、ありました」
声が、思ったより冷たくなった。
彼は、頷いた。
「その通りだ」
言い訳を、しなかった。
「明日の夜、夕食を一緒に取れますか。話は、そこでも」
私が尋ねると、彼は答えた。
「取る。仕事を終える」
聞こえない心の声に、何があったのか。
今度は、明日の行動で確かめることにした。




