告白の返事
「あきちゃん、お願いね」
「はーい」
定食屋でのバイトを始めて3ヵ月が経った。夏真っ盛りの中、私は週に3日はここで働いていた。9月になっても暑さはあいかわらずで明日から学校が始まるというのに連日猛暑日が続いている。
とんかつ定食を常連のお客さんに提供して、今日のバイトは終了だ。バックヤードに入ると先に上がっていた松崎君が椅子に座ってうちわで扇いでいた。
「お疲れさま」
彼が言う。私はそれに答えながら持ってきたお冷を入れたグラスを彼の前の机に置いた。
「ありがとう」
「どういたしまして。今日も暑いね」
「35度だって。暑すぎるよ」
「でも来週40度超えるらしいよ」
「本当?やってけないよ、もう」
「だよね。溶けちゃいそう」
「あ、そうだ。アイス食べに行かない?」
「今溶けるって言ったからでしょ」
「そうそう。溶けるって言ったらアイスじゃん」
「外で食べたら本当すぐ溶けちゃうだろうからどこかお店に入らない?」
「うん、いいよ。そこのファミレスでいい?」
「うん」
支度をして松崎君と近くのファミレスへと向かう。彼とはバイト終わりによくこうして出かける。いつも決まって店から歩いて3,4分のファミレスかその向かいにあるコンビニだ。
私達はファミレスに入って空いている席に座った。周りには家族や女子高校生が大勢いる。ここはいつも混んでいて今日も今座った席の他に1テーブルしか空いていない。
私はチョコレートアイス、松崎君はバニラアイスを注文した。
「ボランティアの方はどう?」
「うん。やっぱりみんな暑さでぐったりって感じ」
私はこの夏、短大付属の保育園でボランティアも始めた。子供たちは暑くても外ではしゃぐのが好きだけどやっぱりすぐに疲れてしまう。熱中症になったら大変だからこまめに水分補給をさせたりよく注意をして見ていないと。
「保育園でもあきちゃん大人気なんじゃない?」
「そんなことないよ」
「あきちゃんって呼ばれてるんでしょ?」
「うん、まあそれはね」
子供たちは私のことをあきちゃんと愛称で呼んでくれている。昨日も会ったみんなのことを思い出して頬が緩むのがわかって慌てて顔を引き締めた。
すると松崎君が声を殺して笑い出した。
「ちょっと、笑わないでよ」
「ごめんごめん。でも意味ないと思うよ」
「え?」
私が訊き返すのと同時に店員さんがアイスを運んできた。それを一口食べる。
「んんー、冷たい。美味しい」
「ほらね」
だからなにが、そう聞こうとして止めた。さっき引き締めたのにまた頬が緩んでいることに気付いたからだ。
咳払いを一つしてもう一口食べた。
「あきちゃんって本当に美味しそうに食べるよね」
「だって美味しいんだもん」
「そういうとこが可愛いんだよね」
「かわ…かわいくなんてないよ」
むせてしまいそうになるのを抑えてそう言ったけど今度は顔が赤くなっていくのがわかった。
彼はいつもそうだ。いつも突然こういったことを口にする。私は反応に困っているのだけどそれより先に身体が勝手に反応してしまう。急いでアイスを食べて冷たい食器を両手で触れてその手を頬にあてた。どうにか熱を冷まそうと必死になる私を見てまた松崎君は笑う。
「もう…アイス溶けちゃうじゃない」
チョコレートアイスは下の方が溶け始めていた。
再びアイスを食べ始める。私の身体は暑いままだったけど体の中はひんやり冷たくなった。
松崎君は笑みを浮かべたままで私は落ち着かない。それでも沈黙は辛くて私はどうでもいい話を振る。
30分ほどが経ち、そろそろ帰ろうと話して私たちは席を立った。事前に渡しておいたアイスの代金を松崎君がレジに持っていった。
外は日が落ちて暑さは和らいでいた。それでもムシムシとしていて今すぐ店内に戻りたい衝動に駆られる。こういう時は早く家に帰ってシャワーを浴びるに限る。
「それじゃあ松崎君、また、ええと、土曜日に」
「うん。気を付けてね」
メールで買い物を頼まれたという松崎君とファミレスの前で別れた。
告白の返事はまだ保留になっている。松崎君はさっきみたいに可愛いだとかを時々言ってくるだけであの時言っていたアピールというアピールはしてこないような気がする。私が気付いていないだけかもしれないけど。こうやってバイト終わりにちょっと出かけるのだって普通にお喋りをして、お金も割り勘だし。私としては奢ってもらうのは悪いし友達同士として来ているわけだからそれでいいんだけど。
そういう普通で自然で時々不意を衝くようなことを言ってくる。それが彼の言うアピールなのだとしたら私はその策略に嵌ってしまったかもしれない。
働いている時にふと彼のことを見てしまってる自分がいて、明らかに意識しているのがわかる。だけど引っかかることがあって。それが保留期間を長引かせてしまっている。
それは年だ。感覚的に私はもう40年以上を生きている。亜季として、それから明菜として。高校に入った頃から周りの人に違和感がなくなったけど、自分は本当は裕と同い年で既に家庭を持って、そういうなんともいえないもどかしさ、気持ち的なもので、同い年の子を同い年とは見れないでいるのは今も変わらずだった。
明菜になって恋愛のことをきちんと考えたことがなかった。ただ恋人がほしい、そう思うことも普通にあった。だけど今回のように恋愛が現実的になるとどうもそのことが私を踏み止めているようなのだ。
前世の記憶があることがここで影響するなんて…。
そう考えているとふと、鞄の中で携帯が振るえているのに気が付いた。
「はい。…どうしたの、松崎君」
「ごめん、もう家ついた?」
「ううん。まだよ」
「よかった」
電話の相手は松崎君だった。どうしたのかわからないけど息を切らしているようだ。
「ちょっと僕の都合で返事、今聞かせてほしいと思って」
「え?」
返事って告白の…だよね。そう聞こうとした時、駆けてくる足音に後ろを振り向いた。そこにいたのは今電話をしていた当人だった。
唖然とするうちに電話は切れて彼が私のすぐそばまで来た。
「ごめん、急に」
「ううん、それはいいんだけど…」
ついさっきまでまったくそんな素振りをしていなかったから驚いた、そう言って私たちはなんとなくそのまま歩いてすぐそばだった私の住むアパートまで無言で来た。
その間、私はこの急な展開についていけず、ずっと下を向いてこの後どうしよう、私はなにを言えばいいんだろう、頭をフル回転させていた。
アパートの前にある錆びれたベンチの前まで来たけど私たちは座ろうとしなかった。鞄だけをそこに置いて私はとりあえずと思ってごめんと言った。
「…そっか」
「え、あ、違う」
告白の返事のつもりじゃなかった。
「3ヵ月も、その、返事を待たせてしまって」
ってことなんだけど、そう言う私に松崎君は目を瞬かせた。
「あ、そういう…。いや、こっちが考えてって言ったんだから。それなのに催促するようなことしてごめん」
申し訳なさそうに言う松崎君にやっぱりもっと早く返事をしなきゃいけなかったと後悔する。
「あのね、聞いてくれる?」
「うん」
「3ヵ月お店で一緒に働いたり出かけたりしてすごく楽しいと思った。松崎君といるとほっとするっていうか無意識に目で追ってるの――」
目で追って最終的に目が合って松崎君にそっと微笑まれて慌てて目を逸らしている。
「…私これが好きっていうのかよくわからなくて」
年が…なんてことは言えなくてそう言って嘘をついていることがまた申し訳ない。
「あきちゃんが迷ってるのってそれが理由?」
「え?」
「いや、なんかもっと違う理由があるんじゃないかって思ったんだけど。…ああ」
「どうしたの?」
「俺、どうしようもなく気が回らないみたいだ」
苦しそうに笑う松崎君を見て彼が思いついたことに気付いてしまった。断るためだ。私が松崎君と付き合いたくなくてそう言っているんだと思ったんだ。
途端に私は胸が苦しくなった。そうじゃない。私は彼に好意を持ったんだ。それなのに勝手に戸惑って自分の気持ちを押しとどめていただけなんだ。
「松崎君、違うの。ごめんなさい。私、あなたが好き」
「え、本当…?」
「本当」
「よかった…。じゃあ付き合ってくれる?」
「うん」
こうして私が松崎君と付き合うことになった。
どうして急に返事を聞こうと思ったのかと尋ねると明日が誕生日なんだ、と答えてくれた。松崎君はそんなことで急かしてごめんと言ったけどお祝いしたかった私はそれを聞いて嬉しかった。だけど急でプレゼントを用意できないから明日会う約束をした。




