第三話 没落の王子
東の山脈を越えた先に、炉の火が絶えぬ国がある。
――クロガネ国
山々に抱かれた天然の要塞。地下には質の高い鉄鉱脈が眠り、昼夜を問わず鍛冶場の槌音が響く。かつてはその鋼を求めて諸国の商隊が列を成した。武力は並。だが、防ぐ術に長けた穏やかな国だった。
――裏切られるまでは
帝国の侵攻時、同盟を結んでいた二つの隣国は軍を出さなかった。救援の旗は上がらず、城壁は孤立したまま崩れた。そして今、唯一生き残った王族は地下牢に繋がれている。
その国へ、ルシアンが着任して二週間。
民はこの国の王として、帝国の皇子が着任してすぐにでも兵を出し、侵略を始めると思っていた。また戦争が始まる――と不安に駆られていた。
だが、そんなことはなくルシアンはまったく動こうともしなかった…
自国の兵や役人はこの事実に戸惑いを隠せなかった。戴冠式は先の暗殺騒動により、限られた者だけで内々で執り行われた。無事に終わり、そのまま軍略会議かと思っていた。がしかし、口を開けば
「しばし休む…」
「役人たちは各々のすべきことにいつも通り従事してくれ。あとは好きにしてもらって構わん」
そのままルシアンは国内の視察も内政の建て直しもするわけでもなく、寝室に引きこもり、好き放題寝ていた。喧騒と戸惑いが国内に渦巻く中、帝国第七番隊隊長アイラだけは慌てる様子もなく、見守ってはいたが、流石に二週間も経つと苛立ちを抑えられなくもなり、気づけば主のいる寝室に突撃していた。
主は深い眠りについている。その姿は大帝国の皇子とは思えない。ただの子供だ…
アイラは深い溜息をつき
「殿下、起きてください」
ルシアンは激しく揺さぶられ、気だるそうに目をこすりながらゆっくりと体を起こす。大きなあくび――
「15になる思春期男子の部屋にノックなしで入るとは…何事だアイラ」
「いつまでおサボり続けるおつもりですか?」
「このままでは侮られます」
アイラが静かに言う。城壁の上。街は整って見えるが、どこか硬い。
「すでに侮られているよ」
ルシアンは淡々と答えた。
「多少の休息ならわかりますが、流石に2週間も動かないとなると国民も焦燥します」
「そう焦るなアイラ…どうせそこら中を動いたって、また暗殺されるだけだよ」
「寝る子は育つと言うしな」
「またそのような戯言を言って、流石に怒りますよ」
「戯言とは何だ!僕は15にもなるのにまだ150センチ位しか背丈がない。一族はみんな大きいのに」
「意外に気になされてたんですね…失礼いたしました」
まるで子供のわがままにアイラは頭を抱える。
「もう――がないんです⋯」
アイラは静かにボソッと告げる。
「ん⋯何がないって?」
「もうネタが無いんです!帝国への視察の報告書です」
「城、街、兵舎、鉱山…もう見れるとこはくまなく回りました」
「まだ豚舎が残っているだろう」
アイラは静かに剣に手をやる。大きな殺気…
「嘘嘘、冗談だ――今日からしっかり働きます」
ルシアンはすぐさまベッドから身軽に飛び出し、動き出す。アイラは怒らすと怖い。普段は優しいが、西の遠征の際に戦に出ないとゴネたら、そのまま戦場まで馬で引きずられたことがある。
窓際の景色に目をやりながら、深く考える。
「直属部隊さえ一緒に連れて来れれば、すぐにでも戦に出るんだけどな…」
「そうですね彼らが居なければ、半年で小国5つは落せなかった」
「やっぱり痛いなぁー 一年も苦楽を共にしてきた兵と急造で作った兵では違いすぎる」
「陛下の命ですから、仕方ありません」
「西の遠征に置いていけって、嫌がらせにしか思えない。試すようなことしやがって」
西は魔窟だ。大きな国はなく、数百の小国が戦争と内乱を繰り返す。実際問題兄上たちも遠征してから、5年ほど経つが、未だに全てを落としきれていない…
「あいつら元気でやってるかなぁー 死んでないといいけど…」
ふとあの時の喧騒が懐かしく思える。あの魔窟を生き抜き一年を共にしてきたルシアンにとっては、戦友同然に近かった。
「そんなヤワには育てていません」
隊長アイラの力がこもった言葉にルシアンは一瞥の笑みを浮かべた。
「そうだな。死ぬぐらいなら逃げろと徹底的に教えてきた。絶対に帰ってくる」
その夜、王城の奥塔。かつて客間だった部屋は、今は静かな牢だ。豪奢だが、自由はない。
「殿下」
アイラが扉の前で立ち止まる。
「本当にお一人で?」
「うむ」
「護衛は」
「廊下でよい」
鉄鍵が回る音が、やけに大きく響いた。石造りの回廊は湿り、松明の火が揺れている。鉄格子の奥、鎖に繋がれた男。
前王の甥。生き残った王子。




