9.カラスの暇つぶし
武蔵天川市最大の繁華街、天の川町。
通称〝ミルキーウェイ〟。
街の外の人間からは、天の川町の中心に位置するアーケード街を指すこの名称。だが、地元の人間は、その町名から親しみと若干の揶揄を込めて、繁華街全体を〝ミルキーウェイ〟と呼ぶ。
その〝ミルキーウェイ〟のとある狭い路地。電線の上に佇むひとつの小さな影——
どうも、カラスです。
辺りはすっかり真っ暗。路地の入口付近からは、酔っ払いの声がたまに風に乗って聞こえてくる。
ここでわたしは、待ちぼうけを食らっている。
目の前に見える小洒落たダイニングバー「止り木」。この店で現在、拓海たちがお酒を飲みながら食事のお楽しみ中である。カラスであるわたしは入店するわけにもいかず、置いてけぼりなのだ。
拓海の「本日の不思議な体験談」にちょっと興味があったので、同席できないのが非常に残念である。何とかして話を聞けないかと思い、かれこれ一時間はここで試行錯誤しているが、成果なし。
壁に耳を近づけてみたり、ガラス窓から覗いてみたり、念を送ってみたり。
だって、わたし、〝スーパーカラス〟みたいだから。人語を理解できるし。文字が読めるし。人間の生活知識を持っているし。でも、人間として生きた記憶は全然ないけども。
それに〝拓海センサー〟搭載のこのボディである。念じればひょっとして拓海たちの会話が聞こえるんじゃ? なんて思ったんだけど、それは無理だった。世知辛い。
ふたたび中の様子を伺うために、壁の上部にある小窓から店内を覗く。拓海が身振り手振り何かを話しているのが見える。それを祐介と美咲が微妙な表情で聞いてる。大丈夫か?
アルバイトっぽい女の子と目が合った。彼女が胸元で小さく手を振ってきた。カラスに忌避感がないようだ。可愛いじゃないか。
お返しに、片方の羽をビッと伸ばしてブンブン振る。
……なんだその驚愕の目は。
しばし見つめ合う。
彼女が首を傾げたので、同じ方向に傾げてみる。
彼女が反対側に首を傾げる。同じように傾げてやる。
どうだ、可愛かろう?
……なんで引き攣った顔をする。
こら、目隠しのスクリーンを下ろすんじゃない。
…………。
まあ良い。
せっかく時間ができたし、ここらで今後の身の振り方でも考えてみるか。
まずはこの〝拓海センサー〟をどう考えるか。
今日の夕方以前の記憶がないので、もしかしたらわたしが一方的に忘れているだけで、実は拓海と知り合いだった可能性。カラスに対して「知り合い」っていうのもアレだが。ただ公園での拓海の態度をみる限り、その可能性はなさそうだ。
あ、でもわたしの前世が人間で、そのとき知り合いだったのかも。
……確認のしようがないな。
もしそうだとしたら、忘れてゴメンな。ははは。
いずれにせよ拓海がわたしにとっては重要人物なのは間違いない。今後しばらくは張り付いてみることにしよう。
それと勝手に〝拓海センサー〟と呼んでいるこの能力だが、拓海以外にも反応する人間がいるかもしれない。並行して調査を進めていこう。
結論。
ひとまず拓海をもっと観察する。
あとは流動的に。
…………。
身の振り方、これでいい?
これだけ?
よし。次。
どうしよう、間が持たなかった。仕事が早いのも困りものだな。
ちょっと辺りを巡回してこよう。
夜のアーケード街。
夕方の明るい時間帯とは、大分様相が異なっている。
夕方と人の数は変わらないが、もっと流れがあった気がする。
今は——
あちこちで若者が屯し、動く方向も定まらず緩慢だ。
飲食店以外の店はすでにシャッターが降りているため、その前は格好のたまり場となっている。
若い奴ばかりだな。
……未成年っぽいのも結構いる。キミたち、身の安全には気をつけ給えよ。
わたしの真下では、学生らしき集団が地べたびに直接座り込み、何が楽しいのかギャハギャハと大声で笑い合っている。
ということで、アーケードの屋根の下、人間観察中である。
わたしが梁から梁へ移動すると、稀に気づいた人間たちがこちらを見上げる。
「お、カラスだ」
「こんな時間に珍しくない?」
そういえば、夕暮れ前にちらほら見かけたカラスたちが、今はいない。カラスって、夜はどうしてるんだっけ? ねぐらに帰るのが普通なんだっけ。
あまり、夜は飛び回らない方がいいかもしれない。
アーケードの支柱の影に、原付バイクが一台停まっていたので、そこを目掛けて飛んでシートの上に着地。ここなら目立つこともないだろう。
確かにカラスって夜は見ないイメージかも。
むしろ朝にゴミ捨て場の生ゴミを漁っている——
……生ゴミ?
今、嫌なことに気づいてしまった。
食事ってどうすんの? え? 生ゴミ漁るの?
えええええ……。それはイヤだなあ……。
拓海に何とかしてもらおう。
嫌がられてもたかってやろう。
よし、決定。
新たな決意を胸に「クァ」と短く鳴く。
「わっ」
すぐ近くから甲高い声がした。
まさかこんな物陰に人が潜んでいるとは思わなかった。
誰か知らんが驚かせてしまったようだ。
「カラス……?」
光の届かない暗がりに、ひとり膝を抱え込んで座る小柄な少女がいた。
スマホ画面の白い光が、彼女の顔を照らし出す。
どうみても未成年っぽい。アッシュグレーのウェーブの髪に、クリっとした大きな垂れ目の瞳がキュートな印象。一言でいうと、ギャルだ。
こんな暗い場所で何してんの?
危ないって。
ギャルちゃんが慌てて立ち上がる。
怖がらせてしまったか。
あー、すぐに立ち去るから。そのまま、そのまま。
邪魔してゴメンね。
バサバサッ——
「きゃっ」
怯んだ少女の足が動き出す前に、その場を飛び立つ。少し離れたシャッターの閉まった店の庇に移動。そこから彼女を少し観察することにした。
まだその場に立ちすくんでいるギャル少女。厚底のブーツのせいか、実際の身長よりは大分高く見えているはずだが、それでも小柄だった。
彼女もこっちを見ている。
警戒しているようだが、そっちには行かないから安心してくれ。
わたしの意志が通じたのか、少女はまたその場に座り込み、スマホを操作し始めた。
SNSかな。
暗がりだけど、スマホ画面の光で表情は伺える。
誰かとチャットをしているようだ。
しばらくすると、彼女は自嘲の笑みを浮かべ、指の動きを止める。
そして深いため息をつく。
「ダメだな、やっぱり……」
何がダメかは知らない。けど、ダメだと思ったときがダメなときだぞ。
なんちゃって。
そんな彼女に近づく人影が2つ。
「すみませ〜ん、おネエさん! 今、一人ですかあ?」
少し酔った二人の若い男が、ギャル少女を見つけ声をかける。
一人は鼻ピアス。もう一人は金髪パーマ。
ナンパか。
「うわ、かわいい! ねえねえ、これからボクらとお茶でもしませんかぁ?」
鼻ピアスの男が軽薄な口調で言う。
金髪パーマの男は隣りでニヤニヤしている。
ギャル少女、めっちゃ不機嫌そう。
思いっきり顔に出てる。
男たちをギロリと睨むギャル少女。
しかし、すぐにスマホの画面に視線を戻し、チャットを再開する。
どうやら無視することに決めたようだ。
「ねえ、もしかしてシカト〜?」
「…………」
近くにいた若者数人のグループが、不穏な空気を察知して、ギャル少女とナンパ野郎たちの成り行きを見守っている。その中の一人、赤いキャップを被った男が、心配そうに助けに入るタイミングを伺っている。
ほほう。赤キャップくん、さてはギャル少女が気になっていたな?
今、キミの漢を見せるチャンスだぞ。
「こっち向いてよ〜」
「…………」
ギャル少女は徹底無視の構えだ。
鼻ピアスと金髪パーマは視線を交わし、肩を竦める。
「ちぇっ、冷たいなあ。
……まいっか、邪魔してゴメンね? またね〜」
ヘラヘラと笑いながら去っていくナンパ野郎の二人。
その背中をギャル少女の鋭い視線が見つめる。
そして「死ねっ」と呟いた。
とても好戦的。
赤キャップくん、モタモタしているから見せ場を逃したね。
正義感に燃え一歩踏み出した赤キャップくんだが、あっさり解決しちゃったものだから、ギャル少女に右手を差し出す格好で固まっている。それに気づいたギャル少女が、冷やな目で問い掛ける。
「なに?」
「え、あ、いや、何でもないです……」
「うざ」
はい。終了〜。
赤キャップくんが不憫過ぎて見ていられない。
わたしは人間観察のターゲットを鼻ピアスと金髪パーマに変えた。
まだ近くをフラフラヘラヘラと歩いてる。
なんだこいつら、女しか見てないな。
ナンパできそうな娘をずっと物色してる。
なんかムカつく奴らだな。
見る価値ないかも。
あ、また誰かに声を掛けた。
おい、それは制服の女子高生じゃないか。
さすがにそれはやめておいた方が——
あ。
見つけた。
それは夕方見た気配のない少女だった。




