7,拓海の不思議体験談(1)
「——で、このあと、祐介から電話がかかってきたんだけど……。驚いたことに、そのカラスがスマホの画面を操作して電話に出たんだよ」
四人掛けのテーブル席。俺は正面に座る祐介と原田さんに向かって、今日の出来事を順を追って話していた。
「カラスが電話に?」
原田さんが、意味が分からないという表情で聞いてきた。いや、『眉唾ものの話でお腹いっぱいなのに、まだ続くの?』というところか。きっと、今日この会に参加したことを後悔しているに違いない。
だって想像してほしい。
顔と名前しか知らない会社の先輩が出来の悪いオカルトネタを真剣な表情で語り始める会と、久しぶりにあった友人が胡散臭い儲け話を熱く語り始める会。どっちがマシか。
そんなの、どちらも苦痛でしかない。
本当にごめんね、原田さん。チャンスがあったら改めてご馳走したい。けど、そのチャンスをもらえるとは思っていない。今日のこの時間だけは我慢して欲しい。
ここで一息入れて、グラスに三分の一ほど残っている温くなったビールを一気に飲み干す。
「カラスのすぐそばで鳴ってるスマホを、俺はビビって取ることができなかったんだ。そしたら、そのカラスが通話ボタンを押して、俺の方に『ほらよ』って感じでね……」
「本当ですか? すごい!」
先輩を立てる合の手が素晴らしい。原田さん、いい子かも。
「美咲ちゃん、それ本当なんだよ。俺が電話で拓海さんの名前を呼んだらさ、『カァー』って返事がきた!」
「うそぉ? 可愛い!」
おお、もしかして本当にウケてるの?
だったら救われた。
「歩道橋のカラス、羽を落としたカラス、電話に出たカラス。これらは全部同じカラスなのか、それとも別々の個体なのか……。別々なら、武蔵天川のカラス全体の独自進化説が浮上しますよ」
「んなわけあるかい」
「案外『武蔵天川 カラス』でSNSでバズってたりして……」
こらこら。本当に調べるんじゃないよ。
原田さんも、一緒になって画面を覗き込まない。
「「あっ」」
二人が同時に声を上げる。
黙って画面を食い入るように見ている。動画か?
「何? 何か見つかったの?」
返事がない。夢中になって動画を見ている。
仕方がないので、ビールのおかわりを注文する。
そういえば、せっかくの料理を全然食べていなかった。
お、この肉、うま。
ん? 二人が肩を震わせて必死に笑いを堪えている。
祐介がスマホを俺に差し出してきた。
「拓海さん……これ……」
震える指で動画の再生ボタンを押して、画面を俺に見せてくる。
そこには——
俺とカラスのやりとりの一部始終が映っていた。
は?
爆笑する祐介と原田さん。
「こ、これ……これ……た、拓海さ……ぶあははははっ」
「やだー、もう、やめてくださいー」
いつのまに!?
なんで!?
抱腹絶倒中の二人。他の客の注目を浴びている。
訝しげな顔でマスターも近寄ってきた。原田さんがマスターに動画を見せ、涙を流しながら俺を指さし、また吹き出す。他の客にも状況が伝わったのか、店中が爆笑の渦に巻き込まれた。
一躍、時の人に……。本当にやめて。
店内が落ち着くのにおよそ30分。その間、ほぼ無言を貫いた俺は、ビールを2杯も空けることになった。みんなして繰り返し動画を再生しては笑っている。俺を無視して。
原田さんが俺を気遣って、熱いおしぼりとか持ってきたけど、騙されないぞ。マスターに動画を教え他の客にまで拡がった原因はキミなんだからね!
「——あ〜、笑った。最高っす、拓海さん」
…………。
「うわー、睨んでるー」
「うるさい」
「でも、これで拓海さんの話にも信憑性が出ましたね」
「信憑性なかったのかよ!」
「残念ながら……ね、美咲ちゃん?」
祐介の問いには何も答えず、ふんわり笑顔で小首を傾げる原田さん。
「で、この動画の内容の後に今日の飲み会が計画されて、今に至るというわけですよね?」
原田さんへの説明を兼ねて、祐介が俺に確認をしてくる。
「——いや、ところがさ、まだそこで終わりじゃなかったんだよね……」
「「え?」」
「祐介との通話を切ったあと、時間を潰すために駅の方に向かったんだけど——」
◇◇◇
俺は、待ち合わせ時間までの居場所を考えながら、アーケードの中を歩いていた。
カフェにでも寄ろうかな。
……あ、ヤバ。ここ事故現場の交差点だ。
ボケっとしててすっかり忘れていた……。
いつの間にかアーケードを抜け、大通りに出てしまっていた。
事故現場ではもう車の交通規制は解除されている。
うわ、歩道はまだ規制が敷かれているのか……。
ガードレールって、あんなに曲がるものなのか?
……早くここから離れよう……。
駅は目と鼻の先。さすがにここまで来たらこの交差点を渡るしかない。信号が青に変わるまで、正面を見つめて事故の痕跡が目に入らないようにする。それでも、散乱した部品の破片や道路に引かれたチョークの跡などが、視界に入ってきてしまう。
何だか落ち着かない。うん、別のことを考えよう。
そうだ、今日の〝幻聴〟の言葉を思い出してみよう。
芽生えた〝幹〟の成長を……見届けなさい、だっけか?
〝目〟……を与えます……、えーと、見逃さすことがないよう……?
やっぱり意味が分からない。
「あの、すみません! あの……」
「お願いします! どうか、私たちの話を聞いて下さい!」
どこからか男女の切羽詰まった声が聞こえてきた。
声のする方を振り向く。規制が敷かれた歩道の近く。三十代くらいの夫婦だろうか。悲壮感漂う表情で、行き交う人々に何かを呼び掛けている。
「息子を、息子を探しています! 8歳の息子です!」
「手を繋いで歩いていたのですが、突然大きな騒ぎに巻き込まれて、いなくなってしまいました!」
「どなたか息子を知りませんか!?」
鬼気迫る様子だ。なのに、通行人の誰一人として耳を貸す者がいない。夫婦は近くを歩く人に次々と駆け寄り、懇願している。
子供が行方不明?
どれだけの時間探しているんだ?
ちょっと待って。
大きな騒ぎって……事故のこと?
何時間経っている? もう6時間は経っているよな。
事故に巻き込まれた?
いや、それくらいはすでに警察に確認しているだろう。両親が問い合わせたなら、すぐに身元照会ができるはずだ。
なら、どこに?
誘拐?
背筋に冷たいものが走る。
そりゃあ両親は形振り構っていられないはずだ。
ただ、俺が異様に感じたのは、通行人の方だ。
夫婦の懇願を、全員が完全にスルーしている。
まるで空気のように扱っている。
息子を探す必死な夫婦など、最初からいないように。
「お願いします!」
「お願いします!」
どうして良いかわからない。
俺のこの苛立ちは誰に向けたものだ?
通行人? それとも動けない今の俺?
これは絶対に面倒事に違いない。
でも……素通りするには、あまりにも……。
動こうとしない足を無理やり動かし、夫婦の方へ駆け寄ろうとした瞬間、どんっ、と横から誰かがぶつかってきた。
「っと、失礼」
会社帰りのサラリーマン風の男が、謝罪の言葉とともに横断歩道を渡っていく。いつの間には信号が変わっていたらしい。
出鼻を挫かれて狼狽する。きっと歩行者の通行の邪魔をしていたのは俺の方だ。なのに、ぶつかってしまった謝罪ができなかった。
気を取り直して、夫婦の方に向き直る。
「え?」
夫婦の姿はどこにもなかった。




