6.本条拓海の憂鬱(2)
しばしカラスと見つめ合う。
微動だにせずこちらを見下ろすカラス。
「……さっきの声は、おまえか?」
自分でも馬鹿な質問をしていると思う。カラスが喋るわけない。
しかも、頭の中に直接語り掛けてくるとか、ってイヤイヤ。
俺の問いに、カラスは何も返してこない。
あ、待て……。さっきの声は「〝目〟を与える」って……
カラスに再度問う。
「おまえが……〝目〟なの?」
カラスはちょっと首を傾げた。
…………。
ふっ……馬鹿馬鹿しい。
真面目にカラスに問い掛けちゃってるよ。
自嘲して肩をすくめた次の瞬間だった。
空気が――世界が、
ぶるり、と震えた。
俺の中で何かのスイッチが、入る。
目の前の野次馬たち。眼下の道路で渋滞中の車列。取り囲む周囲のビル。目に映るあらゆるモノ《・・》の輪郭が、瞬間的にわずかに明瞭になった。
それはオートフォーカスのカメラのファインダー内でピントが合った瞬間に似ている。
周囲の音も、高性能のスピーカーから流れてくるように、クリアに聞こえ始めた……気がする。
景色が自分からわずかに遠ざかった。広角になった、とでも言うのか。
んん!?
何が起こった?
思いがけない五感の変調に、一瞬フラつく。
歩道橋の階段の一番上から、足を踏み外しそうになる。
うわ、危ない。
目を擦る。
しぱしぱと目を瞬く。
そうしてもう一度、辺りを見渡す。視力には自信がある。目の良さが数少ない自慢のひとつだ。
しかし、以前よりも一段階良く見えている、と思う。
音は、ボリュームが上がったというよりは、小さな音まで拾えているような感じ。少し離れた場所で喋っている野次馬の、普段なら聞こえないような距離の会話が――聞き取れる。
え?
……何? どういうこと?
しばし呆然と立ち尽くす。
気分は悪くない。
むしろスッキリとして気持ちいいくらいだ。
「すみません、通してもらってもいいですか?」
後ろから声を掛けられた。階段を降りる人の邪魔になっていたようだ。
「あ、すみません」
我に返って端に寄る。そして何気なく腕時計に目をやる。
わ、打ち合わせに遅刻する!
俺は慌てて階段を駆け降りた。
チラリと視線を向けると、そこにもうカラスはいなかった。
約束の時間にはギリギリ間に合った。七夕学院高校の正門前に着くと、門の側の守衛室に面会の約束を告げる。しばらくすると担当の若い教員が出迎えにやってきた。
会議室まで案内される傍ら、さきほどの交通事故の話を振ってみる。
「そんな大きな事故が?」
「直接見たわけじゃないですが、かなり騒ぎになっていましたね」
「……どうりでさっきからサイレンがたくさん聴こえると思ったら……」
驚いた様子の担当教員。
会議室に通されると、既に校長が席に着いていた。簡単に挨拶を交わした後、若い教員が校長に交通事故の件を伝える。少し考え込む校長。
「巻き込まれた生徒がいないか、確認する必要があるな」
「そうですね。念のため、各学年の主任に確認を取るように伝えてきましょう」
「ああ、頼んだ」
会議室を出ていく若い教員。
なんだか、思ったより大事になってしまった……。
ソワソワしてしまう。
若い教員が戻るの待つ間、校長が事故について質問をしてきた。しかし、事故から逃げるようにやってきた俺に、答えられることはほとんどない。野次馬でもしていれば、こういうときに話題を提供できるのかもしれないな。野次馬も悪いことばかりではないか。
打ち合わせ自体は1時間ほどで滞りなく終了。
最後に今後のスケジュールの確認をしていたところへ、生徒の安全確認の結果報告が届く。報告にきた中年女性教員が、校長とドアのそばで立ち話をしている。
七夕学院高校の生徒に事故の被害者はいないとの連絡に、一同ホッと息をつく。
「それはひと安心ですね」
「そうだね。ただ、かなり酷い事故みたいでね、怪我人も多そうだ」
「そうですか……」
「実は、その件で警察からも我が校に問い合わせが入ったらしい。制服姿の高校生くらいの女子が意識不明で搬送されてね。学生証や身元が分かる物も見つからず、どこの学校の制服かもまだ分からないという話だ」
「え……」
若い教員と共に言葉を詰まらせる。
迂闊に「安心」なんて言葉を使ったことに自己嫌悪する。
「それは……なんとか助かって欲しいですね……」
「本当にね」
絞り出すように言った俺の言葉に、校長が相槌を打つ。
鬱々とした気分でその場を辞す。
足早に校舎の外に出ると既に16時を回っていた。
思ったより遅くなってしまった。
今日は精神的に疲れた。
校舎の前庭に置かれたベンチに腰を下ろす。
正面奥にグラウンドが見えた。そこには部活動に勤しむ生徒たちの姿がある。
青春だねえ。
そういえば……俺の目、どうなった?
すっかり忘れていた。
グラウンドのサッカー部の練習風景をじっと見つめる。
…………。
やっぱりちょっと良く見えるようになってる?
いや、どうだろう、以前と変わらないような気もしてきた……。
耳は?
……うーん、前より鮮明に聴こえる……かもしれない。
わからない。
どっちも以前と同じと言われれば同じような、良くなっていると言われれば良くなっているような……。
くっ。
なんと言うか、残念な自分にガックリくる。
サッカー部では練習試合をしていたのだろう。ゴールが決まる。
おお、ナイスシュート。
ん?
んん?
んんんー?
……なんかぼんやり光ってない?
生徒たちが。
今、ゴールを決めて喜び合っているチームの子たちが、なんかこう、薄ぼんやりと……。
あ、消えた。
…………。
気のせい?
バサバサッ——
すぐ後ろで、何かが羽ばたく音がした。
驚いて振り向く。
が、何もいない。
恐る恐る周囲を見渡す。空を見上げる。
すると、上空からヒラヒラと落ちてくるものがあった。
足元に落ちたそれは——
一枚の黒い羽だった。
カラスの羽?
……さっきの歩道橋の?
無意識に羽を拾い上げ、見つめる。
どれくらい見つめていただろうか。
不意に誰かに肩を叩かれた。
「ちょっといいですか?
お兄さん、そこで何をしているの?」
守衛さんだった。凄くこっちを警戒している。
あ……。
俺は守衛室に連れて行かれたが、守衛さんが俺の顔を覚えていてくれたおかげで、不審者とはならず無事に解放されることになった。
「お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
「ああ、いえいえ、大丈夫ですよ。
女生徒から怪しい人がいるって通報があったものでね。ははは」
「なんというか、自分の迂闊さを反省しています……」
「ま、次は気を付けてくださいね」
笑って手を振って見送ってくれる守衛さん。本当にありがとう。
あ〜、どっと疲れた……。
駅に向かう道を、ポテポテと力なく歩く。商店街のアーケードの手前で、交通事故のあった交差点がこの先にあることを思い出す。
さすがにもう片付いているよな……。
うーん、気が進まない。
今から会社に戻ったって時間は遅いし、そこの公園で少し休んで行くか。
駅側から見ると、商店街アーケードの反対側、住宅地との境界くらいにある小さな公園。そこに立ち寄り、ベンチに腰掛ける。
どかっと座ると同時に、スマホと鞄を空いた座面に投げ出す。
こういう小さな公園ってよく見かけるけど、使う人っているの?
って、今、俺が使ってるわ。はは……
「はぁ〜……」
思わず溜息が出る。
今日の出来事を脳内で整理しようとするが、多過ぎてまとまらない。いや、数の問題じゃないな。中身だ。荒唐無稽過ぎることばかりだ。すべて夢だったんじゃないかと思い始めている。
交通事故。これはまあ、あるか。
幻聴。〝幹〟って何ですか? 説明プリーズ!
カラス。もしかしたら関係ないかもしれない。
目と耳の異常。これも気のせいかもしれない。
光る生徒。与えられた〝目〟って、これですか?
そして、再びカラス。羽だけ落として姿見せず。
「ああぁ〜」
髪をガシガシと掻き毟る。
仕事のストレス?
何かの病気?
明日会社休んで病院行ってこようかな……。
そのとき、ふぁっ、と背中に風を感じた。
同時にバサッと小さく羽ばたく音。
傍らに置いた俺の鞄の上に、カラスが乗っていた。




