4.目覚め(4)
昼間の無垢な喧騒がすっかり霧散した日没直後の武蔵天川駅前。いくつものネオンの光がビル壁に反射し、繁華街独特の粘り気のある空気が漂い始めていた。
学校や仕事帰りの住民たちに混じり、これから夜のまちに繰り出す有象無象たちが、駅の改札口から大量に吐き出され続けている。
交代する昼と夜、表と裏が混じり合う小さなカオス状態が、まちのこの時間帯の日常である。
わたしは今、駅のロータリーの街灯の上から、真下にいる拓海の頭を見下ろしている。森川祐介とはまだ合流していないようだ。
拓海のすぐ横には、まちのシンボル 織姫像がある。5メートルくらい離れた場所には彦星像。この二像一組で、武蔵天川駅のシンボルらしい。知らんけど。
カラスのリサーチ力を侮るべからず。この情報も〝まちの声〟を渡り聞いた本日の調査の賜物なのだ。
ここは待ち合わせの場所として有名っぽい。
今現在も、若者を中心とした多くの人々が像の周りに集まっている。
「拓海さん! お待たせしました!」
元気な声が拓海を背後から呼ぶ。
こいつが森川祐介ね。
拓海より少し背が低い。童顔のカワイイ系男子。
振り向いた拓海に、祐介はニッと笑って軽く敬礼のポーズをとる。
「おー、呼び出して悪かったな。サンキュー」
「いえいえ! オゴリなんて言われたらそりゃもう喜んで! こちらこそサンキューでっす!」
この調子の良さ、年上から可愛がられそう。
「あれ?」
祐介の後ろにひっそりと立つ女性に拓海が気づく。
「原田さん?」
「あ、本条さん、お疲れ様です」
原田と呼ばれた女性が、少し居心地悪そうに拓海に小さく会釈する。
拓海、お前の名字は『本条』か。インプット完了。
原田さんは、線の細い感じのふんわり癒し系美女だな。
祐介と同じくらいの年齢に見えるが、二人とも童顔だから実年齢が読めん。並んで歩くと、微笑ましい学生カップルにしか見えん。
「何で原田さんが?」
「会社を出る時偶然一緒になったんで、ボクが声掛けて強引に連れてきちゃいました!」
男のテヘペロが武器になるとは思わなかった。
すごいぞ、祐介。
「あ、いえ、お邪魔でしたら私は帰りますので……。
帰る方向が一緒ということで、森川くんの勢いに押し切られたと言いますか……。
来たからには、本条さんにご挨拶だけでもしておこうかな、と」
「ええ!? ちょっと待ってよ、美咲ちゃん! 今日は拓海さんのオゴリだよ?」
「え? 俺が奢るの?」
すごいぞ、祐介。
人の意見は全無視だな。
原田さんのさり気ない批判にも気づいていない。
「ね? そうですよね? 拓海さん!」
「え? あ……うん、奢るよ。俺も原田さんと一緒に飲めるなら嬉しいし。もちろん原田さんがイヤじゃなければだけどね。なんかこいつが強引に誘っちゃったみたいで、ゴメンね? どうかな?」
他人を傷つけまいとするその配慮。
拓海、お前結構苦労してそうだな。
「さすがに奢ってもらうのは、申し訳ないですよ〜」
「ああ、大丈夫大丈夫。今日はいくらでも飲んでいいって祐介には言ってあるし。なんだったら、半分は祐介に出させるし。はは」
「うん、美咲ちゃんの分は俺が出すよ! むしろ出したい! 拓海さん、いいコト言いますね」
「何よそれ〜? うふふ。それじゃ、ちょっとだけご一緒させてもらおうかなぁ。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる美咲。本心はどうか知らんが、全く迷惑がっている様子はない。振りまく笑顔がめっちゃ眩しい。
原田さん——美咲だっけ? この子のふんわり癒しオーラ、なかなかエグいです。半径5メートル以内の男になら癒しのバフが掛かりそうだ。いや、魅了のデバフか?
あ、祐介がオーラにやられている。胸を押さえて呻いている。
そうか、そうゆうことね。お前は美咲狙いか。
「ありがとね、原田さん。そういえば、一緒に飲むの初めてだね」
「そうですね。皆さん、経理の私とは普段接点がないですもんね〜」
拓海にはバフもデバフもかかっていないようだ。冷静な目を持っていて良し。ポイント+1!
「原田さんはどんなお店がいい? 祐介と二人で飲む予定だったから、安い居酒屋チェーンしか考えてなかったわ」
「私はそれで構いませんよ?」
「いや、美咲ちゃん! キミをそんな場末の店に連れて行くわけにはいかない!」
「おい祐介、全国の居酒屋チェーンに謝れ」
「うふふ。あ、それじゃあ、私の知り合いがやっているお店に行ってみます? たまに行くんですけど、そんなに高くないと思いますし、何よりお酒と食べ物がどれも美味しいんです」
「美咲ちゃんの行きつけの店ってこと? 行く! 行く行く! そうしましょ、拓海さん!」
「うん、いいね。迷惑じゃなければ是非お願いしたい。
でも大丈夫? 知り合いの店に俺たちみたいのを連れて行って」
「はい、大歓迎ですよ〜」
移動を始めた三人の後をわたしも追う。ビルの庇や電柱、街灯やフェンスなどを足場に、静かに飛び移りながら着いていく。見よ、これぞカラスの尾行術。
先導する美咲の横を並んで歩く祐介。
その二人のすぐ後ろを拓海が着いていく。
祐介も美咲も、通勤の地味な服装で目立ちはしないが、顔や雰囲気に華がある。まるで芸能人のお忍びデートみたいだよね。拓海はそれに不承不承付き従うマネージャーというところか。ぷぷ。
「原田さんは武蔵天川が地元なの? なんか詳しそうだよね」
「家はこの先の領成市なんですけど、通っていた高校がここなんです。仲の良い友だちもみんなこの近くなので、集まるときは自然と武蔵天川になるんですよ〜。おかげで知り合いもたくさん増えました」
「へ〜、なんかいいね、そういうの」
拓海、友だち少なそうだな。
「え? 美咲ちゃん、高校ここなの? 初耳! ちなみにどこの高校か聞いてもいい?」
「リリアーナ女学院です」
「「お嬢様じゃん!」」
見事に反応が被ったな。
「うふふ。ご想像にお任せします」
ふんわり笑顔がまったく崩れないぞ。
これは本物だな。
「でも今日は、私の話ではなく本条さんのお話を聞くんですよね? ここに来る電車の中で森川さんから聞きました。何か不思議な出来事があったって。今さらですけど、そのお話に私が参加して大丈夫ですか?」
上手く話題をすり替えたな。
祐介、この城を落とすのは骨が折れそうだぞ。
「ああ、気にしないで。その話は他の日でもいいし。せっかく原田さんがいるんだから、別の話で盛り上がったって何も問題はないよ」
「うんうん、そうそう」
「いや、お前はそこで頷いちゃダメだから。『むふぅ』とか言って楽しみにしていたじゃん」
「それはそれ、これはこれです」
「あの、その不思議な体験の話、私も一緒に聞いてはいけませんか?」
「え? 原田さんも聞きたいの?」
「実はちょっと興味があると言いますか。森川くんの誘いに乗ったのも、それが理由でして……」
お、初めて表情が崩れたな。照れ隠しか。
ちなみにその話、わたしもちょっと興味がある。
「まさか美咲ちゃんもオカルトファンとか? うわー、趣味が合う〜」
「あ、もちろんそれも少しはあるけど、このまちで起こった気になる出来事は何でも知りたい、という面が大きいかなぁ。思い入れがあるまちなので。
……ダメですか?」
その上目遣いの『ダメですか?』はダメ。
これを断れる男はいるのか。
「ダ、ダメじゃないけど……。話を聞いた後に、俺のことをヘンな奴とか、危ない奴とか、思わないでいてくれるなら……むしろ相談に乗ってもらえるなら心強い」
「うふふ、思わないですって〜」
ふんわり笑顔に戻った。
拓海、こういう顔には要注意だぞ。おそらくお前の名誉は守ってくれるだろう。だが、お前の評価が下がる可能性はある。
「あ、着きました。このお店です」
細い路地に入った先の白い壁の小さな建物。『止り木』と書かれた小さな木製の看板が、店の扉の横に掲げられている。
「おお、なんか良い雰囲気だねえ」
「オシャレな予感しかしない!」
「うふふ、どうぞ」
三人は扉を開けて中に入って行ったが——
あ、そうだった、わたしは中に入れなかった。
おい、話を聞けないぞ。




