3.目覚め(3)
日没前。
茜色の空はまだ明るいものの、ビル影に飲み込まれた街路はどこも一様に暗い。上空から眺めていると、すでにポツポツと街灯の光が灯り始めるのが見て取れる。
空を飛ぶというのは、思っていた以上に優越感に浸れる。
カラス、悪くない。
さっきの拓海とかいう男。今夜はこのまちで会社の後輩——祐介と言ったか?——と飲むらしい。あとで様子を見に行ってやるとしよう。
実に不思議だが、拓海の居場所は離れていても何となく分かるのだ。これってカラスの標準仕様? いや、聞いたことない。
拓海はわたしにとって特別な存在?
うーん、謎だ。
まあ、追々考えていくことにしよう。
で、わたしは今何をしているのかというと——
聞き込み調査。
今日、このまちで起こったという交通事故。わたしの今後に関わりがありそうな予感めいたものを感じる。
そこで、街を飛び回り通行人の声に耳を傾けているのだ。
成果は——芳しくない。どれも同じような浅くてペラペラな内容ばかりだ。駅前の街頭ビジョンの前に陣取り、ニュース速報を聞いている方がよっぽどマシかも。じゃあ、なぜそうせずにフラフラと飛び回っているのか。
カラスだから?
本当にそれしか言えない。
楽しいんだよ、飛ぶのって。
ん? あそこを歩いている二人組……。
さっき拓海のことをスマホで撮影していた女子高生Aと女子高生Bじゃないか。
駅に続くコミュニティ道路。女子高生二人のすぐ近く、停車中の配達トラックの裏に静かに着地する。物陰に隠れながら徒歩で尾行を開始。通行人と何度もすれ違うが、カラスが近くにいても案外誰も気にしないんだね。
ABコンビはスマホを見ながら、何やら盛り上がっている。
「おお〜、みんなチェック早ぁい」
「うわー、すでにコメ欄大荒れじゃん」
「ミコなんて、動画アップした瞬間に観てるよ」
「ミコのコメント、ひどい。生成AIで作ってねーし。本物だし」
「カラス、神ってたよね」
あのとき撮っていた動画か。
わたしもちょっとやり過ぎたと思っている。反省。
「あ、またママからメッセージきた。早く帰ってこいって。何回目だっつーの」
「心配してるんだよ。街中大騒ぎだったみたいじゃん」
「そのときは学校にいたから大丈夫だって言ってるのに」
「親心だよー。分かってあげなってー」
「うざー」
お、事故の話題。
「ママったら事故のテレビ報道内容、実況で送ってくるよ……こわっ」
「親心〜」
「どんな親心? 引くわー」
「そういえば今日学校でさ、事故被害者がいないか、生徒全員の安否確認があったじゃない?」
「あー、あれね。ちょっとビックリしたよ。あんなことするんだね」
「それでね、私の中学の友だちのエミちゃん、知ってるでしょ?」
「え? エミちゃん? 知ってる知ってる。S高校だったよね?」
「エミちゃんがSNSで連絡くれたんだけど、S高校でも安否確認があったんだって。なんかこの辺の学校全部に警察から確認依頼があったみたいだよ」
「はあ? なんかすっごい大事になってんじゃん。なんで?」
「高校生くらいの子が巻き込まれたらしいんだけど、身元が分からないんだって」
「マジ?」
「マジ」
「分からないってことは……死んじゃったってこと?」
「それも分かんない」
「男子? 女子?」
「女の子だって」
「うそ、かわいそう……」
「うん……。で、エミちゃんの話だと、その子は制服を着てたんだけど、どこの学校か分からなくて、だから一応近くの学校全部に連絡が行ったんだって」
「なにその情報、ソースどこよ? 怪しくない?」
「ソースはエミちゃんの学校の仲良しの先生。『誰にも言うなよ?』って教えてくれたんだって。ソッコー私に言っちゃってるけどー、あはは」
「コンプラガバガバじゃん。ってか、エミちゃん! 仲がイイってどういう関係だよ。男か? 付き合ってんのか? 終わってんな、その教師」
「さあ、どうなんだろうねー。私の口からは言えなーい」
「こっちのコンプラも、しっかりしてるようでしてない」
きゃはは、と笑い合う二人。
ふーん、身元不明の女の子ねえ……。
「ね、ちょっと。前から来る子、見て見て」
「え?」
AがBの耳元で小声で囁き、二人で前方から歩いてくる一人の制服姿の少女を見る。
「あの子の制服も、見たことなくない?」
「そう? んー……。たしかに。知らないかも」
「どこの学校だろ?」
ディープグリーンのブレザーにタータンチェックのスカート。胸元にはバーガンディの紐リボン。ファッションサイトの制服モデルを彷彿とさせるスラッとした長身。顎の下あたりで切り揃えられた前下がりのショートボブの艶のある黒髪が、切れのある美しい顔立ちによく似合っている。
目線は少女にロックオンしつつ、無言で少女とすれ違うABコンビ。だが、すぐに後ろを振り返り、遠ざかる少女の背中を二人してじっと見つめている。
「すっごい美人……」
「う、うん。綺麗な子……あんな子、このあたりにいたっけ?」
「いたら話題になるんじゃない?」
「だよねえ……でもさ、なんかヘンじゃなかった?」
「え?」
「なんていうか、心ここにあらずというか……ボーッとしてなかった?」
「そういえば……そうだったかも?」
「鞄も持ってなかったよね。なんかおかしくない?」
しばしの沈黙。
「放置して大丈夫かな……」
「もしかして、事故に遭った身元不明の女子高生だったりして」
「ちょっと! やめてよ! 寒っ! 私そういうのダメなんだから!」
「あはは、ごめーん」
笑顔で謝るAだが、よく見るとその頬は引き攣り、心無しか顔も青褪めていた。
わたしは急いでその場を飛び立った。
そして、制服の少女の後を追う。
彼女がとても気になった。
いや、気にならないのが気になった。
そこにいるのに、いない。
注意して見ていないと、見ているのに見失う。
拓海とまったく逆だな。
あいつは、気になって仕方ないというか、何処にいても存在を感じることができる。今この瞬間も感じている。
それはそれで怖いか。
一方、この制服の少女ときたらどうだ。
気配が薄いというか、ない。
カラスに気配を察する能力があるか知らないけど。
宵闇が街の表の顔を徐々に塗り潰していく中、彼女の周囲だけ一足先に夜の帳が降りているかのように、何も読み取らせてくれない。
雑多な情報が散りばめられた空間に、そこだけポカンと穴が開いている。そんな感覚。何も感じることができないものがそこにある。
そんな人間っているのか。
わたしがカラスだからわかるの?
カラスすげーな。
でも、そういう隠密的というか、影の存在というか、強そうな適役みたいな能力、カッコいいぞ。
ちょっとジェラシー。
そういうダークなキャラ付け、カラスにも似合うよね。
あ、馬鹿なこと考えてたら少女を見失った。
…………。
彼女が消えた方角に視線を向ける。その先には、さきほど通り抜けたアーケード『武蔵天川商店街 ミルキーウェイ』を中心とした繁華街が広がっている。
……探す?
……人が多そう。
別に、無理に彼女を探す必要もないな。
ちょっと気になっただけだし。
見つけるの大変そうだし。
そろそろ拓海のところに行ってみるか。
森川祐介とかいう奴と合流する頃だろう。
どれどれ……。
駅の方だな。
拓海はいいな、見つけやすくて。
わたしの中の評価が上がったぞ。




