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2.目覚め(2)

 わたしの目の前には、項垂れた男の背中がある。

 実に頼りない。こんな矮小な存在にわたしは惹かれたのか?


 今のわたしはカラスだ。

 だが、中身はだいぶ人間寄りな気がする。根拠はないけれど。


 仮にわたしが人間だとしよう。想像、想像。

 目の前の背中に惚れる要素はあるか?


 ……うん、皆無だ。


 ということは、カラスとしての何かが、この背中に惹かれている?

 カラスの琴線に触れる何かが……。

 カラスの琴線って何だ。

 さっぱりわからん。


「はぁ〜……」と男が溜息をついた。続けて「ああぁ〜」と呻きながら自分の髪をガシガシと掻き毟る。


 悩みがあるのか、青年よ。覇気がなく冴えない理由はそれか。

 話を聞くだけならわたしでもできるぞ。

 どれ、覇気のなさそうな顔をしっかり拝んでやろうじゃないか。


 フォッ、と軽くひと羽ばたき。

 ベンチの座面、男が座るすぐ横に舞い降りる。そこは雑に置かれた男の鞄の上だった。


「うおっ! ちょっ、なに!?」


 男は慌てて飛び退き、ベンチから数メートル距離を取る。そして、身構えたまま黙ってこちらを凝視している。


 案外普通の顔だな。


「カ、カラス?」


 声が震えている。


「さっきの? さっきの奴か?」


 〝さっき〟の?

 何を言っている?

 意味がわからん。


 わたしは男の顔を見上げ、わずかに首を傾げた。

 男は目を見開き、恐怖の入り混じった懐疑的な視線を向けている。なので、わたしも見つめ返してやる。

 数秒間見つめ合った後、男が口を開く。


「ち、違うのか……? さっきの奴じゃない……?」


 何のこと?

 わたしとお前はこれが始めましてだと思う。

 誰のことを言っているのか知らんが人違い、いや、カラス違いだ。


「あの……先ほど七夕学院高校の校庭にいました? 一時間ほど前のことですが……」


 男が恐る恐るわたしに聞いてくる。なぜか言葉遣いまで変わってる。

 とにかく、本当に何を言っているのか意味がわからない。

 そして、カラスに聞いてどうする? 答えが返ってくるとでも思っているのだろうか。


 やべー奴かもしれん。

 七夕学院高校? 知らん。

 一時間前? そもそも記憶がないし。

 こちとら、ついさっき〝覚醒〟したばかりだぞ。


 まあ、記憶がないときに何をしていたかは確かに分からないので、会っていたのかもしれないが。


 傾げていた首を反対側に傾げる。


「……あれ(・・)は違うカラスだったのか……いや、そもそもカラスじゃなかったのか……でも黒い羽だったし……」


 男は何かブツブツ呟いている。


 おい、自分の世界に入り込むんじゃない。

 あっちで女子高生二人が、こっちを指さしてクスクス笑ってるぞ。

 早く気づいたほうがいいと思う。


「やっぱり、幻聴だったのかなあ……。

 そうだよなあ、カラスが喋るわけないよなあ……」


 ちょっと待て。その口ぶり……。

 さっき(・・・)こいつに喋りかけたカラスがいたの?

 少なくとも、こいつはそう(・・)思っているっぽい。


 やべー。やっぱやべー奴だったー。

 働きすぎじゃないの? 是非休暇を取って欲しい。


 百歩譲って喋るカラスがいたとして、それはわたしではない。

 わたし、喋れないし。


「今日は何なんだよ。ヘンなことばかり(・・・・・・・・)起きやがって……」


 わたしから見れば、お前もヘンだ。

 こんな奴に絡んだことをちょっと後悔している。

 ここは早々に立ち去ることに——


(ヴヴヴヴヴーッ ヴヴヴヴヴーッ)


 すぐ近くで振動音。心臓が跳ねる。

 こいつのスマホか。


 ベンチに放り出されたままのスマホが、わたしの足元で振動している。

 男はスマホに手を伸ばそうとしては引っ込める、を繰り返す。


 もっとこっちに来ないと届かないと思うぞ。


 スマホの画面を覗き込むと、着信画面に『森川(もりかわ)祐介(ゆうすけ)』と表示されている。


「クァー(鳴ってるぞ)」


「お、おい、どけって」


 男はわたしに向かって手で追い払う仕草をする。


 ああ、そうか。わたしが邪魔なのね。それはすまん。


 ベンチの座面から背もたれの上へ飛び移り、ちょっとだけ移動。


 さあ、どうぞ。


 首をスマホの方に動かして促す。

 男は一瞬目を丸くしてから、ジト目で睨み付けてきた。


「……いやいや、それで退いたつもり?」


 なんだ、わがままな奴だな。


「——くそっ、襲うなよ? 頼むぞ」


 襲わんって。


 男はこちらを警戒しながらジリジリと近づき、恐る恐る手を伸ばす。


 電話、切れちゃうぞ。

 ……しょーがないな。ビビリさんめ。


 ベンチの背もたれから、トン、と座面のスマホの前に飛び降りる。

 肩をビクッと震わせた男は「わっ」と声を上げ、伸ばした手を引っ込めてしまった。

 わたしはスマホ画面を足でタッチする。


『——あっ、拓海(たくみ)さん!? 森川です!

 もしもし? あれ? もしもーし、拓海さん?』


 お前、拓海っていうのか。

 ほら、電話に出てやったぞ。ついでにスピーカーモードにしてやろう。

 って、わたしスマホの使い方知ってるよ。やっぱり前世は人間? 

 

 それはともかく早く返事してやれ。


 拓海を見ると、気味の悪いものを見る目でこちらを見ている。


「——お、おまえ……、なんでスマホを……?」


 ほら、それより相手が電話を切ってしまうぞ。


『——拓海さん? 聴こえてますぅ?』


「カァー」と間を繋いでやる。


『——ッ? な、なんの音? 拓海さん?』

「ゆ、祐介! 悪いっ! 今ちょっと——」

「クァ」

『なにこれ? なに? 拓海さぁん?』

「カ、カラスが——」


 シュールだ。これはとてもシュールな絵面ではなかろうか。

 ほら、さっきの女子高生がこっちを見て、肩を震わせて笑いを堪えているぞ。あ、片方の子がスマホでこっちを撮影しているな。


 意を決してスマホを奪い取ると、拓海は一目散に走り出す。が、すぐにハッとして急ブレーキをかけて立ち止まった。そしてこちらを振り返る。


 そうなんです、鞄をお忘れですよ。

 ちなみにその鞄の上にはわたしが乗っています、ハハハ。


 拓海は自らの失態に天を仰ぎながら、どうしようか悩んでいる。


『——拓海さん? カラスがなんです?』

「いや、鞄が……」

『鞄? ちょっとさっきから何を言っているのか全然わかんないっす』

「俺もわかんねーよ!」


 拓海よ、落ち着け。わたしもちょっとは悪いと思っているんだ。

 ほら、女子高生が笑いすぎて蹲っちゃったぞ。会話も丸聞こえだ。


「……いや、悪い祐介。こっちの話だ。で、何?」


 あ、一旦電話に集中することにしたのね。それもいいだろう。

 でもスピーカーモードは止めてもいいと思う。


『戻りが遅いなあと思いまして。打ち合わせはもう終わったんですよね?』

「あ、ああ、悪い。色々合ってね……。でも打ち合わせはうまくいったから安心してくれ」

『あ、そーなんすね? ならいいんですけど……。で、色々あった(・・・・・)って何です?』


「今現在、めっちゃカラスに絡まれてる……」

『はあ?』

「ちなみに、お前からの電話、カラスが出たから」

『……拓海さん? あの……大丈夫っすか?』

「……ダメかも知れん」


 おい、そろそろやめてやれ。女子高生が笑い死にしそうだぞ。


『それよりも、今日そっちでデカい事故ありましたよね?』

「それよりもってお前……ヒドくない? まあ、事故ね。駅の近くの交差点の交通事故か? 昼過ぎに武蔵天川駅出たら、駅前がすごい騒ぎになってた。俺はそのまま打ち合わせに向かったから、詳しくはわからない」

『そう、その事故です。もうテレビでもネットでも割と大騒ぎで』


 交通事故?

 ……なんだろう、気になるな。


『そこ、俺のマンションからメッチャ近いんですよ。なんか、イヤですよねぇ』

「そんなに酷い事故だったの?」

『信号無視の車が突っ込んで、車とかぐちゃぐちゃみたいです。巻き込まれた人もたくさんいて……マジ洒落にならないやつです』

「そんなに? ……イヤだなあ。駅までの帰り道にその現場があるんだけど……」


 随分と悲惨な事故があったようだな。


「って、俺ずっとスピーカーで話してたわ……。うわ、恥ずぅ」


 ようやく気づいたか。


「……で、今日はこのまま会社には戻らず直帰する」

『はーい、みんなに言っておきまーす』

「悪い、サンキューな。あ、そうだ。祐介、今夜ヒマ?」

『え? 今日ですか?』


「うん、今日さ、打ち合わせ先で不思議なことっていうか、ちょっと怖いことが色々あってだな……。たしかお前、オカルト好きだったよな?」

『なんすかなんすか、それ〜! 好きっすよ、大好物です!』


「その話をお前に聞いてもらいたい。いや、聞いてくれ。頼む」

『ええ? ということは、奢りっすか? 奢りっすよね? あざーっす』

「おー、奢る奢る。好きなだけ飲んで良し」

『うおおっ、マジっすかー』

「武蔵天川で飲もうよ。お前んちここだろ。ここで時間潰しているから、着いたら連絡くれ」

『了解です! いったい何があったんです?』

「それはあとで話すって」

『むふぅ、楽しみでーす! そんじゃあとで!』

「おう」


 拓海は通話を切った。


「むふぅ、って……。あ、そうだ、鞄!

 ——あれ? カラスの奴、もういない……よかった……」





 わたしはオレンジ色に沈みかけた空に向かって、飛び立っていた。

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