↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/24

18.決意の相談

 夜明けの気配がまだ残る武蔵天川市の市街地。人通りもまだ(まば)らな時間帯。

 綿貫真詩緒は武蔵天川警察署の前に立ち、正面入口を見つめていた。





 「ふぅっ」


 大きく息を吐く。

 警察に来たことは瑠華には内緒。


 夜ふかしな彼女は、いつもお昼近くまで寝ている。「散歩に出かけてきます」という書き置きを残してきた。でも、警察を頼れば、おそらくもう瑠華の家には戻れない。ネットで調べた限り、私みたいなの(・・・・・・)は保護されて施設に入れられるのが普通らしい。


 だから今は、唯一の私の持ち物——ブレザーの制服を着てきた。


 もう瑠華には会えないかもしれない。

 それでも面と向かってのお別れはできなかった。猛反対されるのが容易に想像できたから。


 瑠華にはすごく感謝している。

 記憶喪失なんて奇特な状態な私に、すごく良くしてくれた。

 彼女が置かれた状況を考えれば、純粋な善意ではなかったかもしれない。心の空洞(・・)を埋める存在が必要で、都合よく私が現れただけなのかもしれない。


 それでも、私にとっては彼女は恩人。だからこそ、これ以上迷惑を掛けることはできない。

 おそらく瑠華は「迷惑じゃない!」って怒るよね。でも、いつかは私の存在が問題(・・)になる。瑠華の社会的立場を危うくする可能性が高い。


 それに、警察行きを決意した理由は他にもある。


 あの件——瑠華の言動が突然おかしく(・・・・)なった(・・・)件が、頭から離れない。

 その後すぐに瑠華は元に戻ったけど、それがかえって怖い。

 私が何度確認しても、瑠華は自分の言動そのものを覚えていなかった。そして、私が再び〝交通事故〟の話題を出すと——


 また動画編集でそこだけカットしたかのように、話題が(・・・)無かった(・・・・)こと(・・)にされてしまったのだ。


 そのことに瑠華は何も違和感を感じていない様子だった。

 挙句に「真詩緒、大丈夫? もしかしてからかってんの?」と笑い出す始末。


 あのときは、怖くて叫び出しそうになった。


 ひとつ分かったのは〝交通事故〟が引き金(トリガー)だということ。

 それからは、瑠華の前で〝交通事故〟の話はしていない。


 私の周囲で〝常識では測れない何か〟が起きている。

 私の記憶喪失も、〝交通事故〟を引き金(トリガー)とする異常現象も、きっと無関係じゃない。

 私のせいで瑠華に何かあったら……私は自分を許せなくなる。





「記憶喪失?」

「はい」


 私が相談内容をざっくり説明すると、受付の女性職員さんが聞き返してくる。


「誰が?」

「私です」


 黙り込む職員さん。私の目をじっと見てくる。

 冷やかしか何かと思われているのかな……。


「えーと、綿貫さんでしたね。ここじゃなんですから、奥で話を聞きましょうか」


 動揺気味の職員さんに連れられて、「生活安全課」という札が掛かった部屋に通される。応接セットのソファに座るように促されると、職員さんは「ちょっと待ってね。担当の人を呼んでくるから」と言ってどこかに行ってしまった。


 しばらく待つと、40代中頃くらいの草臥れた感じの男性が現れた。


 私服だ。刑事さんかな?


 刑事と思しき男性は、眠そうな顔で無精ひげを撫でながら、のんびりと喋り掛けてきた。


「どうも、こんにちは。えーと、綿貫……真詩緒さん? 私は生活安全課の黒須(くろす)と言います」

「あ、はい、よろしくお願いします」

「誰かあ、お茶入れてくれるぅ? あ、(ひじり)ちゃん、君もこっちきて一緒に話聞いて」


 ウォータサーバーの前で水を飲んでいた若い女性が、こちらを向いた。

 彼女は自分を指さし「私ですか?」という仕草をする。


「そそ、アナタ」


 黒須さんの気の抜けた返事にため息をつきながら、彼女はこちらに歩いてきた。


「黒須さん、私、もう上がる予定だったんですけど?

 それから、下の名前で呼ばないで下さいって、いつも言っていますよね? セクハラで訴えますよ?」

「まあまあ、そんな目を吊り上げないでさ。可愛いお顔が台無しよ。徹夜明けで機嫌が悪いのは分かるけど、そんなんじゃお嫁さんのもらい手がなくなるよ?」

「くっ、この安定のセクハラ芸。どこからツッコめばいいんだ、このジジィ……」


 奥歯をギリッと噛む音が、聴こえた気がした。


「聖ちゃん、クチから呪いが漏れちゃってる。お客さん(・・・・)がビックリしてるから」

「……ちっ、どうも生活安全課の西野です」

「舌打ち」


 二人のこの慣れた感じ。きっといつもこうなんだろうな。ふふふ。


 西野さんは、20代後半のスラッとした、ショートカットの少しキツめの眼鏡美人。私服なのでやっぱり刑事さん?

 レンズの奥の切れ長の鋭い目が、黒須さんを睨んでいる。ちょっと怖い……。でも黒須さんは、私が未成年の女子だから気を使って彼女を呼んだのかも。


「綿貫さんのその制服、どこの学校なのかな? ……って、それも分からないんだっけ? いやあ、これは参ったなあ」


 黒須さんの言葉に、西野さんが眉根を寄せる。


「制服着てるのに、学校が分からない? どういうことですか?」

「彼女、名前以外の記憶が無いらしい」

「は? 記憶が? 名前以外のって……どこまで?」

「だから全部みたいよ? まあ、それをこれから聞くわけだけど」


 西野さんが訝しげな目で私を見る。


 ごめんなさい……。


「一応、今向こうで氏名の照会をかけているから。はい、座って」


 黒須さんの言葉を聞き、不承不承ながらもソファに腰を下ろす西野さん。


「綿貫さんも、ご両親とか探しているかもしれないしね。そういうのがあればすぐに分かるから」


 どうやら別の部屋で私の名前から色々と調べてくれているらしい。


「じゃ、さっそく話を聞こうかな。聖ちゃん、メモよろしく」

「……ちっ」


 それから私は、記憶にある最初の日——瑠華と出会った日から、覚えていることを順番に話していく。たまに黒須さんから確認の質問があり、それらを西野さんが調書に書き留めている。


「それじゃ、今朝までその高梨さんの家にいたということかな? えーと、瑠華ちゃんだっけか。彼女のご両親には会っていないんだね?」

「はい。あの……たまたまご両親が長期で不在中なので、ちょうどいいからと私を泊めてくれました。ただ、そのままでは迷惑を掛けると思い、こちらに相談に来ました」


 嘘はついていないけど、内容は少し誤魔化しておく。

 なるべく瑠華に不要な注目が集まらないようにしないと……。


「あの、綿貫さん、ちょっといいかしら?」

「はい」

「一時的な記憶障害の場合、強い心的ストレスなどが要因になることがあるのだけど……。瑠華さんと出会ったとき、あなたの体にはおかしな点はなかったかしら? その、着衣の乱れとか……」


 西野さんの質問の意味はわかる。

 男性などに乱暴をされたショックが原因では、ということだよね。


「それは無いと思います」

「そう」


 無表情に見える西野さんだけど、目には安堵の色が伺えた。


「ふーむ。ところで、照会結果遅くない? 聖ちゃん、ちょっと見てきくれる?」

「なんで私が……って、分かりましたよ……」


 席を立った西野さんの後ろ姿を見ていると、黒須さんが私に微笑む。


「彼女、見た目はキツいし、言動はちょっとアレけど、優しい人だから安心してね」

「はい」


 そんな感じ。私もクスッと笑みを返す。


 そこへ、離れた場所から西野さんの声が——


「——はあ? どういうことですか? 調べていない?」


 どうしたんだろう?


「なんだ? ちょっと待っててね」


 慌てた様子で黒須さんも席を立つ。


「——聞いてないってどういうことですか? 黒須さんから指示があったんじゃないんですか?」

「そう言われましても……私たちは何も言われていませんので」

「おいおい、声が大きいぞ。どうした? ああ、君、さっきの身元照会はどうなった?」

「え? 何のことです?」

「……おい、つまらない冗談はよしてくれよ。こっちは徹夜明けでお疲れなんだよ」

「そう言われましても……」


 何か揉めている。

 声が遠くてよく聞こえないけど、私のことで揉めているのはわかった。


 ぞくり——


 この嫌な感じ……。


「なんだ、調べた履歴があるじゃないか。これ、君が今調べてたんだろ?」

「え? あれ? 本当だ……。『綿貫真詩緒』? いつの間に……」


「——とにかく、君、その席を退いて。あとは俺が調べるから」

「黒須さん、いいんですか?」

「今急いでいるからさ、聖ちゃんも手伝って」

「分かりました」


 何? 何があったの?


「——黒須さん? ちょっと、どうしました? 黒須さん?」

「ん? なんだい聖ちゃん?」

「なんだい?じゃないですよ」

「あれ? 今、何をしてたんだっけ?」

「……ジジィ、本当にボケてんのか? 寝るなら家帰って寝て下さい!」

「聖ちゃん? さすがにオジサン泣いちゃうよ?」

「いいから席を代わって下さい! 私が調べます!」


 会話はよく聞き取れない。

 まだ揉めている?


「……あれ? 聖ちゃん? どうした?」

「黒須さん……私たち、徹夜明けで何してたんでしたっけ?」

「うーん、ちょうど俺もそれを考えていたところ。やばいね、ワーカホリックかもね」

「…………」





 もうどれだけ待っているだろう?

 私はひとり取り残されたまま、ソファに座っている。

 少し前まで聞こえていた黒須さんたちの声も、今は聞こえなくなった。


「あら? あなたは?」


 背後からの女性の声に振り向くと、制服を来た女性警官が不思議そうに私を見ていた。


「あの、刑事さんと相談中にここで待つように言われたのですが、ずっと戻って来なくて……」

「誰と相談中だったのかしら?」

「黒須さんと西野さんです」

「黒須? 西野? あれ? 二人ならついさっき、帰ってしまったけど……」


 え?


「そんなはずは……」


 動揺する私に、女性警官も不安な顔になる。


「どうしたの?」


 また別の方向から声がして、女性が一人やってくる。

 入口の受付で対応してくれた女性職員さんだ。


「こちらの子が、黒須さんと西野さんとお話し中だったらしいんですが……」

「え? さっき『お疲れ様ー』って署を出ていったわよ?」

「ですよねえ……」


「あ、あの、今朝はどうもありがとうございました」

「……え? 私? あなたと会ったかしら?」


 え?


 私を覚えていない?


 ……これって……瑠華に起こったアレ(・・)と同じ?

 直前の言動や記憶が(・・・・・・・・・)無かったことに(・・・・・・・)なっている(・・・・・)……。


「……ねえ、あなた、大丈夫?」

「あ、すみません、私の勘違いでした! もうお話は済んでいたのを、私が勘違いしてたみたいです。あはは、それじゃあ帰ります」

「そ、そう? それならいいんだけど……本当に大丈夫?」

「はい、大丈夫です。では、失礼いたします」


 一礼して、逃げるように部屋を出た。

 心臓が早鐘のように激しく打っている。



 今日は〝交通事故〟の話題は出していない。

 なのになぜ?


 ……私?

 もしかして、私が原因……?


 でもどうして……


 私はいったい、何?


 わからない……


 誰か……教えて!


 瑠華、助けて……。





 警察署を出て、駅に向かう道を歩く。


 すべての人や物が、色を失っているように見える。


 まるで、私だけ別の世界に取り残された〝仲間外れ〟みたい——

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。