17.思考の競合
「クロ、ですか?」
「うん、名前はクロにした」
週明け月曜の昼。急ぎの仕事もないので、祐介に声をかけ一緒に昼メシを食いに出かける。原田さんにも「カラスの名前のお披露目と経過報告」とメールで趣旨を伝えたら、速攻で「参加します」と返信がきた。
「ベタですねー」
「私は可愛いと思いますー」
ナポリタンのソースを口の周りにつけながら、祐介がネーミングに難癖を付けてくる。原田さんは肯定的だ。
俺たちは、ランチ軽食を提供する喫茶店に来ている。ここのナポリタンは味だけでなく、そのボリュームでも有名。食後はそのまま飲み物を注文してゆっくりできるので、お気に入りの店のひとつだ。その分、早めに来ないとすぐに満席になってしまうけど。ちなみに、原田さんはグラタンを食べている。ナポリタンの量は彼女には多過ぎるらしい。
「いいんだよ、6歳児だった俺が付けたんだから」
「ん? どういうことです?」
俺の言葉に、祐介も原田さんもキョトンとしている。
俺はクロにまつわる話をひと通り二人に話すことにした——
「ク、クロォォーー」
クロの悲しい最後に、祐介が涙と鼻水で顔を濡らし泣いている。口の周りのソースも相まって、見るに耐えん。感動してくれるのはありがたいが、そのアホ面のせいで、俺の素敵な思い出が安いドラマに格下げされた気が……。胸がちょっとモヤッとする。
「本条さん、食事中にそんな切ない悲話は不意打ちですよぉ……」
胸を押さえて深く息をついた原田さんも、心なしか瞳が潤んでいる気がする。
幸い店は混み合っているので、俺たちの騒ぎを気にする客はいない。
「あ、ゴメン。そんなつもりはなかったんだけど……。ナポリタン、冷めちゃったな」
俺も夢中になってしゃべってたみたい。
すっかり冷めたナポリタンに食い付く。
冷めても美味いな。
「こんなのもう、クロの生まれ変わり決定じゃないっすか!」
泣くか食うか、どっちかにしてくれ。
「それがさ、クロに確認したんだけど……どうも要領を得ないというか、はっきりしないというか……。クロ自身も首を捻って悩んでいる感じ」
俺は生まれ変わりだと信じているけどね。
「名前付けてからさ、前よりも懐いた感じで、可愛いんだよね」
ちょっと自慢。
「う、羨ましいですっ」
「うわー、拓海さんのボッチがますます加速するー」
「祐介くん、少し黙ろうか」
「いたたっ、ゴメンなさい!」
コメカミグリグリの刑に処す。
「それともうひとつ、クロの凄い能力が判明したんだけど——」
「なんです?」
「あいつ、文字が読める」
しばしの沈黙。
「ええ? マジっすか!」
「すごい!」
仰天だよね。俺もビビった。
原田さん、口を両手で押さえて目を輝かせている。案外感情豊かだな。
「最初は、数字くらいは分かるかなぁ、という軽い気持ちだったんだよ。トランプを見せて遊んでたら……なんか理解している感じじゃん? それで、スマホ画面見せて色々と確認したら……文字を完全に理解していた」
週末、クロがアパートのベランダに顔を出した。
近所から見えないようにこっそりと……部屋の中に入れてしまった。
命の恩人かもしれないカラスとの再会に感情が押さえ切れなくて、つい、ね。
ごめんなさい、大家さん。今回限りにするから。
「ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット、全部OK」
「「……ッ!!」」
二人とも声にならない様子で、打ち震えている。もしかすると、理解を超えたものへの怯えのような感情も含まれているかもしれない。
「おかげで、クロと連絡を取るのが楽になった。ウチのベランダに用意した掲示板に、メモを貼り付けておけばいいからね」
あとはクロからの連絡方法を考えないと。
食事を済ませた俺たちは、空いた皿を下げてもらい、食後のドリンクを注文する。祐介と原田さんは、この店の名物、バナナジュース。俺はいつものホットコーヒーを頼む。
「拓海さん……。これは、洒落になっていないというか……相当にヤバい案件というか……」
「そうですね、ただ事ではないことはわかります」
店内は混雑のピークを越えて落ち着いてきたので、会話の声量を抑える。
「二人は分かっていると思うし、俺も心配はしていないんだけど……
クロについては、SNSとかテレビ局とか、世間に公表するのはNGということでよろしくね」
「はい、わかっています。知れ渡ったらクロちゃんの身の安全に関わりますから」
「もちろんですって。そもそも生成AIが猛威を振るう時代に、写真や動画をSNSにアップしたってフェイクだと思われるだけですよ。先日の拓海さんの動画もですけど……ぷくく……」
思い出して笑うんじゃないよ。
「やっぱり拓海さんの不思議体験——特に〝神託〟は、本物っぽいですね……」
「うん。全部つながっていそうだな」
芽生えた〝幹〟……ね。
「クロちゃんは、本当に特別なカラスだったんですね。……私が積み上げてきた常識は、この数日で一気に崩れ落ちました……」
「なんだか巻き込んじゃってゴメンね、原田さん」
「いえ、むしろ貴重な体験に感謝しています」
あ、ふんわり笑顔に戻った。立て直しが早い。
「ということは、クロが〝幹〟ってことなんすかね?」
少し前に身を乗り出し、さらに小声になる祐介。
「どうだろう。俺は違う気がするんだよね。
与えられた〝目〟って、きっと見えざるものが見える、ってことだろ? クロは祐介にも原田さんにも見えているわけだし」
そうなんだよなあ。〝人が光る〟件も、霊っぽいものが見える件も、今は棚上げ状態。あれ以来、何も見えないんだから検証のしようもない。
「もう一度、〝交通事故〟から考え直さないとダメかもしれないなあ」
「はい?」
「?」
目をパチクリと瞬かせる祐介と原田さん。
あれ?
なんか、二人の周囲の空気が……揺れている?
蜃気楼みたいというか、陽炎みたいというか……。
祐介と原田さんだけが、それに包まれている。
ブレてる、よね……。
じっと見ていると、徐々にブレが弱まり……
あ、元に戻った。
「拓海さん?」
「あの……本条さん?」
「ん? な、何?」
気がつくと、二人が間の抜けた顔でこっちを見ている。
「今、交通事故って言いました?」
「あ、うん、そうそう。交通事故から考え直さないと、てね」
「交通事故って、何のことでしょうか?」
え?
「「「…………」」」
「いや、だから、あの日の交通事故がすべての始まりだって——」
「あの日、ですか?」
「本条さん? それはいったい何の話でしょうか?」
やたら心配そうに見てくる二人。
いやいや、ヘンなのはそっちだぞ。
「待って。二人とも忘れた? みんなで推理したよね?
あの日、交通事故によって〝幹〟が生まれたんじゃないかって。
すべての始まりは交通事故にあるんじゃないかって」
「「…………」」
おいおい。二人ともフリーズかよ。
「俺が見た〝幽霊夫婦〟だって、事故の犠牲者だったんじゃないかって」
「「…………」」
あれ? 冗談じゃなく本当にフリーズしてる?
思考の競合でも発生したみたいな……。
祐介の顔の前でパチンと手を叩き、原田さんの眼前で「おーい」と手を振る。
ハッとする二人。
あ……。
なんか今、一瞬だけ二人を覆う空間がまた歪んだような……。
気のせい、と思いたい……。
「……あれ? そういえば、事故……ありましたね……」
「……交通事故。たしかに……。私は、いったい……」
祐介と原田さんが無事に帰ってきたよー。
よかった……。
しかし、二人とも目に見えて動揺している。
俺もどうしようかと焦った。
祐介はずっと首を捻っている。
原田さんは「どうして……」とか呟きながら、考えて込んでいる。
「交通事故、思い出した?」
「はい。多分……」
「大丈夫です。思い出せました」
その後、俺は二人が思い出した〝交通事故〟の情報に過不足がないか、確認した。
結果は、問題なし。ちゃんと全部思い出していた。
しかし、それから店を出るまで、俺たちに会話はほとんどなかった。
祐介も原田さんも、気づいているはずだ。
これには、超自然的な何かが関与していることを。
自分たちが、完全にそれに巻き込まれていることを。
さすがに俺も今回は気づいた。
見えた〝変なモノ〟に。
俺の〝目〟でしか認識できない空間の歪み。
これが二人の異常に関係していないわけがない。
そのことを伝えると、二人の表情は一層真剣なものになる。
特に原田さんの顔には、不安と苦悩の色が強く伺える。
「本条さん、森川くん。私は買い物を済ませてから会社に戻るので、先に行って下さい」
「あ、ああ。わかった。それじゃ」
「またね、美咲ちゃん」
会社に戻る道中、俺と祐介は一言も言葉を交わせなかった。
一体、何が起こっている?




