15.蘇る記憶、消える記憶
今、わたしは非常に混乱している。
あまりの混乱に、つい、拓海の前から逃げるように飛び立ってしまった。
〝クロ〟
拓海がその言葉を発した瞬間、わたしの頭に流れ込んできたもの——
それはフラッシュバックで再生される数多の映像だった。
小さな子供がいる。おそらく拓海だ。面影がある。
子供向けのシャベルやバケツで土遊びをしている。
それをカラスが上から眺めている。来る日も来る日も。
これはわたし?
持っていたクッキーを砕いて差し出してくる拓海。
カラスがクッキーを啄むと、拓海は破顔する。
困ってポケットをまさぐり何かを探している拓海。
少し離れた場所にミニカーが落ちている。
カラスはこれを咥えて拓海の前に持って行く。
最初は驚いていた拓海だが、すごく喜んでいる。
泣いている拓海。
集めたキラキラしたものを前に並べてやる。
拓海はすぐに泣き止み、笑顔を見せる。
…………。
温かい。温かい記憶。
また、拓海が泣いている。
よく泣く奴だ。
泣くな。もう泣くな。
もう、わたしは何もできない。
すまんな。その涙を止めることは、もう……
…………。
はて……?
わたしはどうなったのだ?
これは何の記憶だ?
わたしの記憶?
あれ? 前世は人間だと思っていたけど、やっぱりカラスだった?
前世で知り合いだったから、拓海に惹かれたのか?
〝拓海センサー〟の原因はこれ?
いや、おかしい——
この映像は、おかしい。
なぜ、わたしの記憶であるはずの映像に、わたしが映っている?
明らかに第三者視点の映像だ。わたしの記憶ではない。
そして、拓海の視点でもない。
では、誰の視点なのだ?
…………。
とにかく、わたしは〝クロ〟になってしまった。
この感じ、人間としての感覚と知識で言うならば——
〝クロ〟をダウンロードしてインストールした、かな。
うん、これが一番しっくりくる表現だな。
まあ、なってしまったものは仕方ない。
わたしは〝クロ〟になったのだ。
今はそれでいいか。バージョンアップというやつだな。
それにしても、拓海め。大きくなったな。
相変わらずのボッチ気質みたいだけどな。
昔みたいに泣いていたら、また慰めてやるかな。
まったく、世話の焼ける奴だ。
——って、こんなに心配しているわたしを、拓海は追い出したのか?
ちょっとイラッとするな。
今度、イタズラでもしてやろう。うむ、そうしよう。
焦って飛び出して、適当に飛んでしまったが……ここはどこ?
手近な電線に止まる。
目の前に瑠華の家があった。
このところ毎日通ってすっかり体が覚えてしまったようだ。無意識で来てしまった。
真詩緒の監視は重要だしな。
この三日間、瑠華は真詩緒を外に連れ出して、散歩したり、街で遊んでいた。わたしはそれをこっそりと尾行しているのだ。
真詩緒はよく笑うようになったが、ふとした瞬間に不安と戸惑いが顔に浮かぶ。
記憶がないし、今後の見通しもつかないし、それはそうだろう。
単に瑠華の強引さに引いているだけかもしれないが。
尾行中は当然、二人の会話にも耳をそばだてている。
真詩緒の記憶はまだ何も戻らない様子。
ちなみに、真詩緒は「ごめんなさい」が口癖になっている。その度に「謝るな」と瑠華に怒られている。
そんなツンデレの瑠華は現在高校2年生。進級していれば、ね。実際は1年生の2学期から現在まで1年以上不登校を継続中。学校からの退学勧告も遠くなさそう。絶賛ニート中だ。
それから、無一文の真詩緒の支払いは全て瑠華持ち。真詩緒の服を一式買い揃えようとする瑠華に、真詩緒は必死に抵抗していた。
瑠華は「全部パパのお金だし」「制服ずっと着てるのヘンじゃね?」と一笑に付した。瑠華の言うことももっともである。金を稼ごうにも、記憶がない真詩緒では履歴書も書けず、アルバイトもできない。
二人の問題は山積みであるが、わたしへの危険は今のところ感じない。
真詩緒はごく普通の子——いや、かなり真面目な子だな。
真詩緒には瑠華が必要だし、瑠華には真詩緒が必要。そんな感じ。
あー、でも、交通事故の現場近くでは、ちょっと様子が変だったかな?
『真詩緒? どうしたの?』
『あ、ううん。なんか気になっちゃって。この交差点……』
『ここ? そういえば最近、ここで何か……。なんだっけ?』
『献花が置いてある……。誰かがここで亡くなったのかな……』
『暗いなー。はいはい、さっさと行くよー』
『ちょっと、瑠華?』
やっぱり、真詩緒は事故と何かつながりがあるのかも。
昨日の昼間の光景を思い出しながら、カーテンで中が見えない窓ガラスを眺めていた。
——そのとき、真詩緒と瑠華がリビングの窓ガラスを開けて、木製デッキの上に出てきた。二人はデッキの先端に並んで腰掛ける。
「わあ、風が気持ちいい〜」
「体冷やさないでね。風邪引くから」
「へいへい。それにしても真詩緒、ウマ過ぎ。ゲーマーだったんじゃね? マジ勝てない」
どうやら今まで、コントローラをブンブン振り回しながら、スポーツ系ゲームで対戦していたらしい。額に薄っすら汗を浮かべている瑠華。真詩緒は涼しい顔だ。
「ねえ瑠華」
「なぁに〜?」
「私ね、このままじゃいけないと思う。やっぱり警察に相談する」
「ちょ、ちょっと待ってよ! いいじゃん、ここに居てよ! 私といると、つまんないとか?」
「瑠華には感謝してるの。一緒にいると安心できるし、とても楽しい。もし一人のままだったら、私どうなっていたかわからない」
「な、なら、ずっと一緒にいようよ! ね!」
いや〜、瑠華よ、それはちょっと無理があるよね。カラスでもわかる。
「それにおかしいと思うの。ネットで私の名前を調べても、何も出てこない。制服着ていたということは、学校に通っていたということでしょ? ニュースになっていても良さそうなのに、そんな記事はどこにもない。学校もわからないし……。誰も私を探していない」
ちゃんと調べてたんだな。
「私、どういう人間だったの? 誰からも必要とされていないの? 家族は? こんなことってあるのかな?」
「——ッ」
真詩緒の言葉に瑠華の顔が歪む。
あー……、そうか。この二人、同じだ。
誰からも必要とされていない。見捨てられている。そう思っている。
だから今の真詩緒の言葉は、そのまま瑠華の言葉でもある。
「で、でも、警察はダメ! あいつら信用できない!」
「瑠華?」
「パパが帰ってこなくなったとき、まともに相談にも乗ってくれなかった! ママのときだって同じ! 探してもくれない! 下手に私が一人でいるなんて知られたら、保護とか言って、アタシをどこかの施設に送り込もうとするんだ! 絶対にダメ!」
「瑠華、落ち着いて」
「真詩緒だって、どんな目に遭うかわからない! 絶対にアタシと一緒にいた方がいいんだから!」
「わかったわ。警察には行かない。もう少しここで調べてみることにするから」
興奮状態の瑠華の背中を、真詩緒が優しく撫でる。
「そうだ、ほら、あの日。駅の近くで交通事故があったって、瑠華が言ってたよね? そっちのルートから調べてみたら、新しいことがわかるかもしれないね」
あれ? 違和感があるぞ。
たしか、昼間の交差点での会話だと、瑠華は事故を覚えては……。
「……交通事故?」
「うん、そう。瑠華が教えてくれたんだよ。私と会った日のお昼、大きな交通事故があったって。あの夜、ここでテレビのニュースを見たわ」
「え? アタシ、そんなこと言った?」
「……え?」
「交通事故なんてあったっけ?」
何か、会話がおかしい。
真詩緒は瑠華のスマホを借りて、何かを検索し始めた。
「これ。この事故なんだけど……」
スマホを瑠華に手渡して画面を見せる。事故の記事かな?
「ん〜? ⋯⋯あ〜、これ……」
「そう、この事故だよ」
「ねえ、真詩緒。なんか運動したらお腹空いちゃったね。買ってきたプリン食べよう!」
「え? 瑠華?」
なんだ?
唐突に瑠華が話題を変えた。
変えた、というか……直前の会話と内容が繋がっていない。
事故について問われて、プリン食べよう、って……なる?
一瞬、自分の意識が飛んでたのかと思うくらい、繋がらない。
真詩緒は驚きすぎてフリーズしてる。そりゃそうだろうな。瑠華がヘンだ。
瑠華は部屋に戻ると、鼻歌を歌いながらキッチンに向かう。
瑠華の表情をみる限り、何かを隠そうとか、そういう意図的なものは感じない。
そういうことができる人間にも見えないし。
きっと、おかしなことを言った自覚もないんだろうな。
「真詩緒〜、プリン〜。早く食べよう〜」
「瑠華? ……ねえ、瑠華、大丈夫?」
「え〜? 何がぁ?」
真詩緒も部屋に入って窓を締めてしまったため、その後の会話は聴こえず。
……気になる。
今、何が起こった?




