14.名付け
「本条さん、森川くんから聞きましたよ?」
夕方の会社。
廊下で偶然鉢合わせた原田さんが、すり寄ってきて耳元で囁いた。
「え? な、何を?」
「あのカラスちゃんが本条さんのおウチにまで遊びに来たって!」
「あ、ああ……それね」
武蔵天川で交通事故が発生したあの日から4日。カラスは毎日ウチに来ている。というか、もはやベランダに住んでいる。昼間どこに行っているかは知らないが、夜になると戻ってくる。まだ近所の住民には気づかれていないが、このままでは時間の問題か……。
「え? あれから毎日ですかっ?
う、羨ましいです〜! ホントに懐いているんですねぇ。
私、子供の頃から動物に好かれる人が憧れなんです」
動物って……カラスだよ?
安定のふんわり笑顔の原田さん。でも俺にはその笑顔が作り物の仮面に見えちゃう。ただ、以前よりその仮面が少し薄くなった気はする。勝手に色眼鏡で見ていただけなのかも。そもそも会話する機会もなかったわけだし。
それが今、彼女の方から声を掛けてくれている。
そのせいなのか。廊下を通る社員たちの好奇な視線が……刺さる。ものすごく落ち着かない。どの目も「なんでお前が原田さんと?」と言っている。やはりモブはヒロインに近づくものではない。
祐介よ、彼女に堂々と好意を示せるお前は凄い。勇者認定する。
「本条さん?」
「あ、ゴメン。ちょっと考え事を……。カラスに名前があった方が色々と都合がいいかな〜、なんてね。ははは」
誤魔化した。
「そうですねぇ。名前があると、呼ぶときに困らないですね」
「でも名前付けて変に懐かれても、それはそれで困るんだよね。たしかカラスって基本は飼っちゃダメでしょ? 鳥獣保護法とかいう奴?」
「ああ、たしかに……聞いたことがあります」
そう、特例もあるらしいが、カラスを飼うことはできない。
昨夜ネットで調べたらそういうことらしい。「積極的に追い払え」とのこと。
いくらカラスが言葉を理解していても、人間の都合を理解できるかは不明。コミュニケーションが成立するだけに、かえって面倒なこともある。
正直、もうすでに情が湧いている。
ちょっと可愛いとか思っていたりする。
だって毎日来るんだもん……。
俺、自分が思っていたより寂しい男だったのかも。
カラスに安らぎを求めるなんて。いかん、いかん。
「公園とか、公共の空間で偶然会ってしまう分には問題なさそうですけど……。そういう風にお願いしたら、カラスちゃんも理解してくれないでしょうか?」
「そうだね。そう説得してみるよ」
「うふふ。なんかヘンな話をしていますね、私たち」
「ははは。確かにね」
あ、廊下の奥から石見さんが凄い目でこっちを睨んでいる。
その目の意味は何だろうか。あなたは妻帯者でしょ。
「カラスちゃんの名前が決まったら、教えてください。
私もまた会いたいです。もしご一緒して良ければ、たまに誘って下さい。絶対ですよ?」
上目遣いで、ふふふ、と微笑む原田さん。
まぶしー。
しかし、社交辞令は真に受けないと決めている。
……社交辞令だよね?
「では、私はこれで帰ります。お疲れ様でした」
「お疲れ様」
エレベーターに乗ってペコリと頭を下げる原田さんを見送って、自分のデスクに戻る。
「本条、いつの間に原田さんと仲良くなったんだよ」
石見さん、やっぱり来た……。
「先日、一緒に飲む機会があったんですよ」
「へ、へえ……。どういう趣旨の飲み会だったの?」
それを聞いてどうするの。
「たまたまですよ。偶然というか、成り行き上そうなりまして」
「へえ……」
そこは「俺も行きたかったー」とか言ってくださーい。
そうしたらいくらでもイジってあげられるのに!
「本条、気をつけろよ。何と言っても彼女は——
っと……ゴホン。まあ、程々にな」
いそいそと自分のデスクに戻っていく石見。
原田さんが、何?
「拓海さん、美咲ちゃんと何かあったんですか?」
隣の席にいた祐介が聞いてくる。
「うん、ちょうど帰るところをエレベーターの前で会った」
「なんてラッキーなんですかぁ! く〜、羨ましい〜」
そうそう、こういう素直さが可愛い——いや、社内の風紀的にはこれはこれで問題なのだろうか。だいたい石見さんも、俺に茶々入れるヒマがあったら、祐介の方に行けばいいのに。それは完全スルーだよね。
祐介には芽が無いとか思ってんの?
祐介、俺はあると思っているぞ。がんばれ。
「え? カラスの名前ですか?」
「悩み中。でも名前とか付けちゃうとそれはそれでね……」
さっきの原田さんとの会話の内容を祐介に伝えた。
「来ちゃうものはしょーがなくないっすか?」
祐介がもっともな意見を言う。
「そうなんだけどさ。第一、追い払えって言われてもできると思う?」
「あー、拓海さんは無理っぽい。あのカラス、何かワケありな感じだし」
「説得できるかなあ……」
「うまく外で会えそうなら、俺と美咲ちゃんを誘って下さいね! カラスの説得、マジがんばってください!」
お気楽でいいね……。
「というわけで、お前はここで寝泊まりしちゃダメなんだ」
「クァ?」
帰宅後、ベランダに出てカラスに事情を説明した。固まるカラス。その目は「何を言っているの?」と問い掛けている。
やめて。そんな目で見ないで。
カラスはゆっくりと左右を確認した。
誰もいないよ。
こちらを見て首を傾げるカラス。
「お前に言ったんだよ……」
カラスはショックだったのか、嘴が半開きになったまましばし放心状態。その後、ギクシャクと動き出し震える足でクッションの上に乗ると、「月が綺麗ですね」とでも言いたげに遠い夜空をを見上げた。
「……無かったことにはならないよ」
俺の声にビクッとなっている。
俺だって、こんなことは言いたくないよ……。
「今日は居ていいから。それに、来ちゃダメとは言ってないよ。周囲から『飼っている』と思われることがダメなんだから。むしろ、たまには遊びに来てくれよ。俺も寂しいからさ」
こちらを向いたカラスは、何かを決心したように大きく頷いた。
「おー、わかってくれたのか。ありがとう」
「クァ」
「外で会うのは問題ないぞ。さすがに近所だとマズイけど。あ、そうそう、祐介と原田さんは覚えている?」
「クァ」
「あいつらがお前に会いたがっているから、今度会ってくれよな」
「……クァ」
その間は、何?
「ところで、お前に名前を付けてもいい? 呼び方が『お前』だけじゃちょっとね」
カラスは首を伸ばし、キョトンとした目をする。少し考える仕草をした後、首を縦に振った。
「おー、いいの? ところでお前って、オス? それともメス?」
首を左右に傾げるカラス。
自分で分からんのかーい。
「……ってことは、『カー助』とか『カー子』はダメだな……」
なんかカラスが凄い抗議してきた。
痛い! 突くのはやめて。
「じゃあ、ベタだけど……『クロ』とか——」
その瞬間、記憶が蘇る。
鍵の掛かった箱の蓋が開いて、仕舞われていた大切なモノが一気に吹き出すように——
懐かしい実家周辺の風景。
隣りの畑の一角に、資材などを置くためのちょっとしたスペースがあった。
幼稚園に通っていた頃だろうか、俺はここでよく一人で遊んでいた。
その俺の目の前に、一羽のカラスがいる。
どこかから咥えてきた、色とりどりのガラスや金属片、ビーズや硬貨などを、地面に並べるカラス。
どうやら俺へのプレゼントらしい。いつもそうしてくれる。
俺もすごく嬉しかった。
近所には年の近い子供がいなかったし、年の離れた姉は学校の部活で帰りはいつも遅い。一人で遊ぶことが当たり前の俺には、カラスが友だちだったのだ。
〝クロ〟——
そうだ。クロだ。
なぜ、今まで忘れていた?
あんなに好きだったのに——
クロと遊んだいくつもの記憶が、次々と蘇る。
「お前……クロ、なのか……?」
バサッ——
クロは、夜の闇に消えていった。




