12.押しかけカラス
朝、6:30。
本条拓海は、アラームの音で目が覚ました。
眠い目を擦りながら、布団の中から伸ばした手でスマホのアラームを止める。
「起きたくない」と「起きなければ」を繰り返し、何度か寝返りを打つ。
ルーティーン化した朝の足掻き。
若干の頭痛を感じる。昨日の祐介と原田さんとの酒席で、ちょっと飲み過ぎたようだ。飲み過ぎの原因は、SNSにアップされた俺とカラスのハプニング動画だろう。それを思い出し、むくんだ顔を歪める。
ゴロゴロと布団の中で転がるうちに、徐々に頭が覚醒していく。
そして——
カラス!
思い出した。
ガバっと布団を押しのけ上体を起こす。
昨夜の悪夢のような出来事——
思えば、昨日はカラスに翻弄された一日だったが、極めつけは店を出た直後。カラスが俺の肩に舞い降りたのだ。
どういうわけか俺はカラスに好かれてしまったらしい。
それも人語を解するカラスに。
最初はビビっていた祐介と原田さんも——いや、祐介は最初から興奮していた——大喜びで興味津々だ。
どう考えても怖いだろ。正直、俺はドン引きだった。
〝カラスショック〟のせいで、二人の中の俺の不思議体験談など、完全に棚上げされたと言ってもいい。目の前の不思議の現物には勝てない。
「不思議大好き!」な祐介はともかく、動物好きだという原田さんも「可愛い!」を連呼して大騒ぎ。
認めたくないが、確かにあのカラスは人語を解しているように見えた。祐介と原田さんの質問に、YESなら「クァ」、NOなら首振りで答える。他にもカラスらしからぬ動きを多々見せた。片方の羽だけ振ったり、拗ねたようにソッポを向いたり……。
原田さんのあの本心を見せない鉄壁のふんわり笑顔は、完全に崩壊し、一人のデレた女子に成り果てていた。まあ、それはそれで貴重なものを見せてもらった。
とにかく、おかげで「霊が見えるようになったかも」という心配が頭から吹っ飛び、恐怖に怯えることなく夜を過ごせたことには感謝する。
そういえば、あれから霊は見ていない。
霊は存在するかしないか。正直、昨日までは存在を信じていなかった。ただ、もし存在するならば、そこら中に漂っていると思う。しかし、幸いにも昨夜から今に至るまで見ていない。〝霊が全部見えちゃう目〟をもらったわけではなさそうだ。
良かった。危うく最悪の人生が始まるところだった……。霊媒師に転職? 冗談じゃない。
話を戻そう。
で、そのカラスはどうなったかと言うと、祐介と原田さんが執拗に構うものだから、嫌気が差したのだろう。どこかに飛んで行ってしまった。
悔しがる祐介。がっかりする原田さん。いや、俺はカラスに同情したけどね。
そのあとは駅で解散し、各々帰路についた。武蔵天川に住む祐介とは改札前で別れ、俺と原田さんはそれぞれ反対方向の電車に乗った。
たしか原田さんは領成駅を利用していると言っていた。あそこは高級住宅街があるもんな、さすが東京のお嬢様。
埼玉の田舎出の俺は、陽円寺駅徒歩10分の安アパート暮らしだ。会社のある中杜駅は隣りだし、新宿にも近い。東京まで一本で出れるし何かと便利な場所だ。気に入っている。
喉が渇いたな。
モゾモゾとベッドから這い出し、冷蔵庫から飲みかけのペットボトルを取り出す。冷たい麦茶が二日酔いの体に染み渡る。
「く〜っ」
カーテンを開ける。
カラスと目が合った。
ベランダの手すりに止まってこっちを見ている。
カーテンを閉める。
……なぜ?
……家がバレた。
いやいや、まだあのカラスと決まったわけじゃない。偶然、別のカラスがベランダにいただけかもしれない。
コンコンコン——
何かが窓ガラスを叩く。
コンコンコンコンコンコン。
いやだ、信じたくない。
コンコンコンコンコンコン。
コンコンコンコンコンコン。
…………。
コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン——
「わかったよ!」
観念してカーテンを開ける。
窓ガラスの向こうでは、カラスがものすごく不服そうな目で俺を見上げていた。
◇◇◇
「え!? あのカラス、拓海さん家に来たんですか!?」
「ああ……。朝に食べようと思って買っておいたメロンパン、全部食われた……」
「ブフォッ」
祐介がコーヒーを吹き出した。
「うわ、あぶなっ、気をつけろって」
「す、すんません……」
会社近くのカフェ。昼、祐介と一緒に食事をした際に、食後の一服によく利用している店だ。サラリーマンで賑わう店内の奥の席で、俺は今朝の顛末を祐介にボヤいていた。
「あのカラス、ホントに拓海さんのことが好きなんですねー。あはは」
「勘弁してくれよ……。居着かれたら困るんだけど。ウチのアパート、ペット禁止だし」
「女の子なんですかねぇ? これは拓海さんにもいよいよ……春到来ですかねー」
お前……二度と奢らないぞ。
「お前の春はどうなんだよっ」
「そう! それですよ! 昨日の件で、美咲ちゃんとの距離がグンと近づいたような気が! ホント拓海さんのおかげ! 拓海さんには足を向けて寝れません!」
「そういうのは、うまくいってから言って」
「とうとう俺の時代が……くぅぅっ」
人の話を聞け。
「カラスのこと、美咲ちゃんにも教えたら喜びますよね! 拓海さんが魅了し続ければ、いつでも会えるわけだし」
「魅了ってなんだよ。テイマーはもう忘れなさい」
「で、カラスは今どうしているんですか?」
「さあな。パン食ったら満足そうに飛んでいった」
「それじゃ、もしかしたら今もその辺で拓海さんのことを監視してるかも……」
「……え?」
「浮気したらすぐバレちゃいますね!」
「バレないよ!
いや……しないよ!
……そもそも付き合ってないよ!」
爆笑する祐介を睨む。
「だいだいカラスなんてそこら中にいるんだから、個体の識別なんかできるか」
「うーん、そうですよねえ。
実は、毎回やってくるカラスが全部違う個体だったりして……」
「怖いわ」
新たなホラーじゃねーか。
「そもそもだ。今朝ウチに来たのはたまたまで、もう来ないかもしれないだろ?」
「来ます。あんな特殊個体が拓海さんに固執してるんですよ? もう完全にロックオンされてますって」
「レアモンスターかよ」
すると突然、祐介が手を口元にあてて小声でしゃべり出す。
「……それに……ぜったいに〝幹〟とか〝目〟とか、関係していますよ……」
まあ、そうだよね……。
そう考えるのが普通だよね。
ちょっと真剣な顔になった祐介に、俺も頷いておく。
「ちなみに、あれから変なモノは見えました?」
「いや、何も見てない」
「うーん、一筋縄ではいかないですねえ」
「いや、変なモノなんて見たくないからね?」
それに、俺らの推測が当たってるとは限らないんだから。
決めつけはよくない。柔軟に対応できるようにしておこうと思う。
夜、少し残業が長引いたせいで、退勤時間が午後8時を過ぎてしまった。
自宅のある陽円寺駅前で降りると商店街へ急ぐ。
よかった、まだ弁当屋が開いていた。
カラス 、来てるかな。
カラス の分のおかずも買った方がいいかな……。
結局、惣菜を一品多めに買ってしまった。
いなければ、俺が食べればいいしね。
カラスの個体識別か……。
確かに呼び名も無いのは不便だな。
名前ねえ……。
そういや実家の近くの農家のおばちゃんが、畑にやってくるカラスに餌付けして、名前まで付けて呼んでたよなあ。
あれ?
今、何か——
何かを思い出しそうに——
何か重要な記憶が頭を一瞬過ぎった気がした……。
……ダメだ、これはもう思い出せる気がしない。
まあ、そのうち思い出すことがあるかも知れない。
アパートの階段を上がり二階へ。
玄関を開け部屋に入ると、真っ先にベランダに向かう。
カーテンを開けて窓ガラスを開ける。
いた。
ベランダの床にちょこんと佇むカラスが、こちらを見ている。
どこかホッとしている俺がいる。
「クァ」
「お、おう」
ずっとここで待ってたの?
それとも俺の帰りに合わせて飛んできたのだろうか。
ビュッと風が吹き抜けた。
その冷たさに、ブルッと身震いする。
さすがに晩秋の夜風は冷える。
「……ちょっと待ってろよ」
一度窓を締めて部屋の中に戻り、クッションをひとつ持ってくる。
窓を開けベランダにクッションを置く。
「これ、使っていいから」
置いたクッションをカラスの方に少し押し出す。
クッションをジッと見つめるカラス。
それから俺の方を見る。
何かを考えている。
気に入らなかった?
しばらくクッションを見つめていたカラスだが、その上に乗り、くつろぎ始めた。
よかった。
「あ、これ、食べる?」
手に持っていた惣菜の入った袋を見せる。
「クァ」
惣菜を袋から取り出し、プラスチック容器の蓋を開け、そのままカラスの前に置く。
カラスは首を傾げ、しばし惣菜を眺めていたが、やがて啄み始めた。
「おやすみ」
俺はそっと窓を閉めた。




