第6話 暗殺者、弟子入りを志願する
翌朝。
俺は宿屋の厨房で朝食の仕込みをしていた。
昨日、ベラさんが「お願いします、田中さん、しばらくウチで働いてくれませんか!?」と頭を下げてきたので、断れなかった。
寝床と三食の対価で、朝晩の厨房を任された。
しばらくの間、住み込みで雇われることになった、というわけだ。
……いや、流れに流されている自覚はある。
でもまあ、いい。行くあてもなかった俺としては、ありがたい話だった。
「田中さん、玉ねぎ、もとい、ル・オニオンの仕入れ、どうしましょう?」
「あ、あの、市場の南通りの『カラント商会』、覚えてます?」
「はい、はい」
「あそこのル・オニオン、品質が二段階くらい上です。値段は同じです」
「えっ、そうなんですか!?」
「【鑑定】で見てみたら、土壌が違うらしくて」
「すごい……今日から、そっち使わせてもらいます」
ベラさんは、メモを取りながら、せっせと頷いている。
……しかし、なんだろう、この、初日から経営コンサルみたいな仕事。
料理人なんだけどな、俺。
まあ、いい。包丁を研ぎながら、そんなことを考えていた、その時だった。
厨房の裏口の扉が、コン、コン、と、控えめにノックされた。
「はーい」
ベラさんが、ひょいと顔を出した。
「あら、お客さん? ……えっ」
ベラさんが固まった。俺も振り向いた。
扉の前に立っていたのは——昨日の、黒装束の暗殺者。
カインさん。
「あっ」
俺は思わず声を漏らした。
カインさんは片膝を折った。
石畳の上に両手をついた。
そして深く、深く、頭を下げた。
「——田中殿」
「は、はい」
「俺を、弟子にしてくれ」
……。
……は?
「弟子?」
「料理の弟子だ」
カインさんは頭を下げたまま言った。
「俺は、十二歳の時から、十六年、人を殺して生きてきた」
「は、はあ」
「だが、もう無理だ」
「えっ」
「あんたのスープを食べた瞬間に——」
カインさんがようやく顔を上げた。
昨日と同じ目だった。
暗い藍色の瞳が、まっすぐに俺を見ていた。
「人の心を温めるものを、作りたい、と、思った」
……うわぁ。
なんで、俺の前で、暗殺者が、人生決断、してるんだろう。
俺はベラさんの方をちらりと見た。
ベラさんは両手で口を押さえて、目を潤ませていた。
……あ、これ、断れないやつだ。
料理人として、というより、人として断れないやつだ。
「えっと」
俺は頭を掻いた。
「カインさん」
「はい」
「俺、こっちの世界に来て、まだ三日です」
「……は?」
「料理人としての腕も、まだ、こっちの食材で確かめ始めたばっかりで」
「いや、待ってくれ、田中殿、こっちの世界、とは——」
「あ、いや、なんでもないです」
危ない。無職転生のルーデウス君も、こんな感じで前世のことを誤魔化してたんだろうな、と思いながら、俺は急いで話題を変えた。
「とにかく俺、そんな大層な料理人じゃないんです」
「だが、俺はあの一杯のスープに救われた」
「いや、玉ねぎスープです」
「玉ねぎスープに救われた」
カインさんが言い直した。律儀な暗殺者だ。
俺はため息をついた。
仕方ない。断っても、たぶん、この人はここから動かない気がする。
「……わかりました」
「!」
「教えられることなら教えます。ただし条件があります」
「なんなりと」
「もう、人は、殺さないでください」
カインさんは一瞬、目を見開いた。そして深く頷いた。
「——誓う」
短く、それだけ言った。
でも、その重さが俺にも伝わってきた。
「あと、もう一つ」
「なんだ」
「総帥のレイナさんに、ちゃんと辞職届、出してください」
「……」
「俺、ギルドからお尋ね者にされるの、嫌です」
「……検討する」
「断言してください」
「……分かった」
カインさんが、しぶしぶ頷いた。
……いや、しぶしぶ感、強いな。大丈夫か、これ。
その後ろで——ベラさんが両手を組んで号泣していた。
「あぁぁぁ、田中さんって、本当にお優しい方なんですねぇぇぇ……」
「ベラさん、泣きすぎです」
「だってぇ、心が、温まってぇぇぇ……」
ベラさんはエプロンで顔を覆って、わんわん泣いた。
うん、もう、ベラさん、ちょっと泣き上戸ぎみだな。
昨日も今日も号泣している。
でも、悪い気はしなかった。
料理人として誰かの心を動かせるって、それはすごく、嬉しいことだから。
カインさんはその日のうちに、宿屋の従業員寮の空き部屋に入った。
ベラさんが二つ返事で部屋を提供した。
暗殺者の宿に、暗殺者を即・受け入れる女将。
なんなんだ、この街。
ガリオさんは二階から降りてきて、状況を見て、すべてを察したような顔でため息をついた。
「田中」
「はい」
「俺、お前の周りに、何が起きてるのか、もう理解するの諦めた」
「……すいません」
「謝るな、別にいいんだ」
ガリオさんは肩をすくめて笑った。
「ただな、俺もそろそろ、自分の進退を考え直さなきゃ、ならんかもしれん」
「え?」
「いや、なんでもない」
ガリオさんはニカッと笑って、それ以上は何も言わなかった。
……Aランク冒険者の進退。
なんか、嫌な予感がする。
昼過ぎ。
俺はカインさんに、最初の指導を始めることにした。
「カインさん、まず、何ができますか?」
「人を、九十二通りの方法で殺せる」
「料理の話です」
「あ、ああ」
「もう一度、聞きます。何ができますか?」
「お湯を、沸かせる」
「……」
「あと、固いパンをナイフで切れる」
「……」
ゼロからのスタートだった。完全な、ゼロからのスタートだった。
俺は深く、深く息を吐いた。
うん、これは長い修行になりそうだ。
「じゃあ今日は、まず、玉ねぎ——いや、ル・オニオンの皮を剥いてもらいます」
「……承知した」
カインさんがナイフを構えた。
……構えるな。料理は戦闘じゃない。
「カインさん、もっと、こう、優しく持って」
「優しく」
「物を傷つけないように」
「傷つけない」
カインさんがしばらくナイフを見つめた。
それからゆっくり、ル・オニオンに刃を当てた。
するり、と。驚くほど滑らかに皮が剥けた。
……あ。すごい、上手い。
カインさんが目を見開いた。
「……できた」
「綺麗ですね」
「俺、生まれて初めて、何かを傷つけずに、ナイフを使った」
……重たい感想だ。
でもなんとなく、わかる気がした。
料理は人を変える。
俺の親父がよく言っていた。
厨房に立つ前と立った後で、人間はちょっとだけ変わるんだ、って。
「カインさん」
「はい」
「ようこそ、田中食堂、いや、ベラ亭の厨房に」
俺が手を差し出すと——
カインさんは、震える手でその手を握った。
握手しただけで、ベラさんがまた号泣し始めた。
「あぁぁぁ、いいシーンですぅぅぅ……」
ガリオさんが頭を抱えた。
二日連続で、女将が号泣している宿屋。
オルバの街で俺の宿屋は、ちょっと有名になり始めていた。
……いい意味でなのかどうかは、わからない。
その頃。
毒師ギルドを発った馬車が、街道を走っていた。
馬車の中、深紅のドレスをまとった女が、窓の外を見つめていた。
「カインから、まだ報告が来ないわね」
彼女——レイナは、独り言のように呟いた。
「……まあ、いいわ」
レイナはふっと笑った。
「自分で見るのが一番」
馬車の窓の外、夕日が地平線に沈もうとしていた。
オルバの街までは、あと丸一日の距離。
彼女は軽く目を閉じた。
「楽しみね」
レイナの唇がわずかに笑みを形作っていた。
まだ会ったことのない、田中一郎という男を思い浮かべながら。
カイン、まさかの弟子入りでした。
次話、レイナ到着まで、あと一息です。
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