第5話 刺客、メシを食って泣く
その男が宿屋に現れたのは、昼下がりのことだった。
黒い外套に、目深に被ったフード。明らかにカタギじゃない。
食堂に入ってきた瞬間、常連客たちが、ざわっ、と押し黙った。
ベラさんが接客用の笑顔を固めたまま、そっと俺の方に近寄ってきた。
「あの、お客さん、お客さん」
「はい」
「あの黒い人、ちょっと、怖いんですけど……」
「……ですね」
俺から見ても怖い。
明らかに堅気じゃない雰囲気を、ビンビンに放っている。
【鑑定】が勝手に走った。
【カイン・レヴロン(28歳)】
職業:暗殺者(毒師ギルド直属)
状態:任務遂行中/標的を『観察中』
備考:対象——『田中一郎』
……あ。
俺、標的だった。
いつの間に、誰の恨みを買ったのか。
いや、心当たりしかない。
昨日のギルドでの【絶対鑑定】騒ぎか、今朝の玉ねぎスープ事件か。
いやいや、どっちも俺、悪いこと、してないよな?
「田中」
いつの間にか、ガリオさんが隣に立っていた。声が小さかった。
「気付いてるか」
「はい。たぶん俺、狙われてます」
「逃げるか」
「……いや」
俺は首を振った。なんでか、自分でもよくわからない。
でもなんとなく、この刺客さん——そこまで悪い人じゃない気がするんだ。
【鑑定】の続きに、こう書いてあった。
※特記:任務内容『標的の料理を味見せよ』
総帥レイナの指示。殺害指示は、現時点でなし。
……は?
味見しろって言われた、刺客?
もう、何がなんだかわからん。
でもまあ、わかった。
料理人として仕事があるなら——応えよう。
「ベラさん」
「は、はいっ」
「あの黒い人の席に、俺が注文取りに行きます」
「えっ!? 危ないですよ!?」
「大丈夫です。料理人ですから」
その論理、我ながら意味がわからんな、と思いながら——
俺はエプロンの紐を、きゅっ、と締め直した。
黒装束の男の席まで歩いた。
男はフードの下で、じろり、と俺を睨んだ。
フードの隙間から覗く目が、暗い藍色をしていた。
……美形だな、この人。
なんでこんな人が暗殺者やってるんだろう、と変なことを考えてしまった。
「ご注文は?」
「……」
沈黙。男は答えない。
俺はもう一度、ゆっくり聞いた。
「ご注文、何にしますか?」
「……メニューを見せろ」
男が呻くように言った。
いや、メニューならすでにテーブルの上にある。
でもそうか。きっと読み慣れてない店だから、緊張してるのかもしれない。
俺はメニューを開いて、指で差しながら言った。
「この宿の朝食で出した玉ねぎスープ、夜も出せるんですが、いかがです?」
「玉ねぎスープ?」
「あ、ル・オニオンのスープです」
「……ふん。子供の食い物か」
「そうですね。子供もお爺ちゃんも好きなメシです」
男がピクリ、と眉を動かした。
なんか、刺さる単語だったらしい。
「……それでいい」
「ありがとうございます」
俺は一礼して厨房に戻った。
ベラさんが不安そうに待っていた。
「田中さん、大丈夫だったんですか……?」
「大丈夫です。普通にただのお客さんでしたよ」
「絶対違うと思うんですけど……」
ベラさんが半泣きで訴える。まあ、その感覚は正しい。
でもまあ、いい。
俺は鍋を火にかけた。
今朝のスープと、まったく同じ手順。
ル・オニオンを薄く、薄く、切る。
バター(らしき脂)で弱火でじっくり、飴色になるまで。
こぽこぽと、鍋が歌い始めた。
……と、そこでふと、ひらめいた。
今朝はベラさんに泣いてもらった。
今回はちょっと、もう一工夫してみよう。
俺は棚から、小さな陶器の壺を取り出した。
昨日、市場で見つけたやつ。
【メルゼの実のオイル】
人間への効果:なし(常用可)
特徴:熱を加えると、強い芳香と丸みが生まれる。
地球の『トリュフオイル』に最も近い成分。
——ありがとう、【鑑定】。
この世界、トリュフオイルまであるのか。
一滴、鍋に垂らした。
厨房中に、ふわり、と濃厚な香りが広がった。
俺はスープを器に盛った。
男の席にスープを運んだ。
「お待たせしました、玉ねぎスープです」
「……ふん」
男がスプーンを手に取った。ほかほかと湯気が立ち上る。
男はちらり、と俺の顔を見てから、スプーンを口に運んだ。
一口。
男の動きが止まった。
フードの下の目が見開かれた。
……さて。どんな反応が来るか。俺は他人事のように観察していた。
次の瞬間——
男がぶるり、と震えた。そして俯いた。
肩が小刻みに揺れ始めた。
「……っ」
フードの下から、ぽたり、と——何かが落ちた。
テーブルの上にしみを作った。
涙、だった。
……え?
また泣いてる。
なんで、この世界、俺のスープでこんなに泣くんだ?
玉ねぎ、そんな威力あるか?
「……かあ、さん」
「え?」
「おふくろが、よく作ってくれたんだ」
男が俯いたまま、震える声で呟いた。
「俺が七歳で流行病で死ぬまで、毎日作ってくれた」
「……」
「こんな味だった」
男の声が掠れていた。
堅気には見えない男が、堪えきれずスプーンを握ったまま、声を殺して泣いていた。
俺はどう声をかければいいかわからなくて——ただ黙って立っていた。
厨房のベラさんが、そっと席を離れて、後ろから静かにこちらを見守っていた。
ガリオさんも動かなかった。
食堂中が、しん、と静まり返っていた。
男がゆっくり、ゆっくり、もう一口飲んだ。もう一口飲んだ。
三口目で、肩の震えが止まった。
五口目で、ゆっくりと顔を上げた。
フードの下の目が、真っ赤になっていた。
「……名は」
「はい?」
「お前の、名だ」
「田中です。田中一郎」
「……田中」
男は頷いた。立ち上がって、懐から金貨を数枚、テーブルに置いた。
銀貨じゃなかった。金貨だった。
【鑑定】によれば、金貨一枚で安宿に三百泊できるらしい。
数枚——。いや、多すぎるだろ。
「俺は、カイン」
男は静かに名乗った。
「俺をここに送った女に、伝える言葉を預かってくれ」
「……はい」
「『お前が直接、食いに来い』と」
男はゆっくり外套を翻した。
「……失礼する」
そして店を出ていった。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
しばらくの沈黙の後、ベラさんが、そっと俺の肩に手を置いた。
「田中さん……あの、今の方、いったい……」
「たぶん、刺客でした」
「えっ!?」
「俺を殺しに来た人でした」
「えぇぇぇぇっ!?」
ベラさんが悲鳴をあげた。
ガリオさんが深くため息をついた。
「田中、お前、本当にとんでもねぇな」
「俺、何もしてないですけど」
「そこが、一番、おっそろしいんだよ」
ガリオさんが頭を抱えた。
「刺客が、メシ食って、泣いて、金貨置いて、帰ったぞ」
「……そうですね」
「なろう小説でも、なかなか、ねぇよ、そんな展開」
……あ。ガリオさん、なろう、知ってた。
いや、違う。この世界にもそういう表現があるだけだろう、きっと。
たぶん違う、うん、たぶん。
夜。オルバの街から、遥か南。
毒師ギルド・本拠地の、最上階。
黒装束のままレイナの前に片膝をつくカイン。
「……任務、果たせませんでした」
「そう」
「標的の料理を、味見しました」
「それで?」
「——人生で、最高のスープでした」
レイナが手元のワイングラスを静止させた。
「で、殺したの?」
「いえ」
「……へぇ」
レイナの瞳が細くなった。ワインを一口飲んだ。
「お前、十年、私の部下として、誰一人、標的を見逃したことが、なかったはずよね」
「……はい」
「その、お前が」
「……はい」
沈黙。窓の外、風が轟いていた。
やがてレイナは、くすり、と笑った。
「いいわ。楽しくなってきた」
「総帥……」
「カイン、もう一つ、頼まれてくれる?」
「なんなりと」
レイナは立ち上がった。漆黒のクローゼットを開ける。
そこから取り出したのは——旅装のローブだった。
「馬車を二頭立てで準備して。夜明け前にオルバへ発つ」
「はっ、まさか——」
「私が直接、食べに行くわ」
レイナが唇の端を吊り上げた。
「その料理人、田中一郎を、私の目で確かめてやる」
刺客カイン、まさかの号泣展開でした。
次話から、いよいよレイナ本人が動きます。
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