第53話 ベラ亭の朝、ル・オニオンの教え
ベラ亭に戻った翌朝。
俺はいつもの時間に、目を覚ました。
久しぶりのベラ亭の客室。
石造りの天井ではなく、木造の温かい部屋。
窓から差し込む朝日が、優しかった。
……ただいま。
俺は深く息を吸った。
ル・オニオンの煮込みの香りが、二階まで漂ってきた。
ベラさんがもう、朝食の準備を始めているらしい。
俺はエプロンを身に着けて、厨房に降りた。
厨房には、すでにシエラさんとエマさんが立っていた。
二人とも、エプロン姿。
シエラさんは、白いシンプルなエプロン。
エマさんは、少し大きめの布製エプロン。
ベラさんが笑顔で、二人を迎えていた。
「お二人とも、早起きですねぇ」
「料理人ですから」
「私、いつもの時間ですっ!」
二人がそれぞれの個性で、答えた。
シエラさんはエルフらしく、優雅な丁寧さ。
エマさんはドワーフらしく、太陽のような元気さ。
でも二人とも、料理人としての覚悟は本物だった。
俺は笑顔で挨拶した。
「ベラさん、シエラさん、エマさん、おはようございます」
「田中さん、おはようございますぅ!」
「タナカさん、おはよう!」
「お早いですわね」
全員が明るい笑顔で、頷き合った。
ベラ亭のいつもの朝。
でも、新しいメンバーが加わった特別な朝、でもあった。
ベラさんがエマさんに、ル・オニオンを見せた。
「これがベラ亭の、看板素材です」
「これ、玉ねぎ?」
「ええ、ル・オニオンっていう特別な玉ねぎです」
「普通の玉ねぎと、何が違うの?」
「タナカさん、説明お願いしますぅ」
ベラさんが俺に振った。
俺は笑顔で、ル・オニオンをエマさんに見せた。
「ル・オニオンは王都の北部で採れる、特別な品種」
「ふむふむ」
「煮込むと、優しい甘みが出る」
「美味しそう」
「人間界の料理の基本素材として、よく使われています」
「ドワーフ界には、ない種類だね」
「鉱山牛や地下キノコと、組み合わせると——」
「!」
「最高の煮込み料理になります」
俺はにっこり頷いた。
エマさんがぱぁっと、目を輝かせた。
「やってみたい!」
「もちろんです」
「タナカさん、教えて!」
「はい」
俺はル・オニオンを、まな板に置いた。
まず、皮の剥き方から教えた。
ル・オニオンは人間界の玉ねぎより、皮が厚い。
でも、刃物の入れ方が間違っていなければ——綺麗に剥ける。
エマさんが真剣な目で、俺の手元を見ていた。
料理人として本気で、学びたい目だった。
シエラさんも隣で見ていた。
彼女はエルフ族として、ル・オニオンをすでに何度か扱ったことがあるらしい。
でもベラ亭の本場の扱い方を見たい、と頼んでいた。
俺は二人に向けて、ゆっくり丁寧に教えた。
「皮を剥いたら、薄く輪切り」
「はい」
「断面を見てください」
エマさんがル・オニオンの断面を、覗き込んだ。
「うわぁ、層がいっぱい」
「これが味の層です」
「層?」
「ル・オニオンは煮込むと、その層から甘みが出てくる」
「すごい!」
「だから薄く切る方が、味がよく出る」
「分かりました!」
エマさんが頷きながら、自分でも切ってみた。
最初はぎこちなかった。
でもドワーフ族らしい力強い手つきで、徐々に慣れていった。
……エマさん、本当に料理人としての才能ある。
俺は感心しながら見ていた。
シエラさんも隣で、自分のペースで切っていた。
彼女の手つきは、相変わらず優雅だった。
まるで舞踊のような動き。
二人の対照的な料理スタイル。
でも、どちらも本物の料理人。
ベラ亭の厨房に、新しい彩りが加わっていた。
ベラさんが横で、玉ねぎスープを煮込んでいた。
いつもの温かい香り。
ベラ亭の看板メニュー。
「タナカさん、お二人に玉ねぎスープ、味見させましょうか」
「いいですね」
「私の自慢のレシピ」
ベラさんが得意げに頷いた。
彼女が二つのお皿に、スープを注いだ。
シエラさんとエマさんが、それぞれ味見した。
二人の表情が、一気に変わった。
「……これ」
「シエラさん?」
「優しい味」
「ふふ、ありがとうございますぅ」
「エルフ族の料理にも似た、優しさがあります」
「あら、嬉しい」
シエラさんが深く頷いた。
エマさんも目を輝かせた。
「うわぁ、これ最高っ!」
「エマさん、お気に召しましたか」
「めちゃくちゃ好き!」
「それはよかった」
ベラさんが嬉し涙で、号泣しそうになった。
「私の料理を好きって言ってくれて、ありがとうございますぅぅぅ……」
「ベラさん、また号泣する」
「だってぇぇぇ、嬉しくてぇぇぇ」
俺は思わず苦笑した。
ベラさんの号泣は、嬉しい時の習慣だった。
でも、その温かさがベラ亭の本質でもあった。
午前中。
俺はシエラさんとエマさんに、ベラ亭の基本料理を教えた。
玉ねぎスープ。煮込みハンバーグ。鶏のロースト。
全部、ベラ亭の定番メニュー。
でも、シエラさんとエマさんに教えながら——俺自身も改めて、ベラ亭の料理の本質を考えた。
……シンプルな温かさ。
それがベラ亭の料理の核心。
高級な素材も、特殊な技法も必要ない。
ル・オニオンを丁寧に煮込む。
お客様を温かく迎える。
それだけで——人々の心を温める料理になる。
俺は改めて深く感動した。
ベラ亭の料理は、世界を温める原点だった。
昼前。
お客さんがベラ亭に入ってきた。
いつもの常連さんたち。
久しぶりに顔を見せた俺に、皆が嬉しそうに声をかけた。
「田中さん、お久しぶり!」
「ご無事で何よりです」
「いやー、久しぶりにベラ亭の料理、食べたかったよ!」
常連さんたちの温かい言葉。
料理人として、最高のご褒美だった。
でも、その時——一人の常連さんがシエラさんとエマさんを見て、目を丸くした。
「あ、あの、田中さん?」
「はい?」
「あちらのお嬢さんは——?」
「ご紹介します」
俺は笑顔で、二人を紹介した。
「シエラさんは、エルフ族から」
「!」
「エマさんは、ドワーフ族から」
「!!」
常連さんが口をぱくぱくさせた。
他のお客さんも、同じ反応。
ベラ亭にエルフとドワーフが、料理人として立っている。
それは人間界では、極めて珍しい光景だった。
俺は笑顔で続けた。
「世界料理大会の準備で、ベラ亭で修行中です」
「世界料理大会!?」
「はい」
「あの噂の大会!?」
「ええ」
常連さんたちが、一斉に興奮し始めた。
「す、すごい、ベラ亭!」
「世界の舞台!」
「俺、絶対見に行く!」
お客さんたちが口々に、応援の声を上げた。
……ありがたい。
料理人として、地元の応援が何より心強い。
俺は深く頭を下げた。
「皆さん、ありがとうございます」
「田中さん、応援してるよ!」
「絶対、優勝してね!」
お客さんたちの笑顔。
ベラ亭の温かい空気。
料理人として、これ以上の幸せはなかった。
午後。
お客さんが引いた後。
シエラさんとエマさんがベラ亭のホールで、ベラさんとリエラさんとお茶を飲んでいた。
四人の女性が、賑やかに話していた。
「シエラさん、エルフってどんな生活してるの?」
「森の奥で、植物と共に暮らしてます」
「ロマンチック!」
「エマさんは?」
「鉱山の地下都市で、鉄の鎧と酒で暮らしてるっ!」
「力強い!」
「ベラさんは、ベラ亭で温かい料理を作ってる」
「私は、それが誇りなんですよぉ」
四人が楽しそうに、笑い合っていた。
異種族の女性たちが、ベラ亭のホールでお茶を飲む。
料理人として、心が温かくなる光景。
俺はレイナと横で、それを見守っていた。
「一郎」
「はい」
「ベラ亭、本当に世界のお店ね」
「ええ」
「四人、すごく楽しそう」
「ですね」
「もうすぐシャルロッテ王女も、来るらしいわ」
「シャルロッテ様?」
「はい、王宮から伝令が来てた」
「いつ?」
「来週」
レイナが笑顔で頷いた。
「料理大会の準備の相談、らしいわ」
「楽しみですね」
「五人の女性、賑やかになりそう」
俺は思わず苦笑した。
ベラ亭、本当に賑やかになる。
……レイナさん、火花、覚悟しないと。
でもそれも含めて、料理人としての人生だった。
夕方。
俺は田中食堂の二階の自室で、メモを書いていた。
料理大会への計画。
ル・オニオンをベースに、世界中の素材を組み合わせた最終料理。
黒鉄の骨髄、世界樹の種子、赤血竜の心臓。
三つの伝説素材。
あと二つ——獣人族と人魚族。
全種族の素材を結集した、究極のメニューを作る。
料理人として、最高の目標だった。
俺は深く息を吸った。
ベラ亭での平和な日常。
料理大会への準備。
全てが順調に進んでいた。
でも——その時、ふと不安がよぎった。
ザガン公の動き。
最近、情報が入ってこない。
カインさんが調査を続けてくれているけど——魔界の政治、深く進んでいるらしい。
料理人としての平和は——いつまで続くだろう?
俺はメモを置いて、窓から街を見つめた。
オルバの街の夕焼け。
平和な街並み。
でも、その平和の裏で——何かが動き始めている気がした。
料理人としての第六感だった。




