第50話 エマの決意、ドワーフ族との約束
評議会の翌朝。
俺は鉄の都の客室で目を覚ました。
今日がドワーフ族での最終日。
明日には、ベラ亭への帰路につく予定だった。
仲間たちと共に長い旅を経て、ここまで来た。
ドワーフ族の信頼を勝ち取り、第三の伝説素材を獲得した。
料理人として、これ以上ない成果。
でも俺の心には——わずかな寂しさが残っていた。
ドルガン様、ガレンさん、長老たち——出会った人々との別れ。
料理人として、出会いと別れはつきもの。
でも、その度に心が痛む。
俺はベッドから起き上がって、深く息を吸った。
今日も、料理人として最善を尽くす。
それが俺の流儀だった。
厨房に向かうと、エマさんがいつもより早く待っていた。
でも、表情がいつもとは違っていた。
元気な太陽のような笑顔——ではなく、何か考え込んでいる表情。
「エマさん?」
「あ、タナカさん」
「どうしました?」
「実は、相談があって」
彼女が深く息を吸った。
いつもの力強さは、影を潜めていた。
「タナカさん」
「はい」
「私、ベラ亭についていってもいいですか」
「!?」
「ご迷惑、ですか?」
「いえ、迷惑じゃないですけど」
「料理大会まで、タナカさんのもとで修行したい」
エマさんの目が潤んでいた。
「シエラさんもベラ亭で修行するって、聞きました」
「はい」
「私も行きたいです」
「……」
「タナカさんの料理を、もっと近くで見たい」
彼女の声には、強い覚悟が宿っていた。
俺は深く考えた。
エマさんをベラ亭に連れて帰る。
彼女はドワーフ族最年少の料理人。
ドワーフ族の誇り。
そしてドルガン様の孫娘。
簡単に決められる話じゃない。
「エマさん、ドルガン様には?」
「まだ話してません」
「……」
「タナカさんの許可をもらってから、相談するつもりで」
「分かりました」
俺は笑顔で頷いた。
「俺は歓迎します」
「!」
「ベラ亭に来てください」
「ほ、本当ですか!」
「もちろんです」
エマさんがぱぁっと、顔を輝かせた。
でも、すぐに表情が戻った。
「あとは、おじいちゃん次第」
「ええ」
「説得、頑張ります」
「俺も一緒にお願いします」
「ありがとうございますっ!」
彼女が深く頭を下げた。
俺は深く頷いた。
ドワーフ族最年少の料理人を、ベラ亭に迎える。
料理人として、最高の機会。
でもそれをドルガン様に認めてもらえるか——分からなかった。
昼。
俺とエマさんは、ドルガン様の部屋に向かった。
ドルガンは息子のガレンさんと一緒に、食事をしていた。
ガレンさんの回復は順調。
今では自力で歩けるようになっていた。
俺たちが入ると、ドルガンが笑顔で迎えた。
「田中殿、エマ。どうした?」
「ドルガン様、お話があります」
「うむ」
ドルガンが食事の手を止めた。
俺は深く頭を下げた。
「実は、エマさんにベラ亭で料理修行をお願いしたいのです」
「!」
「料理大会まで、ベラ亭で技を磨いていただきたい」
「ふむ」
ドルガンがしばらく考えた。
ガレンさんも、驚いた顔をしていた。
「父さん、それは——」
「ガレン、待て」
ドルガンが息子を制した。
彼がじっと、エマさんを見つめた。
「エマ、お前の本心か?」
「うん、おじいちゃん」
「本気でベラ亭に行きたいか?」
「うん」
「お父さんとおじいちゃんから離れて?」
「……」
エマさんの表情が、わずかに揺れた。
でもすぐに、強い目に戻った。
「離れたくない」
「……」
「でも、料理人としてもっと強くなりたい」
「うむ」
「タナカさんのもとで、世界中の種族の料理を学びたい」
彼女の声には、強い決意が宿っていた。
「料理大会で、ドワーフ族の誇りを世界に見せたい」
「……」
「だからベラ亭に行きたい」
エマさんが深く頭を下げた。
「お願いします、おじいちゃん」
ドルガンがしばらく沈黙した。
彼の目には、複雑な感情が宿っていた。
孫娘を手放す寂しさ。
でも、料理人としての成長を願う誇り。
二つの感情がせめぎ合っていた。
最終的に——彼が深く頷いた。
「分かった」
「!」
「行ってこい、エマ」
「おじいちゃん!」
「ただし、条件がある」
「条件?」
ドルガンがまっすぐ、エマさんを見た。
「料理大会で、ドワーフ族の誇りを見せること」
「うん!」
「世界中の料理人と、対等に戦うこと」
「もちろん!」
「そして——」
ドルガンの声が低くなった。
「お前自身の夢を追いかけること」
「!」
「料理人として、ドワーフ族の伝統を超える新しい料理を作る」
「……」
「それがお前の夢、のはずだろう?」
「うん、おじいちゃん」
「だからベラ亭で、思いっきり修行してこい」
ドルガンの目に、わずかに涙が滲んだ。
「私たちの夢を、お前が果たしてくれ」
「うん、必ず果たすっ!」
エマさんがドルガンに抱きついた。
ドルガンが孫娘を、優しく抱きしめた。
二人の姿は——別れの寂しさと、未来への希望が混じっていた。
俺は深く感動して、見ていた。
ガレンさんが俺に声をかけた。
「田中殿」
「はい」
「娘を、よろしくお願いします」
「もちろんです」
「エマは私の、たった一人の娘で——」
「お父さんっ!」
「気をつけてくださいね?」
「もちろんです」
ガレンさんが深く頭を下げた。
彼の目には、父親としての複雑な感情が宿っていた。
料理人として命を救ってもらった相手。
その相手に、娘を預ける。
信頼と寂しさが混じった表情。
俺は深く頷いた。
「ガレンさん、必ずエマさんを、立派な料理人に育てます」
「期待しています」
「料理大会まで、ベラ亭で過ごしてもらいます」
「ありがとうございます」
「料理大会、ぜひご家族でお越しください」
「もちろん行きます」
ガレンさんが深く頷いた。
「ドルガン父さんと私と、家族全員で応援します」
「光栄です」
俺は深く頭を下げた。
料理人とドワーフ族の家族の絆。
料理大会への応援団が、また増えた。
その夜。
ドルガン様の家族と俺たち五人で、最後の晩餐を囲んだ。
ドワーフ族の伝統料理が、テーブルに並んでいた。
鉱山牛のローストに、地下キノコの煮込み。
薬膳のスープに、ドワーフ酒。
そして、エマさんが自分で作った特別な料理。
「これ、ドワーフ伝統の別れの料理」
「別れの料理、ですか」
「『絆のパン』って言うの」
「素敵な名前ですね」
「家族の絆を、忘れないように食べるの」
エマさんがにっこり微笑んだ。
彼女がそれを、皆に配ってくれた。
パンを一口、食べてみた。
……温かい。優しい味。
家族の愛情が詰まっているような味だった。
「美味しいです」
「ありがとう、タナカさん」
「これ、エマさんが?」
「うん、お母さんから教わったレシピ」
「素晴らしい料理です」
俺は深く感動した。
料理は家族の絆を繋ぐ。
その本質を、エマさんはもう分かっている。
料理人として、彼女は本物だった。
ドルガンがワインを配った。
強烈なドワーフ酒。
でも今夜は、別れの酒。
全員でグラスを掲げた。
「乾杯、皆」
「乾杯!」
ガラス同士が触れ合う音。
俺たちは深く頷きながら、酒を口に含んだ。
ドワーフ酒の強烈な香り。
でも、温かい味だった。
ドルガンが深く息を吸った。
「エマ、明日出発するな」
「うん」
「ベラ亭で、料理人として頑張れ」
「うん」
「ドワーフ族の誇りを、忘れるな」
「絶対、忘れない!」
「料理大会で、最高の料理を見せてくれ」
「もちろんっ!」
エマさんが力強く頷いた。
ドルガンが満足そうに頷いた。
「我らドワーフ族、お前の夢を応援する」
「ありがとう、おじいちゃん」
二人が笑顔で頷き合った。
その光景は——千年のドワーフ族の誇りが、新しい世代に引き継がれる瞬間だった。
俺はそれを、深く感動して見ていた。
夜が更けた頃。
俺はレイナと宮殿のテラスで、二人だけの時間を過ごしていた。
「一郎」
「はい」
「ドワーフ編、もうすぐ終わるね」
「ええ」
「次は、何処に行くの?」
「獣人族の領地」
「獣人」
「鉄の山脈の東側、らしいです」
「遠いね」
「ええ、馬車で十日くらいかかるらしい」
俺は地図を確認しながら、答えた。
「でも、その前に——一回ベラ亭に戻ります」
「うん」
「シエラさんとエマさんを、ベラ亭に馴染ませる必要がある」
「賢明な判断ね」
レイナがにっこり微笑んだ。
「ベラさんも、リエラさんも待ってる」
「ですね」
「私も、ベラ亭が恋しい」
「俺もです」
二人で笑い合った。
ベラ亭は俺たちの家。
どこに行っても——必ず戻る場所だった。
料理人としての本拠地。
ベラさんとリエラさんと共に、築いてきた店。
明日出発したら、四日後には戻れる。
ベラ亭の温かい香りを、もう一度感じられる。
俺は深く息を吸った。
帰る楽しみが、また一つ増えた瞬間だった。




