第38話 エルフの里、大樹の長老
エルフの里。
俺たちが立っていたのは、巨大な大樹の根元だった。
見上げると——天を貫くような樹の高さ。
幹の太さは、ベラ亭の建物が丸ごと収まるほど。
葉はエメラルドのように輝いていた。
……これ、樹なのか。
俺はぽかんと口を開けてしまった。
樹というより、巨大な建造物だった。
ガリオさんも隣で、口を開けていた。
「……でけぇ」
「ですよね」
「俺、Aランク冒険者として各地を回ったが——」
「はい」
「こんな樹、見たことない」
ガリオさんが首を振った。
【鑑定】が勝手に走った。
【世界樹・大いなる母】
樹齢:推定10,000年
大きさ:高さ500メートル/幹直径50メートル
備考:エルフの里の中心。エルフ族の信仰の対象。
幹の内部には、長老の議会場と、住居がある。
……世界樹。
1万年も生きてる樹。
幹の中に家がある。
もう、ファンタジーだった。
いや、ここファンタジー世界だから当然か。
でも、想像をはるかに超えていた。
シエラさんが優しく微笑んだ。
「驚かれましたか」
「はい、すごいです」
「世界樹は、エルフ族の母」
「……」
「私たちの全ての文化と、信仰の中心」
「神聖な場所ですね」
「ええ」
シエラさんが深く頷いた。
「ここで長老たちに、お会いいただきます」
「分かりました」
「料理交流、楽しみにされています」
「光栄です」
俺は深く頭を下げた。
料理人として、新しい挑戦の場。
心が躍った。
シエラさんが俺たちを、世界樹の中へ案内した。
幹の根元に、大きな入り口があった。
扉ではなく、樹皮が自然に開いた、不思議な構造。
中に入ると——薄暗い空間が広がっていた。
でもよく見ると、無数の光球が空中に浮いていた。
淡い緑の光。
森の中の蛍のような光。
幻想的だった。
通路をシエラさんに案内されながら、進んだ。
壁は樹の内部そのまま。
ところどころに、小さな部屋への入り口があった。
エルフたちが住んでいるらしい。
すれ違うエルフたちは、皆シエラさんに頭を下げた。
そして俺たちを、好奇の目で見た。
……人間が世界樹に入った、初めての日なのかもしれない。
俺はできるだけ丁寧に、頭を下げ返した。
料理人として、礼儀は大切だ。
しばらく歩いて、巨大な広間に出た。
円形の広間。壁は全て樹の幹。
天井からは、無数の光球が降り注いでいた。
中央には円卓があった。
その周りに十二脚の、大きな椅子。
うち十一脚がすでに埋まっていた。
……エルフの長老たち。
俺は息を呑んだ。
全員、エルフ。
でもシエラさんとは違う。
長老たちは皆、年配のエルフだった。
白い髪に、深い緑の瞳。
顔には年輪のような、皺が刻まれていた。
でもその目には、若々しい知性が宿っていた。
【鑑定】を走らせようとして——やめた。
失礼すぎる。
料理人として、相手を礼儀正しく接する。
それが俺の流儀だった。
シエラさんが長老たちの前に進み出た。
「長老の皆様、お待たせいたしました」
彼女が深く頭を下げた。
「人間界より田中一郎殿、ご一行をお連れしました」
長老たちが一斉に、俺たちを見た。
その視線は、温かいものではなかった。
でも、敵意でもなかった。
……観察。
料理人として、品定めされている感じ。
俺は深呼吸して、一歩前に出た。
「初めまして、田中一郎です」
深く頭を下げた。
「世界樹にお招きいただき、光栄です」
「……」
「料理を通じて、エルフ族と文化交流させていただければ、と存じます」
「……」
長老の一人が、ゆっくり口を開いた。
白い長い髭の、最年長と思われるエルフ。
「人間の料理人よ」
「はい」
「我らエルフは長年、人間と距離を置いてきた」
「存じております」
「人間は自然を、軽んじる種族」
「……」
「素材を命として、敬わない」
「……」
俺は深く頷いた。
長老の言葉は、厳しかった。
でも、否定はできなかった。
地球の現代社会では——食べ物を平気で捨てる文化があった。
俺自身、料理人としてそれを嘆いていた。
「長老様」
「うむ」
「私の前世——いえ、私の故郷でも、同じ問題がありました」
「ほう」
「食べ物を平気で捨てる文化」
「……」
「私の父は、それを深く嘆いていました」
「お父上が?」
「はい」
俺はまっすぐ、長老を見た。
「父は料理人として、食材の命を絶対に無駄にしない、と教えてくれました」
「……」
「『料理は、命をいただく行為』——それが父の口癖でした」
長老が、わずかに目を開いた。
最初の興味の表れ。
「お父上は、立派な料理人だな」
「はい」
「で、お前はその教えを、引き継いでいるのか」
「はい」
「証明、できるか」
長老の声が鋭くなった。
……試験だ。
俺は深く息を吸った。
「料理を作らせてください」
「ほう」
「素材は、エルフ族のものをお貸しください」
「……」
「私が毒を料理に変える——それが答えになるはずです」
長老の目が、わずかに輝いた。
他の長老たちも、お互いを見合った。
ヒソヒソと、何かを相談していた。
しばらくして——最年長の長老が頷いた。
「面白い」
「……」
「やってみるがよい」
「ありがとうございます」
「ただし、条件がある」
「条件、ですか」
「我らエルフ族で最も危険な毒草」
「はい」
「『緑の死』を、料理にしてみよ」
俺はガリオさんをちらっと見た。
ガリオさんもレイナも、表情が固かった。
……『緑の死』。名前からして厄介そうだ。
俺はにっこり微笑んだ。
「お受けします」
「即答か」
「料理人ですから」
長老がわずかに微笑んだ。
「気に入った」
「ありがとうございます」
「準備に半日、与える」
「半日、ですか」
「明日の夜、長老会議の前で披露せよ」
「分かりました」
俺は深く頭を下げた。
心臓がどきどきしていた。
でも、不安ではなかった。
むしろ、ワクワクしていた。
料理人として、新しい挑戦の瞬間。
最高の瞬間だった。
長老会議の広間を出た後。
シエラさんが申し訳なさそうに、頭を下げた。
「田中殿、すみません」
「シエラさん?」
「『緑の死』、本当に危険な毒草です」
「どんな毒草ですか」
「触れただけで、皮膚に強い毒が染み込む」
「……」
「食べたら即死」
「即死」
「処理方法、エルフ族でも確立できていません」
シエラさんの声が震えていた。
「長老たち、田中殿を試していると思います」
「分かっています」
「でも、危険すぎます」
「シエラさん、大丈夫」
俺はにっこり微笑んだ。
「俺、料理人ですから」
「……」
「毒を料理に変えるのが、俺の専門」
「……」
「絶対、やってみせます」
俺はレイナを見た。
彼女が深く頷いた。
「私も手伝う」
「レイナさん、ありがとう」
「あなた一人で、抱え込ませない」
「はい」
「毒師ギルド総帥として、知識をフル活用する」
「ありがとうございます」
俺たちはしっかり目を合わせた。
料理人と毒師。最強コンビ。
ベラ亭で、田中食堂で、何度も修羅場を超えてきた。
今度も、絶対超えられる。
その夜、シエラさんがエルフの客室に案内してくれた。
樹の幹の中に作られた、不思議な部屋。
壁が樹皮そのまま。
でも家具は白木でできていて、清潔だった。
ベッドも葉と苔で、できていた。
最初は寝心地が心配だったが——横になると、驚くほど心地よかった。
森の香り。自然の温もり。
俺はすぐに深い眠りに落ちた。
明日、エルフ族の最大の毒草に挑戦する。
でも、不思議と不安はなかった。
仲間がいる。
料理人としての信念がある。
それで十分だった。




