第33話 魔王の悩み、世界料理大会の構想
魔界での滞在二日目。
俺たちは魔王城のゲストハウスに泊まっていた。
立派な客室。豪華な調度品。
でも何より嬉しかったのは——魔界の空気が、思っていたよりずっと温かい、ということ。
窓を開けると、紫色の空に二つの月が浮かんでいた。
地球の月とは違う夜空。
でも、不思議と心が落ち着いた。
ガリオさんが隣の部屋から、覗き込んできた。
「田中、寝れたか」
「はい、ぐっすり」
「お前、緊張感ないな」
「ガリオさんも、ぐっすり寝た顔ですよ」
「……まあな」
ガリオさんが苦笑いした。
「魔王が想像と違いすぎる」
「分かります」
「警戒する必要、本当にあるのか分からん」
「リリスさんも丁寧ですしね」
「……だな」
ガリオさんが髭を撫でた。
「だが、油断はしない」
「もちろんです」
「魔界は、人間界のルールが通用しない場所だ」
「はい」
「俺たちはゲストとして迎えられているが——魔界の政治状況に巻き込まれる可能性もある」
「ガリオさん、よく見えていますね」
「Aランク冒険者、伊達じゃない」
ガリオさんがニカッと笑った。
頼もしい用心棒だった。
朝食はリリスさんが運んできてくれた。
魔界の特産品を使った、シンプルな朝食。
パンと果実、それに温かいスープ。
【鑑定】で安全を確認した。
全部、安全。毒物はなし。
俺は安心して口に運んだ。
……美味しい。
魔界の食材、味が深い。
地球の果実より、ずっと濃厚な甘み。
「リリスさん、これ、美味しいです」
「ありがとうございます。喜んでいただけて嬉しいです」
「魔界の料理、レベル高いですね」
「料理研究、進んでいますからね」
「魔王様、200年も人間料理を研究していたのに、魔界の料理も進化しているんですか」
「それは魔王陛下の影響です」
リリスさんがにっこり微笑んだ。
「料理が好きな魔王陛下が、魔界中の料理を底上げしました」
「すごい王様ですね」
「ええ」
リリスさんが優しく頷いた。
魔王、本当に料理が好きなんだな。
ますます彼に好感を持った。
朝食の後。
俺たちは再び、魔王の玉座の間に招かれた。
魔王はいつもより、真剣な表情だった。
「田中殿、皆様、おはようございます」
「グレイヴ様、おはようございます」
「実は本日は、お話があります」
「お話、ですか」
魔王が深く頷いた。
「人間と魔族の戦争を終わらせる計画、です」
「……」
俺は息を呑んだ。
戦争を終わらせる計画。
魔王が本気で考えていることだった。
「私、200年、考えてきました」
「はい」
「人間と魔族、対立する必要ない」
「……」
「お互いを知れば、平和的に共存できる」
「グレイヴ様、その通りです」
「でも、両方の種族の政治家たちは戦いを選ぶ」
「……」
「なぜか分かりますか」
「……お互いを知らないから、ですか」
「その通り」
魔王が深く頷いた。
「だから私、考えました」
「はい」
「世界料理大会を開催したい」
「……世界料理大会?」
「ええ」
魔王が嬉しそうに、目を輝かせた。
「人間も、魔族も、エルフも、ドワーフも、獣人も、全種族参加可能の料理大会」
「すごい構想ですね」
「料理を通じて、お互いの文化を知る」
「……」
「料理を通じて、お互いの味を共有する」
「……」
「料理を通じて、お互いを信頼する」
魔王の声には、強い信念が宿っていた。
「これが私の、200年の夢です」
「グレイヴ様、素晴らしい構想です」
「でも構想だけでは進まない」
「……」
「実現するには、料理人としてのリーダーが必要」
「リーダー、ですか」
「ええ」
魔王がまっすぐ俺を見た。
「田中、一郎、殿」
「はい」
「貴殿に世界料理大会の運営委員長を、お願いしたい」
「……ええ!?」
俺は椅子から跳ね上がった。
「ぼ、僕が?」
「ええ、貴殿しかいない」
「俺、ただの田舎の料理人ですよ」
「だからこそ」
魔王がにっこり微笑んだ。
「貴殿は人間界では、王家公認の料理人」
「はい」
「魔界では、魔王認定の料理人」
「……」
「両方の世界に認められた、唯一の料理人」
「……」
「貴殿が運営委員長として立てば、両方の種族が参加を検討する」
「……」
俺は深く考えた。
世界料理大会の運営委員長。
料理人として考えれば——夢のような機会だった。
全種族の料理が集まる大会。
俺の料理人としての視野が、一気に広がるはず。
でも運営委員長としての責任は重い。
政治的、外交的な判断も必要。
俺、それができるか。
「グレイヴ様」
「はい」
「俺、料理はできますが——」
「はい」
「政治的な判断、得意じゃありません」
「分かっています」
「責任が重すぎます」
「分かっています」
「……」
「だから、補佐役をつけます」
「補佐役」
「ええ」
魔王が隣のリリスさんを、指し示した。
「リリスを副委員長としてつけます」
「リリスさん、ですか」
「はい、私、補佐させていただきます」
リリスさんが深く頭を下げた。
「魔王陛下のご命令で、私、200年、人間料理を研究してきました」
「……」
「人間と魔族、両方の知識があります」
「すごいですね」
「政治的な判断は、私が責任を持って補佐します」
「……」
「田中殿は、料理の判断だけお願いします」
「……」
俺はレイナの方を見た。
レイナが深く頷いた。
「やりましょう、一郎」
「レイナさん」
「素晴らしい構想よ」
「はい」
「料理人として、最高の夢」
「……」
「私も隣で支えるわ」
ガリオさんも頷いた。
「俺もついて行く」
「カインさんも?」
「もちろんです」
仲間たちが揃って頷いた。
俺は深く息を吸った。
料理人として、もう一つ大きなステージが待っていた。
……やるしかない。
料理人としてできることをやる。
それが俺の生き方だ。
「グレイヴ様」
「はい」
「お引き受けします」
「!」
「世界料理大会の運営委員長、お受けします」
魔王がぱぁっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
彼が立ち上がって、両手で俺の手を握った。
「これで平和に向けて、大きな一歩を踏み出せる」
「はい」
「貴殿の勇気に感謝します」
「いえ、料理人としてできることをするだけです」
俺は深く頭を下げた。
いつものように、ハッタリも何もない。
ただ、料理人として応えただけだった。
その後、本格的な計画会議が始まった。
大会の開催場所。
魔界と人間界の中立地帯——『虹色の平原』。
魔王がすでにそこに、巨大な会場を建設していた。
200年、計画していた夢だった。
大会の開催時期。
半年後、と決まった。
半年後、ベラ亭の結婚式とちょうど同じ時期だった。
俺はレイナと目を合わせた。
彼女がにっこり微笑んだ。
「結婚式、忙しい半年になるわね」
「はい」
「でも楽しみ」
「俺もです」
二人で笑い合った。
ベラ亭の結婚式と、世界料理大会の運営。
半年後の俺の人生は、本当に忙しくなる。
でもそれも料理人として、最高の人生だった。
計画会議は夜まで続いた。
各種族の招待状の発送方法。
大会のルール。審査基準。料理ジャンル。
全部、リリスさんが200年温めてきた構想を、ベースにしていた。
俺は料理人としての視点で、意見を加えた。
「リリスさん、料理ジャンル、もっと自由にしませんか」
「と、言いますと?」
「『前菜』『メイン』『デザート』、みたいな固定のジャンルじゃなくて——」
「はい」
「『相手を笑顔にする料理』、みたいなテーマで競うのはどうですか」
「素敵な考えです」
リリスさんが目を輝かせた。
「料理の本質ですね」
「ええ」
「形式に囚われない、料理人の心の表現」
「はい」
「これは田中殿の人柄が、出ていますね」
彼女が優しく微笑んだ。
俺はちょっと照れた。
でも、料理人として嬉しかった。
料理は技術じゃない。心、だ。
その考え方を、世界中に広げたい。
そう、思った。
その夜。
俺はゲストハウスのベランダで、紫色の夜空を見上げていた。
二つの月が優しく輝いていた。
地球の月とは違う。
でも温かい光だった。
「一郎」
後ろからレイナの声がした。
「はい」
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
彼女が隣に立った。
白い寝間着。月明かりに銀髪が輝いていた。
「また大きな仕事、引き受けたのね」
「はい」
「料理人として、ますます忙しくなる」
「はい」
「でも誇らしいわ」
「……」
「私の未来の夫、世界の料理を変えていく」
彼女がにっこり微笑んだ。
その笑顔は本当に、嬉しそうだった。
「レイナさん」
「はい」
「俺、頑張ります」
「うん」
「半年後の結婚式と料理大会、両方最高のものにします」
「期待してるわ」
彼女が優しく、俺の頬に手を添えた。
冷たい手。でも温かい想い。
俺は彼女をそっと抱き寄せた。
二人で紫の夜空を見上げた。
異世界の月、二つ。
でも俺の隣には、ずっと彼女がいる。
俺の料理人としての物語は——ますます広がっていく。
世界、全種族の食卓を温める。
そんな料理人になれるかもしれない。




