第31話 魔王軍からの、招待状
田中食堂が開店して三ヶ月が経った。
毎日、朝から晩まで満員の盛況。
王都からも、貴族たちがわざわざ食べに来る。
オルバの街全体が、田中食堂の開店で活気付いていた。
俺の生活は安定していた。
レイナと正式に婚約。結婚式は半年後の予定。
ベラさんが毎日、楽しそうに結婚式の準備を進めている。
ベラ亭の新しい家族の誕生に向けて。
……平和だった。
でも、平和は長く続かなかった。
ある日の午後。
ベラ亭の扉に、奇妙な人影が現れた。
その日、俺はいつものように、厨房で仕込みをしていた。
ベラさんがホールから慌てて入ってきた。
「田中さん、お、お客様が……」
「どんなお客さんですか?」
「い、一目、見てください」
ベラさんの声が震えていた。
俺はエプロンを外して、ホールに出た。
そこに立っていたのは——
黒いフード付きのローブを纏った、長身の女性だった。
肌が雪のように白い。いや、白すぎる。
人間の肌では、なかった。
頭の両側から——黒い湾曲した角が生えていた。
……魔族。
俺は息を呑んだ。
【鑑定】が勝手に走った。
【リリス・ベルザード(推定250歳)】
種族:魔族(高位悪魔種)
職業:魔王軍・第三師団・参謀
戦闘力:S級(人間スケールでは測定不能)
状態:友好的/使者として来訪
備考:魔王から、田中一郎への、招待状を持参。
……。
……魔王軍。
俺の心臓が跳ねた。
まさか、魔王軍、本物が来た。
ベラ亭の店内で、お客さんたちがざわっと騒いだ。
誰かが「ま、魔族だッ!」と叫んだ。
別の誰かが「逃げろッ!」と悲鳴を上げた。
ベラ亭のホールが、一瞬で混乱になりかけた。
その時——
女性が静かに、両手を前に差し出した。
「皆様、落ち着いてください」
声は意外なほど、柔らかかった。
まるで夜の湖の水面のような響き。
「私は危害を加えるために来たのでは、ありません」
「……」
「使者として参りました」
彼女が深く頭を下げた。
その丁寧な所作に、店内のざわめきが少しだけ収まった。
俺はガリオさんを見た。
ガリオさんも店内に駆け込んできた。
彼の表情は、いつになく厳しかった。
「田中、こいつは本物だ」
「魔族、ですよね」
「ただの魔族じゃない。最高位の悪魔だ」
「……」
「Sランク相当」
「……」
「俺の剣じゃ、勝負にならん」
ガリオさんがはっきり言った。
Aランク冒険者のガリオさんが、勝負にならない、と認める相手。
……それは本当に、規格外だった。
でも、その女性は敵意を見せていない。
むしろ丁寧に、頭を下げている。
俺は深く息を吸った。
料理人としての対応に、切り替える。
お客様だ。
たとえ魔族でも、丁寧に接する。
「リリスさん、とお呼びしてよろしいでしょうか」
女性がぴくり、と肩を揺らした。
「……私の名を、ご存知なのですか?」
「【鑑定】の力で」
「【絶対鑑定】の噂は、本当でしたのね」
彼女がにっこり微笑んだ。
牙が見えた。長くて鋭い犬歯。
でも、その笑顔自体は優しかった。
「田中、一郎、殿」
「はい」
「我が君主——魔王陛下から、貴殿への招待状を持参しました」
「招待状」
「ええ」
彼女が懐から、巻物を取り出した。
巻物は漆黒の絹で巻かれていた。
封蝋は赤い、血のような色だった。
……不気味。
でもジルベール家の招待状を見慣れた俺としては、それほど驚かなかった。
「中身をご覧いただけますか」
「はい」
俺は巻物を受け取った。
封を切って、中身を読んだ。
田中一郎殿
我が魔界での、噂を、人間界の、貴殿の、料理を、聞きました。
是非、魔界に、お越しいただき、
我が、宮廷で、料理を、披露いただきたい。
報酬は、無限の、伝説素材。
道中の、安全は、私が、保証する。
待っています。
魔王、グレイヴラント・ベルゼ・モルダリク
……。
俺は巻物をゆっくり閉じた。
魔王本人からの招待状。
しかも報酬が、無限の伝説素材。
魔王が保証する安全。
料理人として、心が動いた。
でも同時に——危険な罠の香りもした。
俺はリリスさんを見た。
「リリスさん」
「はい」
「正直にお聞きします」
「どうぞ」
「これ、罠じゃないですか?」
リリスさんが深く頷いた。
「ご質問はごもっともです」
「……」
「魔王陛下は人間界では、悪の頂点として知られている」
「はい」
「ですが——魔王陛下本人は、料理が大好きなお方です」
「料理が好き」
「ええ」
「……魔王が、ですか?」
「ええ」
彼女がにっこり微笑んだ。
「魔王陛下は人間の料理に、長年興味を持っておられました」
「……」
「貴殿の料理の噂をお聞きになって、ぜひ味わってみたい、と」
「私を招待した、ということですか」
「はい」
「料理人としてお招きしたい、というご希望」
「……」
俺はしばらく考えた。
魔王。人間の敵。
でも、料理を求めている。
料理人として——どう応えるべきか。
ガリオさんが隣でぼそっと呟いた。
「田中、これは危険すぎる」
「ガリオさん」
「魔王の本拠地に行くんだぞ」
「はい」
「いくら保護を約束されても、魔界は人間界のルールが通用しない」
「……」
「死ぬ可能性がある」
俺は深く息を吸った。
その通りだった。
でも、料理人として——もう覚悟はできていた。
料理を求める人がいる。
たとえそれが魔王であっても。
俺は料理を作りに行く。
それが俺の生き方だった。
「ガリオさん」
「ん?」
「俺、行きます」
「……田中」
「魔王が料理を求めている、なら——俺、料理人として応えます」
「危険だぞ」
「分かっています」
「……」
「でも、料理を断る料理人は料理人じゃありません」
「……」
「俺、料理人です」
ガリオさんが深くため息をついた。
それからニカッと笑った。
「……だろうな」
「はい」
「分かった。俺も行く」
「ガリオさん」
「お前の用心棒だ」
「ありがとうございます」
その時、後ろからレイナの声がした。
「私も行く」
振り向くと、レイナが立っていた。
彼女の目は決意に燃えていた。
「レイナさん、危険ですよ」
「分かってる」
「魔界、です」
「分かってる」
「……」
「私、毒師ギルド総帥でした」
「はい」
「魔界の毒の知識も、持ってる」
「……」
「だから必要」
レイナの声には、強い確信が宿っていた。
俺は頷くしかなかった。
「分かりました。お願いします」
カインさんも店の入り口に立っていた。
彼もすぐに加わった。
「俺も行きます」
「カインさん、毒師ギルドのお仕事は」
「副総帥に任せます」
「副総帥」
「最近、新しく置きました」
「いつの間に」
「田中殿の隣にいる方が、優先です」
俺は笑った。
「皆さん、ありがとうございます」
仲間たちが揃って頷いた。
いつの間にか俺の隣には、最強の仲間たちが揃っていた。
料理人として、こんなに心強いことはない。
リリスさんが深く頭を下げた。
「ありがとうございます、田中殿」
「いえ」
「魔王陛下もお喜びになります」
「お会いできるのを、楽しみにしております」
「……」
彼女がふと、顔を上げた。
その目に、わずかに涙がにじんでいた。
「リリスさん?」
「い、いえ」
彼女が慌てて、目元を拭った。
「実は、私も貴殿の料理を、長年心待ちにしておりました」
「私の料理を?」
「ええ」
「魔王陛下の参謀として、人間界の情報を集める過程で——」
「はい」
「貴殿の料理の噂を聞いて、自分でも食べてみたい、と」
「……」
「料理を食べたことのない魔族は、長年、人間の料理に憧れてきました」
「……」
「貴殿が魔界に来てくださること、心から感謝します」
彼女がもう一度、深く頭を下げた。
俺は何も言えなかった。
料理人として——魔族にも、食事を求める心がある。
それを知った。
なら、俺は料理人として応えるだけだ。
種族なんか関係ない。
「リリスさん」
「はい」
「魔界に参ります」
「ありがとうございます」
「美味しいものをお出しします」
「……」
「楽しみにしていてください」
リリスさんの目が潤んだ。
彼女は何度も頷いた。
その夜。
ベラ亭の奥の食堂で、出発の準備会議が開かれた。
ベラさんが心配そうに聞いた。
「田中さん、本当に行くんですか?」
「はい、ベラさん」
「魔界、ですよ?」
「分かっています」
「無事に帰って来てくださいねぇぇぇ……」
ベラさんがまた号泣し始めた。
今日の号泣は、心配の号泣だった。
「ベラさん、必ず戻ります」
「絶対、ですよぉぉ」
「絶対です」
俺は約束した。
料理人として、必ず戻る。
ベラ亭が、田中食堂が待っている。
仲間たちが待っている。
ベラさんとリエラさんが待っている。
絶対に戻ることを、誓った。
翌朝。
俺、ガリオさん、レイナ、カインさんの四人は、リリスさんと共に出発した。
馬車ではない。
魔界への移動は——リリスさんの転移魔法だった。
彼女が巨大な魔法陣を、地面に描いた。
……行きますよ、と声をかけて。
全員で魔法陣の上に立った。
次の瞬間——
世界が暗転した。
俺たちは魔界へ転移した。
第二部、開幕しました。
魔王、料理大会、新たな伝説素材——田中一郎の、新しい冒険が始まります。
第一部からお読みいただいている皆様、本当にありがとうございます。
第二部もお楽しみに!




