第2話 おっさん冒険者、毒草で命を救われる
森を抜けるのに丸一日かかった。
俺、田中一郎。三十五歳——いや、転生して若返ったから見た目は二十歳そこそこ。
ちなみに頭の中に勝手に浮かぶ【鑑定】によると、本当の身体年齢は十九歳らしい。
……得した気分だ。
いや、得した気分だが。
よく考えたら、十五年積み上げてきた料理人の身体がリセットされたとも言える。
腰痛も、腱鞘炎も、年期の入った包丁ダコも全部消えていた。
悲しい。地味に悲しい。
まあ、いい。歩きながら俺は鑑定スキルの「練習」をしていた。
目の前の草に意識を向ける。
【リトル・ジューシー草】
人間への効果:粘膜から出血/死亡率60%
→ 生のまま塩漬けにすれば、最高級のキャビア風珍味になる。
【血まみれカエル】
人間への効果:肝臓融解/致死率95%
→ 皮を剥いで三度水に晒せば、フォアグラに匹敵する濃厚な珍味に。
【シャドウバット】
人間への効果:刺されると即死(毒針あり)
→ 翼の薄皮はパリパリに揚げれば、最高級の骨せんべい。
……。
「神様、頭おかしいでしょ」
思わず口に出てしまった。
なぜこの世界の食材は、軒並み「死にますよ」と「美味しいですよ」がワンセットなのか。
しかもちゃんと処理法まで教えてくれる親切設計。
誰のための仕様だ、これは。
——いや。
たぶん、俺のための仕様だ。
そう思うことにした。
念のためリトル・ジューシー草を一本だけ摘んで、葉っぱで包んでおく。
塩がないので塩漬けにはできない。だがなんとなく、持っていけば何かに使える気がした。
料理人の勘、というやつだ。
森を抜けたのは夕刻だった。
目の前に開けた草原。その向こうに土の道。
道、と認識できるのも【鑑定】様のおかげで、知識ゼロで見たらただの「ちょっと踏み固められた地面」だ。
そしてその道の脇に、人が倒れていた。
「——うわ」
駆け寄った。ガチャ、と音がした。鎧だ。歴戦感のある、傷だらけの革鎧。
歳の頃は四十代だろうか。無精髭の、いかにも「冒険者」という風貌の男。
ただ、顔色がおかしかった。唇が青を通り越して、もはや紫色になっている。
俺の意思とは関係なく【鑑定】が走った。
【ガリオ・トラドール(41歳)】
職業:冒険者(Aランク)
状態:マンドレイク毒・経口摂取/余命約45分
治療法:手遅れ(一般的な解毒術では不可)
——余命四十五分。
えっ、なにそれ。
慌てる俺の前で、文字の続きが浮かんだ。
※特例:【リトル・ジューシー草】の絞り汁を直接体内へ。
摂取後30秒以内に毒を中和し、完全回復が可能。
「……ある、じゃん」
ちょうどさっき葉に包んだあの草がある。
俺は懐から取り出して——
手が止まった。
待て。冷静になれ、田中一郎。
この草、【鑑定】に「人間への効果:粘膜から出血/死亡率60%」って書いてなかったか?
それを瀕死のおっさんに飲ませる?
もう一度、目を凝らして確認する。
【リトル・ジューシー草】(マンドレイク毒解毒用途)
毒を毒で制す原理。生汁のみ有効。
調理すると薬効が失われるため、必ず生で。
うん。たぶん、これでいい。たぶん。
覚悟を決めた。
両手でぎゅっと草を絞った。
ぽたり、と緑色の汁がおっさんの開いた口に落ちる。
一滴、二滴、三滴——
数秒後。
「ぐぼぁッッッ!?!?」
おっさんが目を覚ました。
ものすごい勢いで跳ね起きると、自分の喉を両手で押さえてガラガラ咳き込み始めた。
「な、なんだこの味はァァァッ!?」
「あ、すみません、急ごしらえで」
「いや待てッ、待て待て待て待て」
おっさんが震える指で俺を指した。
「お前、今、俺に……何を、飲ませた?」
「リトル・ジューシー草の絞り汁です」
「……は?」
おっさんが固まった。ぽかんと口を開けたまま、何度か瞬きをしてからようやく声を絞り出した。
「あれは、ゾーンランクの猛毒だぞ?」
「マンドレイクの毒には効くらしいですよ」
「は?」
「マンドレイクの毒には効くらしいですよ」
「いや、二回言うな。意味がわからん」
おっさんは自分の手のひらを見つめ、それから喉に触れ、最後にもう一度、俺を見た。
マジマジと、観察するように。
「……お前、何者だ」
「ただの料理人ですけど」
「料理人」
「はい」
「料理人が、なんでマンドレイクの毒を、リトル・ジューシー草で中和できる事を知ってるんだ?」
——あっ。
しまった、と思った。
よく考えたら、これは普通、料理人の知識じゃない。
何か上手い言い訳を——
「えーと、勘です」
「勘」
「はい」
苦しかった。我ながら、相当に苦しかった。
がおっさんは、それ以上追及してこなかった。
代わりに深く、深く、頭を下げた。
「……すまん、命を救ってもらった礼がまだだった。俺はガリオ。ガリオ・トラドールだ」
「あ、田中一郎です」
「タナ……?」
「タナカ、です」
「変わった名だな。だが、覚えた」
ガリオさんは自分の腰のポーチを漁ると、銀色の硬貨を五枚、俺の手に握らせた。
「これは命の対価だ。少ないが、受け取ってくれ」
「えっ、いやそんな」
「受け取れ。命を救われた礼を返さねば、冒険者として失格だ」
強引に握らされた。
【鑑定】によると、銀貨一枚で安宿に三泊できるらしい。
いきなり十五泊分の宿代をもらってしまった。
異世界、悪くない。
「ところで田中」
「はい」
「お前、これからどこへ行く」
……ぐっ、と詰まった。
行く当ても、知り合いも、行き先も、何もない。
「えっと……一番近い街、どこですか?」
ガリオさんが目を瞬かせた。
「街を、知らないのか?」
「あー、その、記憶がちょっと……」
我ながら超絶苦しい言い訳。
しかしガリオさんは優しかった。深くは詮索せず、ニッと人懐っこく笑った。
「いいぜ。俺もこれから街に戻るところだった。一緒に行こう」
「ありがとうございます」
「礼には及ばん。命の恩人だ」
ガリオさんがよっこらせ、と立ち上がる。
歩き始めた俺たちの影を、夕日が長く長く伸ばしていた。
しばらく無言で歩いてから、ガリオさんがぽつりと言った。
「……なあ、田中」
「はい」
「お前、本当に、料理人か?」
「……はい」
「そうか」
それきりガリオさんは何も言わなかった。
ただ横顔が、何かを必死に考え込んでいるように見えた。
俺は何とも言えない居心地の悪さを覚えながら、黙って隣を歩いた。
街の門が見えてきたのは、すっかり日が落ちてからだった。松明の灯りが温かく揺れていた。
俺の——いや、田中一郎の異世界生活は、ようやく本当の意味で始まろうとしていた。
ただその時の俺は、まだ知らなかった。
隣を歩くこの無精髭のおっさんが、王国でも名の知れた【Aランク冒険者】であること。
そして街の門をくぐった瞬間に、彼が一目散に冒険者ギルドへ駆け込み、こう叫ぶことを。
「至急、伝令だ! 毒師ギルドへ……いや、王都の『あの方』にも届けろ!」
「お、おい、ガリオ。何があったんだよ、そんなに慌てて——」
「『あの方』が十年探し続けている【真の鑑定師】が……見つかった、とな!」
おっさん冒険者、登場です。
レイナの名前も、ついに出てきました。
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