第26話 旧クレマン邸、決戦の夜
決行の日。
夕方、王宮を出発した俺は、ダミアンが用意した特別な馬車で旧クレマン邸へ向かった。
馬車の中には、料理道具と最高級の素材一式。
奴らに「料理を作る」ふりをするためのものだ。
もちろん、本当に料理を作る気はなかった。
料理は、信頼できる相手にしか作らない。
それが俺のポリシーだった。
馬車が貴族街の奥に進んでいった。
大きな屋敷の前で止まった。
旧クレマン邸。石造りの三階建て。
窓は閉ざされ、外観は荒れ果てていた。
でも内側からは、人の気配がした。
【鑑定】が勝手に走った。
【旧クレマン邸】
現状:『黒の使徒』が占拠
内部の人間:32人
武装:剣・弓・毒
配置:1階18人/2階10人/3階4人
……三十二人。多い。
でも近衛騎士団は、四十人を超えている。
数では、こちらが有利だ。
俺は深呼吸した。馬車から降りた。
屋敷の扉がゆっくりと開いた。
黒いフードを被った男が出てきた。
全身、黒装束。顔は見えない。
「田中、一郎、殿、だな」
「はい」
「よく来た」
「依頼を受けた限りは」
「ふふん」
男が楽しげに笑った。
「素直で結構」
「料理を作る、ということでよろしいですか」
「ああ」
「では、台所に案内してください」
俺は淡々と対応した。
料理人として、いつもの客対応のつもりで。
動揺は見せない。
【鑑定】で、すでに相手の戦力を把握している。
今はただ、流れに乗る。
近衛騎士団が配置につくまで。
「ふん、料理人としての誇りは捨てたか」
「いえ、料理人だから依頼を受けに来ました」
「ほう」
「お客様のご注文を聞かせてください」
男がにやりと笑った。
「気に入った」
「……」
「お前の料理を、王都中の貴族に独占的に売る」
「はい」
「お前はここで作り続ける。一生、な」
「……」
「同意するな?」
「同意しかねます」
俺ははっきり答えた。
「は?」
「料理人は、依頼者を選ぶ権利があります」
「お前、状況を分かっているのか?」
「分かっています」
俺は屋敷の扉の前で立ち止まった。
「『黒の使徒』、お前らに料理を作る気はありません」
「貴様!」
男が剣に手を伸ばした。
その瞬間。
屋敷の四方から——近衛騎士団の突撃の号令が響いた。
「全員、突入ッ!」
ダミアンの叫び声だった。
屋敷を囲んでいた騎士たちが、一斉に雪崩れ込んだ。
白い甲冑が、月明かりに煌めいた。
黒装束の男が振り返った。
「な、貴様、はめたな!」
「最初から、そのつもりでした」
「ふざけるなッ!」
男が剣を抜いた。俺に襲いかかってきた。
でも、その剣は俺に届かなかった。
目の前で——大きな影が、男の剣を防いだ。
ガリオさんだった。
「田中、下がれ」
「ガリオさん」
「ここからは、戦闘の領域だ」
「はい」
俺は即座に後ろへ下がった。
ガリオさんの剣が、男の剣とぶつかった。
ギン、と激しい音が響いた。
Aランク冒険者の本領発揮だった。
ガリオさんは男を、軽々と押し返した。
そして一閃。男が屋敷の壁に叩きつけられた。
……強い。ガリオさん、めちゃくちゃ強い。
俺は改めて、Aランク冒険者のレベルを痛感した。
屋敷の内部で戦闘が始まった。
近衛騎士団と『黒の使徒』。
剣戟の音が屋敷中に響いた。
俺は屋敷の入り口で、ガリオさんの後ろに控えていた。
その時。
屋敷の奥で——叫び声が聞こえた。
女性の悲鳴。
俺の心臓が跳ねた。
……レイナさんの声だ。
「ガリオさん!」
「行け、田中!」
ガリオさんが即座に頷いた。
「俺はここで敵を引き付ける!」
「はい!」
俺は屋敷の内部に駆け込んだ。
廊下を走った。目指すは奥の中心部。
レイナの声が聞こえた方向。
【鑑定】が勝手に走った。
【レイナ・ヴェル・モルガナート】
位置:屋敷の地下室
状態:拘束中/怪我あり
危険度:高(『黒の使徒』のリーダーが対峙中)
……地下室。
俺は走った。
階段を見つけた。地下へ駆け降りた。
暗い廊下。奥に明かりが見えた。
俺は息を整えながら、その扉に近づいた。
【鑑定】によれば、扉の向こうに——レイナと敵のリーダーがいる。
扉を蹴破った。
「レイナさん!」
俺の声が地下室に響いた。
地下室は広かった。石造りの四角い空間。
中央にレイナが、両手を縛られて座らされていた。
彼女の頬には、血の痕があった。
でも目は強かった。
ぐったりしているわけじゃない。ただ捕まっているだけだった。
……生きてる。
俺は心底安堵した。
そしてその奥に。もう一人、男が立っていた。
巨漢。身長二メートル以上。
黒いローブの下に鎧。手には巨大な両手剣。
【鑑定】が走った。
【ベルザス・ガラント(45歳)】
職業:『黒の使徒』リーダー
戦闘力:Aランク冒険者・上位
状態:警戒・激怒中
……Aランク上位。
ガリオさんと同等以上の戦闘力。
俺一人じゃ、絶対勝てない。
でもレイナを、見捨てるわけにはいかない。
「貴様か」
ベルザスが低い声で呟いた。
「料理人、田中、一郎」
「はい」
「単身で、私の本拠地に乗り込んで来た」
「ええ」
「……愚かだな」
「料理人ですから」
「は?」
「料理人はいつも、命懸けで料理を作ります」
「貴様、何を言って——」
「素材の命をいただいて、お客様に届ける」
「……」
「だから料理人は、覚悟ができている」
「貴様、自分が何を言っているか分かっているのか?」
「分かっています」
俺はまっすぐベルザスを見た。
「あなたを料理する覚悟、です」
「貴様ッ!」
ベルザスが両手剣を振り上げた。
俺の頭目掛けて、振り下ろした。
俺は即座に、横に転がった。
剣が石床に激突した。石が砕け散った。
……うわぁ、デカ過ぎる。あれに当たったら即死だ。
でも俺の【鑑定】が、教えてくれていた。
【ベルザス・ガラントの弱点】
1. 両手剣を振り下ろした直後の隙
2. 左肩の古傷
3. 毒への耐性が低い
……弱点、三つ。
俺はぼそっと呟いた。
「レイナさん」
「一郎」
彼女の目が光った。
縛られているけど、毒師ギルド総帥としての頭脳は健在だった。
「奴の毒耐性、低いらしいです」
「分かった」
「俺のポケットに、緊急用の毒入れておいたの、覚えてます?」
「……ええ」
「投げてください」
俺はレイナの両足を見た。
縛られているのは両手だけ。足は自由だ。
彼女が俺のポケットに、足で触れた。
毒の小瓶が転がり出た。
彼女が足で、それを俺に蹴った。
俺はそれをキャッチした。
ベルザスが再び剣を振り上げた。
「逃がさんぞッ!」
「逃げません」
俺は毒の小瓶を構えた。
「俺、料理人ですから」
「は?」
「『毒』を扱うの、得意なんです」
「貴様——」
ベルザスが振り下ろす瞬間。
俺は毒の小瓶を、彼の口に向かって投げた。
瓶が空中で回転した。
ベルザスが剣を振り下ろす寸前で、瓶を見た。
でも、もう遅い。
瓶が彼の開いた口に命中した。
ガシャッ、と瓶が割れた。
毒が彼の口の中に流れ込んだ。
「があああッ!」
ベルザスが剣を落とした。
両手で自分の喉を掴んだ。
体が痙攣し始めた。
【鑑定】が走った。
【ベルザス・ガラントの状態】
毒:『血凍りの毒』摂取
効果:5秒で意識喪失/20分で無毒化
備考:レイナ製、麻痺毒。致死性なし。
……レイナさんの毒、麻痺だった。
殺さないように、調整されていた。
さすが、毒師ギルド総帥。
ベルザスが、ドサッと倒れた。意識を失ったらしい。
俺はすぐに、レイナの縄を解いた。
「レイナさん、大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫」
「怪我、ひどい」
「平気よ」
「血が出てます」
「打撲だけよ」
彼女は立ち上がった。
少しふらつきながら、俺の手を握った。
「ありがとう、一郎」
「いえ」
「助けに来てくれて」
「当然です」
俺は深く頷いた。
「あなたの隣にいる、って約束しました」
「うん」
「だから、生きて戻るって」
「うん」
彼女は目を潤ませて頷いた。
俺はその手を、強く握った。
二人揃って地下から上った。
地下室を出ると、屋敷の戦闘はほぼ終わっていた。
近衛騎士団が『黒の使徒』を、ほぼ制圧していた。
ガリオさんは入り口で、最後の敵を押さえつけていた。
カインさんは屋敷の屋根に登って、逃げ出した敵を捕縛していた。
……完璧な作戦だった。
ダミアンが駆け寄ってきた。
「田中殿、ご無事ですか」
「はい、レイナさんも無事です」
「ベルザスは?」
「地下に倒れています」
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
ダミアンが深く頭を下げた。
「『黒の使徒』、本日をもって解体させます」
「ありがとうございます」
「殿下もお喜びになります」
俺はふう、と息を吐いた。
長い夜が終わった。
料理人として、初めての戦い。
でも、俺は料理人として貫いた。
レイナが隣で優しく微笑んでいた。
「お疲れ様、一郎」
「お疲れ様、レイナさん」
二人で月を見上げた。
月が変わらず輝いていた。
……ありがとう、月。
俺たちを見守ってくれて。




