第24話 黒い影、ベラ亭の前に立つ
新メニュー『黄金のキノコのコンソメ』を、ベラ亭で正式に提供し始めた。
反応は想像を超えていた。
一週間で、ベラ亭の予約は二ヶ月先まで埋まった。
遠方から、わざわざ食べに来るお客さんも増え始めた。
オルバの街では、すでに伝説のスープと呼ばれていた。
でも料金は上げなかった。
ベラさんが「庶民が食べられないと、意味がない」と強く主張したからだ。
俺も同じ意見だった。
料理は誰のためにあるのか。
高級店で富裕層だけに出すものか。
違う。
誰でも食べられて、笑顔になれる。
それが本当の料理人の仕事だ。
ベラ亭は、それを貫いていた。
オルバの街の人たちは皆、ベラ亭の姿勢に感謝していた。
……はずだった。
しかし、ある朝。
ベラ亭の扉に、不気味な影が現れた。
その朝、俺はいつものように市場で仕入れを終えて戻ってきた。
店の前にガリオさんが立っていた。
険しい顔で、何かを見つめていた。
「ガリオさん、どうしたんですか」
「……田中、ちょっとこい」
彼は俺を店の裏に連れて行った。
そこには、リエラさんも、ベラさんも、レイナも立っていた。
全員、表情が硬かった。
「何があったんですか」
「これ、見てくれ」
ガリオさんが店の扉の内側を指差した。
扉の内側に——黒いナイフが刺さっていた。
刃には何かの紋章が彫られていた。
その下に、紙片が貼り付けられていた。
田中一郎へ。
我々は、貴殿の、料理を、欲する。
一週間以内に、王都の、貴族街で、
我々のために、料理を、作ってもらう。
拒めば、ベラ亭の、人々の、命は、保証しない。
『黒の使徒』
……。
俺の心臓がピクリと動いた。
脅迫状、だった。
俺はレイナを見た。
彼女はナイフの紋章を、じっと見つめていた。
その表情が、いつもよりずっと厳しかった。
「レイナさん、これ」
「『黒の使徒』」
彼女が低い声で呟いた。
「ご存知、ですか」
「ええ」
「どんな組織?」
「大陸全土に活動範囲を持つ犯罪結社」
「……」
「裏では暗殺、強盗、人身売買、ありとあらゆる悪事に関わっている」
「……」
「毒師ギルドでも、過去に何度か敵対した相手」
ガリオさんが深くため息をついた。
「俺も、Aランク冒険者として何度か依頼で関わった」
「ガリオさんも知ってるんですか」
「知ってる」
「どんな強さですか」
「Aランク冒険者、十人でようやく一人と互角」
「……」
「組織員、五十人以上と噂されている」
「……」
俺は息を呑んだ。
ベラさんが震える声で聞いた。
「あ、あの、田中さん、私たち、どうすれば」
「ベラさん、大丈夫です」
俺は即座に答えた。
「俺が何とかします」
「でも、こんな危ないところに田中さんを行かせるわけには——」
「ベラさん」
俺は彼女の肩に手を置いた。
「俺、ベラ亭の料理長ですよ」
「……」
「ベラ亭の皆を守るのが、俺の仕事です」
ベラさんが目を潤ませた。
「田中、さん」
「大丈夫」
俺は笑顔で頷いた。
でも、本心は不安だった。
大陸全土の犯罪結社。
Aランク冒険者、十人で一人と互角。
……正直、勝てる気がしない。
でもベラさんたちを守るためなら、俺は行くしかない。
料理人としての覚悟だ。
その日の夜。
俺、ガリオさん、レイナ、カインさん、リエラさんが、ベラ亭の奥の食堂で緊急会議を開いていた。
ベラさんは、宿屋のお客さんたちの対応で、ホールにいた。
「で、どうする、田中」
「行きます」
「……即答か」
「ベラさんたちの命がかかってます」
「だが、相手は化け物だぞ」
「分かってます」
「……」
ガリオさんが深くため息をついた。
レイナが俺の隣で口を開いた。
「師匠」
「はい」
「私も行く」
「レイナさん」
「『黒の使徒』との戦いなら、私が必要よ」
「でも危険ですよ」
「あなた一人で行く方が危険」
「……」
「私、毒師ギルド時代の知識がある」
「はい」
「あの組織の毒の使い方も知ってる」
「……」
「だから私が必要」
彼女の声には強い決意が宿っていた。
俺は頷くしかなかった。
「分かりました。お願いします」
「うん」
カインさんが続いて言った。
「俺も行く」
「カインさん」
「俺、毒師ギルド総帥です」
「はい」
「『黒の使徒』が毒師ギルドの領域に入ってきた、と判断します」
「……」
「総帥として対応する義務、あります」
「ありがとうございます、カインさん」
「いえ」
ガリオさんがニカッと笑った。
「で、俺も行く」
「ガリオさんも?」
「お前の用心棒だ」
「……」
「Aランク冒険者の本領、見せてやる」
「……」
俺は感動した。
料理人としてこんなに信頼されて、こんなに守られるとは。
前世の田中食堂では、俺一人で全部抱え込んでいた。
でも今は違う。
仲間がいる。強い仲間が。
「皆さん、ありがとうございます」
「礼は終わってからだ」
ガリオさんが軽く肩をすくめた。
リエラさんが震える声で言った。
「あの、私は——」
「リエラさん」
「私も行きたい——」
「ダメです」
俺は即座に止めた。
「リエラさんはベラ亭を守ってください」
「でも、私も皆さんと——」
「リエラさんがいないと、ベラ亭の料理が止まります」
「……」
「ベラさんを、お母さんを守ってください」
リエラさんはしばらく無言だった。
それから深く深く頷いた。
「分かりました」
「お願いします」
「私、必ずベラ亭を守ります」
俺は頭を下げた。
リエラさん、本当に頼もしい副料理長になった。
彼女がいれば、ベラ亭は守られる。
翌朝。
俺たちは王都に向かう馬車を用意した。
俺、ガリオさん、レイナ、カインさんの四人。
ベラさんとリエラさんが、店の前で見送ってくれた。
「田中さん、絶対無事で戻ってきてくださいねぇぇぇ……」
「はい、必ず戻ります」
「絶対ですよぉぉぉ」
「絶対です」
ベラさんが号泣していた。
今日の号泣は、いつもの嬉しさじゃない。
心配の号泣だった。
俺は彼女に深く頭を下げた。
「ベラさん、必ず戻ります」
「はい」
「ベラ亭の料理を、ベラさんとリエラさんで守ってください」
「もちろんですっ!」
馬車が動き出した。
俺は窓から、ベラ亭の看板を振り返った。
『ベラ亭 ~田中一郎の厨房~』
……必ず戻る。
誓いを心の中で繰り返した。
馬車が街を出た頃。
ガリオさんが低い声で言った。
「田中」
「はい」
「『黒の使徒』が、なぜお前を狙ったか、分かるか」
「……いえ」
「お前の新メニューだ」
「え?」
「『黄金のキノコのコンソメ』」
「……」
「あの料理、王都でも大評判だ」
「はい」
「貴族たちがこぞって食いたがってる」
「……」
「『黒の使徒』はお前を独占して、貴族から金を巻き上げるつもりだろう」
「……」
「お前の料理が、犯罪に利用される」
「……」
俺は息を呑んだ。
料理が悪用される。
料理人として、許せない。
「ガリオさん」
「ん?」
「俺、絶対許さない」
「お、お、いい目だ」
ガリオさんがニカッと笑った。
「料理人としての怒りだな」
「はい」
「俺たち、お前の味方だ」
「ありがとうございます」
「行くぞ、王都へ」
馬車が加速した。
窓の外、青空が広がっていた。
でも俺の心の中は、嵐のような緊張感でいっぱいだった。
料理人として、初めての戦い。
厨房の外での戦い。
でも俺は行く。
ベラさんたちを守るために。
料理を守るために。
俺の覚悟だった。




