第23話 伝説の素材、新メニュー誕生
ジルベールさんが帰った翌日から、俺とレイナはベラ亭の奥の小部屋で、伝説素材の処理に取り組んでいた。
『赤血のキノコ』。
1000年に一度、ヴィッセル領の深い森に自生する、致死率99%の毒キノコ。
でも完全処理すれば、最高級の旨味成分を持つ。
ハイリスク・ハイリターンの、究極の素材だった。
「師匠、これ、香りがすでに毒っぽいわね」
レイナがキノコの一片を、慎重に手に取った。
「【鑑定】、何て出ます?」
俺は自分の【鑑定】を走らせた。
【赤血のキノコ・処理前】
毒素:3種類(速効性・遅効性・慢性)
処理法:
1. 塩水(濃度8%)で48時間浸し、速効性毒を抜く
2. 強火で短時間加熱し、遅効性毒を分解
3. 木炭フィルターで濾過し、慢性毒を吸着
4. 乾燥させて熟成(72時間)
備考:処理ミスがあれば、即死。
……処理、めちゃくちゃ難しい。
しかもミスれば、即死。
「レイナさん」
「はい」
「これ、本当にやるんですか」
「もちろん」
レイナが目を輝かせた。
「私の人生、無駄に毒と向き合ってきたわけじゃない」
「……」
「あなたと一緒なら、絶対成功する」
彼女の声には確信が宿っていた。
俺は深く頷いた。
「分かりました。やりましょう」
最初の処理。塩水で48時間浸す。
まず塩を量った。濃度8%。
慎重に、慎重に。0.1%でもずれたら、致命的。
「レイナさん、塩、これくらいですか」
「もう少し入れて」
「……これで」
「あと、ほんの少しだけ」
レイナが塩の粒を、指先で掬って加えた。
「……完璧」
彼女は毒の濃度を、感覚でわかるらしい。
毒師ギルド総帥の本領発揮、だった。
俺たちは塩水にキノコを浸した。
冷暗所に置いた。
あとは48時間、待つだけ。
待つって、料理人にとっては一番大変な時間だ。
時計を何度も確認した。
でもレイナは平然としていた。
「焦らないで」
「焦ってないですよ」
「焦ってる顔してる」
「……」
「料理は、待つ時間が一番大事じゃない?」
「……はい」
俺は笑顔で頷いた。
その通りだ。
料理は、火を入れる時間より待つ時間の方が結果を左右する。
レイナの毒師としての経験が、料理に活きている。
ありがたい相棒だ。
48時間後。
次の処理。強火で短時間加熱。
俺は銅の鍋を出した。火を強火にした。
キノコを塩水から取り出した。
水気を軽く拭いた。
そして鍋に投入。
ジュッ、と激しい音。
キノコの表面が一瞬で焼けた。
「師匠、何秒ですか」
「……8秒」
「正確に」
「……8、7、6、5、4、3、2、1、ゼロ!」
俺は即座に火から降ろした。
鍋に蓋をして、急冷した。
レイナが息を呑んだ。
「……すごい判断ね」
「【鑑定】が教えてくれました」
「いいえ、判断よ」
彼女は静かに言った。
「【鑑定】がデータを出しても、それを実行する技術は料理人の腕」
「……」
「あなた、本当に腕いいわ」
「……」
「素直に感心」
俺はちょっと照れた。
レイナに褒められると、なんだかくすぐったい。
次の処理。木炭フィルターで濾過。
俺たちは特製の木炭フィルターを用意した。
レイナが毒師ギルド時代から使っている、最高級のフィルターだった。
キノコを細かく刻んで、フィルターに通した。
ぽたり、ぽたり。
澄んだ琥珀色の液体が滴り落ちた。
完成、ではない。
まだ最終処理が残っている。
最終処理。乾燥と熟成、72時間。
俺たちは専用の乾燥棚に、キノコを置いた。
風通しのいい暗い部屋。
温度、湿度、すべて管理されていた。
「あとは待つだけ、ね」
「はい」
「楽しみね」
「ええ」
俺はふう、と息を吐いた。
ここまで丸三日。長い長い処理時間だった。
でもまだ終わらない。
72時間、待たなければならない。
その日の夜。
俺はレイナと二人で、ベラ亭の屋根の上にいた。
また月が綺麗な夜だった。
「師匠」
「はい」
「私、楽しいわ」
「……はい?」
「あなたと一緒に、料理を開発する時間」
「……」
「毒師として、毒を作っていた頃の何百倍も楽しい」
彼女の声が優しかった。
「料理を作るのは、命を繋ぐ行為」
「はい」
「毒を作るのは、命を奪う行為」
「……」
「真逆のことをしているのに——」
彼女は月を見上げた。
「同じ技術が必要なの」
「同じ、ですか」
「ええ」
「素材を知って、相手を想って、丁寧に調合する」
「……」
「毒も料理も、根本は同じね」
俺は深く頷いた。
「親父も、よく似たようなこと言ってました」
「お父様」
「『料理は、毒になることもある』って」
「……」
「『美味しい食事も、量を間違えれば人を殺すものになる』って」
「素晴らしいお父様ね」
「料理人としての誇りを持っていた人、です」
俺は夜空を見上げた。
親父。
俺、こっちの世界で、毒を料理に変える技術を極めようとしています。
親父の教えを、別の形で活かしてる気がします。
褒めてもらえますかね。
「師匠」
「はい」
「あなたのお父様、誇りに思っているはず」
「……」
「だって、あなたの料理は人を温めるから」
レイナが隣で優しく微笑んだ。
「あなたの料理は、お父様の教えを超えていく」
「……」
「私、保証する」
俺は何も言えなかった。
ただ、胸が温かくなった。
レイナがいるおかげだ。
彼女が隣にいるだけで——俺の世界が明るくなる。
……あれ?
なんでこんなこと、考えてるんだ、俺。
俺は慌てて視線を逸らした。
レイナがふっと笑った。
「何、考えてるの?」
「い、いえ、何も」
「……ふぅん?」
「本当に、何も」
「ふふ、いいわ。今は何も聞かない」
彼女は悪戯っぽく笑った。
俺は深くため息をついた。
……レイナさん、なんでもお見通しだ。
怖い。でも、悪い気はしない。
72時間後。
ついに処理が完成した。
俺たちは乾燥棚から、キノコを取り出した。
元の毒々しい赤色は消えていた。
代わりに、黄金色の美しい薄片に変わっていた。
ふわり、と芳香が立ち上った。
……うわぁ。
【鑑定】が走った。
【赤血のキノコ・完全処理済】
毒素:完全除去
旨味成分:松茸の50倍/トリュフの30倍
備考:歴史上、3人しか処理に成功していない
伝説の食材。
……50倍と30倍。もう化け物レベル。
「師匠、これ、すごいわ」
「ええ」
「とんでもないものができたね」
「はい」
「メニュー、何作りましょう」
「考えていたレシピ、あります」
俺はにっこり頷いた。
「『黄金のキノコのコンソメ』」
「……」
「今までのル・オニオンスープに、これを加えれば」
「……完璧ね」
「神スープ、ですよ」
「神」
「神」
俺たちは目を合わせて笑った。
料理人としての新しいステージが、開いた瞬間だった。
その夜。
俺たちはベラ亭の奥の食堂で、新メニューを披露した。
ベラさん、リエラさん、ガリオさん、カインさん。
全員揃って試食した。
最初の一口。
全員が一斉に固まった。
ベラさんがぽろり、と涙を流した。
「これ……」
「ベラさん」
「夫が生きていた頃に、結婚記念日によく出していた料理の味を超えてる」
「……」
「夫が生きていたら、絶対この味で号泣していた」
ガリオさんが無言で二口目を飲んだ。
目を閉じた。しばらくして深く息を吐いた。
「……これ、もう料理超えてる」
「ガリオさん」
「神の領域だ」
「大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃない」
彼がはっきり言った。
「俺、これ、毎日飲みたい」
「俺は、料理を超える何かに出会った気がします」
カインさんも真顔で頷いた。
リエラさんが震える手でスプーンを置いた。
「田中殿」
「はい」
「私、まだまだですわ」
「え?」
「貴方の腕、ベラ亭の副料理長としての責任を果たすに足る人物になるまで——」
彼女の声には強い決意が宿っていた。
「もっと頑張ります」
「リエラさん、十分上手いですよ」
「いいえ。貴方を目標にします」
「……」
「ベラ亭の誇りを繋ぐために」
俺は深く頭を下げた。
「一緒に頑張りましょう」
「はい」
ベラ亭の新メニュー、誕生。
その夜、ベラ亭の奥の食堂は、温かい笑顔と涙で満ちていた。




