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廃業料理人、異世界の『毒』を喰らう ~『鑑定』スキルで気付いたら、この世界の食材ぜんぶ俺のご馳走でした~  作者: 生クリーム王子


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第21話 日常という名の、宝物

 ベラ亭に戻って一週間が経った。

 俺はすっかり元の生活に戻っていた。

 朝六時、起床。厨房で仕込み。

 昼の営業。夕方、市場で仕入れ。夜、再び厨房。

 ……でも、何かが違っていた。

 厨房に人が増えた。

 俺、リエラさん、レイナ、ベラさん。

 四人体制の厨房。

 ベラ亭の店内も賑やかになっていた。

「田中さん! 今日のスープ、いつもの倍、お願いします!」

「はい!」

「あ、レイナさん! あの、こちらの卓にお水を!」

「すぐ持っていくわ」

 ベラ亭の客足は、王都での話が広まったのか、以前の倍以上に増えていた。

 毎日、満員。予約も二週間先まで埋まっている。

 ……忙しい。

 でも、いい忙しさだ。

 料理人として、これ以上の幸せはない。


 昼の営業が一段落した頃。

 厨房でお湯を沸かしながら、ベラさんが俺に話しかけた。

「田中さん」

「はい」

「あの、お話があります」

「なんですか」

 ベラさんが少し緊張した顔をしていた。

 俺は火を弱めて、ベラさんの方を向き直った。

「あの、田中さん」

「はい」

「うちの宿屋、田中さんに譲りたいんです」

「……はい?」

 俺は聞き間違えたかと思った。

「もう一度、お願いします」

「ベラ亭を、田中さんに譲ります」

「いやいや、ベラさん、それは——」

「リエラと相談しました」

 ベラさんは優しく微笑んでいた。

「私、もう歳ですから」

「ベラさん、まだまだお若いですよ」

「いえいえ、もう限界です」

 彼女は苦笑いした。

「それに、田中さんとリエラの方が、料理人として上です」

「……」

「私、もうホールに専念したい」

「……」

「田中さんとリエラで、ベラ亭をもっといいお店にしてほしい」

「ベラさん」

「お願いします」

 ベラさんが深く頭を下げた。

 俺はリエラさんの方を見た。

 リエラさんはすでに、母から話を聞いていたらしい。

 頷いて、俺に言った。

「田中殿、母の意志を受け取ってください」

「……」

「私、母のホールでの動きを見て確信しました」

「はい」

「母はホールで、お客さんに笑顔を振りまく方が、ずっと得意です」

「……」

「料理人としては、私と田中殿の方が上なのは、母も認めています」

「ベラさん、本当にいいんですか」

「もちろんです」

 ベラさんがにっこり微笑んだ。

「私が亡くなった夫から引き継いだ、この店」

「はい」

「次の世代に引き継ぐ時が来たんです」

「……」

「田中さんとリエラなら安心です」

「……」

 俺は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「いえ、お願いしますね」

「精一杯やります」

「うふふ、頑張ってくださいね」

 ベラさんが笑った。

 その笑顔は本当に晴れやかだった。

 ……ベラさん、本当にいい人だ。

 自分の店を、こんなあっさりと譲ってくれる。

 でもそれはたぶん、ベラさんがもう、俺たちを家族と思ってくれているからだ。

 家族の中で店を引き継いでいく。

 それがベラさんの考えなのだろう。

 俺はもう一度、深く頭を下げた。


 その夜。

 ベラ亭の奥の食堂で、店の引き継ぎについて皆で相談していた。

 俺、ベラさん、リエラさん、レイナ、ガリオさん、カインさん。

 あ、カインさん。

 毒師ギルドの新総帥なのに、今日たまたま遊びに来ていた。

 ちょうどいいタイミングだった。

「で、店を田中、お前が引き継ぐってことか」

 ガリオさんがワインを一口飲んだ。

「はい」

「ベラ亭、リブランドするのか?」

「いえ」

 俺は首を振った。

「ベラ亭の看板は、そのまま残します」

「ほう」

「『ベラ亭 ~田中一郎の厨房~』」

「いいじゃないか」

「ベラさんの思いを繋ぎながら、続けたいんです」

 ベラさんが目を潤ませた。

「田中さん……」

「ベラさん、これからもホールでよろしくお願いします」

「もちろんですっ!」

 ベラさんが力強く頷いた。

 レイナが隣でにっこり微笑んだ。

「素敵ね」

「はい?」

「あなたの考え方が、本当に素敵」

「ありがとうございます」

「私もお手伝いするわ」

「レイナさん」

「ホール、もしくは厨房、どちらでも」

「ホール、お願いできますか」

「ええ、もちろん」

「客あしらい、得意ですか」

「毒師時代、人を惹きつけるのは得意よ」

「物騒ですね」

「料理に転用できるわ」

 レイナが悪戯っぽく笑った。

 ガリオさんが深くため息をついた。

「……レイナの客あしらい、想像つかんな」

「分かるわよ、十分」

「分かるわけない」

「あら、失礼ね」

 二人が軽く口論した。

 でも、その口論は温かかった。

 仲間内の軽い、じゃれあいだった。

 カインさんが真顔で俺に言った。

「田中殿」

「はい」

「俺も、たまに来ます」

「カインさん」

「毒味役として」

「いや、毒入れませんから」

「念のため、です」

「……ありがとうございます」

「あと——」

 カインさんは少しだけ視線を逸らした。

「料理、教えてもらえると嬉しい」

「もちろんです」

 俺は笑顔で頷いた。

 毒師ギルド総帥としての新人生を歩み始めたカインさん。

 でも料理への愛情は、変わっていなかった。

 ……いい仲間だ。

 本当に、いい仲間。


 話し合いが終わった後。

 俺はベラ亭の看板の前に立っていた。

 夜風に吹かれながら、看板をじっと見つめた。

『ベラ亭 ~田中一郎の厨房~』

 ……俺の店。

 いや、違う。ベラさんから引き継いだ店。大切な店。

 俺は看板にそっと手を触れた。

 冷たい木の感触。

 でも、温かさを感じた。

 ベラさんの亡きご主人の思い。

 ベラさん自身の想い。

 そしてこれから、俺とリエラさんが加える想い。

 全部がこの看板に込められる。

「田中」

 後ろからガリオさんの声がした。

「はい」

「いい店にしろよ」

「もちろんです」

「俺も用心棒、続けるからな」

「お願いします」

 ガリオさんが横に立って、看板を見上げた。

「俺、こんな平和な人生を送ることになるとは、思ってなかった」

「ガリオさん」

「Aランク冒険者として、戦って戦って生きていくはずだった」

「……」

「だがお前と出会って、変わった」

「俺は、ただ料理を作っただけですよ」

「だから、すごいんだよ」

 ガリオさんが笑った。

「お前の料理が、人を変える」

「……」

「俺も変わった一人だ」

「ありがとうございます」

「礼はいらん」

 彼は夜空を見上げた。

「俺、お前の店を守ると決めた日から」

「はい」

「人生で一番楽しい毎日を送ってる」

「……」

「ありがとうな、田中」

 ……うわ。

 ガリオさんから本気の感謝。

 俺は思わず目頭を熱くした。

「ガリオさん」

「ん?」

「俺も、ガリオさんがいてくれて本当に心強いです」

「おう」

「ずっとよろしくお願いします」

「当然だ」

 ガリオさんがニカッと笑った。

 その笑顔は、出会った頃と同じ、人懐っこい笑顔だった。


 翌朝。

 俺はいつもより少しだけ早く起きた。

 厨房に立つ前に、店の外に出て看板を見上げた。

『ベラ亭 ~田中一郎の厨房~』

 今日から俺は、この店の料理長だ。

 責任が伴う。

 でも、不安はなかった。

 仲間がいる。

 ベラさん、リエラさん、レイナ、ガリオさん、カインさん。

 みんなが隣で支えてくれる。

 そして——俺の中には、親父の教えがある。

『料理は、相手の顔を見て作るんだ』

 そのシンプルな教え。

 それが全てだった。

 俺は深く息を吸った。

 厨房に戻った。

 今日の一日が始まる。

 誰かの笑顔のために、料理を作る。

 ただ、それだけの毎日。

 でもそれが、俺の宝物だった。

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