第18話 貴族の謝罪、王都に響く
リエラさんが弟子になって、三日が経った。
彼女は本当に優秀だった。
俺の教えをすぐに吸収する。
むしろ俺が、彼女の長年の店舗運営の知識を教えてもらうことの方が多かった。
お互い、対等に学び合う関係。悪くなかった。
むしろ、新鮮だった。
その朝。
王宮の厨房でいつものように仕込みをしていると、ダミアンがまた駆け込んできた。
「田中殿!」
「ダミアンさん、また何か」
「ヴィッセル侯爵家の長男、ジルベール卿が、面会をご希望です」
「……ヴィッセル家?」
俺は手を止めた。
ヴィッセル家——王子暗殺未遂で当主が捕まった、あの家。
「敵対する家じゃ、ないんですか」
「現在ヴィッセル家は、王家の管理下に置かれております」
「管理下」
「クラウド・ヴィッセル侯爵は、王族暗殺未遂の罪で家を剥奪されました」
「……」
「現在、家は長男のジルベール卿が暫定的に統括しております」
ダミアンが深く頭を下げた。
「ジルベール卿は田中殿に、直接お会いして謝罪したい、と」
俺はガリオさんを見た。
ガリオさんが深く頷いた。
「会え、田中」
「ガリオさん」
「ジルベールは父親と違って、温厚な男だ。事件には関係していない」
「……知ってるんですか」
「Aランク冒険者として、何度か依頼を受けたことがある」
「……」
「謝罪を受けてやれ」
俺はゆっくり頷いた。
「分かりました」
午後。
王宮の応接室に、若い男が訪れた。
歳は二十代後半。白い肌に整った顔立ち。
でもその顔は、どこか疲れていた。
【鑑定】が走った。
【ジルベール・ヴィッセル(28歳)】
職業:ヴィッセル家・暫定当主
状態:深い後悔と謝罪の意志
備考:父親の独善的行動に長年反対していた人物。
善良で、温厚な性格。
……あ。
ガリオさんの言う通り、悪い人じゃない。
むしろ苦労してきた人の顔だ。
ジルベール卿は応接室に入るなり、深く頭を下げた。
「田中一郎殿」
「あ、はい」
「父が貴殿に対しておこなった、非礼の数々——」
彼は深く深く頭を下げた。
「ヴィッセル家の長男として、心よりお詫び申し上げます」
「……」
「私自身も、父の独善的な振る舞いには長年反対してまいりました」
「ジルベールさん」
「ですが、止められませんでした」
「……」
「私の力不足です」
ジルベール卿は自分を責めていた。
俺は彼の前に座った。
しばらく無言の時間が流れた。
「ジルベールさん」
「はい」
「お顔を上げてください」
「ですが」
「俺は、お父様の罪をあなたに被せる気はありません」
「……」
「人はそれぞれ、別の人格です」
俺の言葉に、ジルベール卿がゆっくり顔を上げた。
その目には涙が浮かんでいた。
「田中殿」
「はい」
「私、王宮で貴殿の評判をよく耳にいたします」
「ああ、そうなんですか」
「料理だけではなく、人間性が素晴らしい、と」
「……それは過大評価です」
「いえ」
ジルベール卿は深く息を吐いた。
「父が貴殿を敵に回したのは、致命的な判断ミスでした」
「……」
「貴殿のような方を味方につけられなかったことは、ヴィッセル家にとって大きな損失でした」
「ジルベールさん、過剰な表現です」
「いえ、これは私の本心です」
「……」
「貴殿の料理を、食べてみたい」
彼はまっすぐ俺を見た。
「以前から噂を聞いて、興味を持っておりました」
「俺の料理を」
「はい」
「……」
「もちろんお願いとしてです。父のような強要ではありません」
ジルベール卿は静かに、丁寧に頭を下げた。
「お時間が許せば、で結構です」
俺はしばらく考えた。それから頷いた。
「分かりました。今日の夕食をご一緒に」
「……ありがとうございます!」
ジルベール卿の目から涙が溢れた。
俺は彼を見て、ふと思った。
この人は、料理が目的じゃない。
たぶん、心の傷を癒したいだけなんだ。
父親の悪行に苦しんで、自分を責め続けてきた。
そんな彼を料理で少しでも楽にできるなら。
それが料理人の仕事だ。
夕食の時間。
俺はジルベール卿のために、特別な一皿を用意した。
『ル・オニオンと白身魚のコンソメ仕立て』。
優しい味わい。心をほぐす料理。
ジルベール卿は最初、緊張した面持ちでスプーンを取った。
一口すすった。
彼の目がゆっくり潤んだ。
「……」
「お口に合いましたか」
「田中殿」
「はい」
「私、母を思い出しました」
「お母様」
「私の母も——優しい味のスープをよく作ってくれました」
彼の声は震えていた。
「父と結婚する前、母は平民だったのです」
「そうなんですか」
「父との政略結婚で、貴族社会に入った母は」
「……」
「貴族のしきたりに馴染めず、私が十歳の時に亡くなりました」
「……」
「父は、母を軽んじていました」
「……」
「だから私は、母の味を忘れたくなくて——」
ジルベール卿は涙を拭った。
「父に隠れて、母の作った料理を覚えました」
「……」
「でも、貴殿の作るこのスープは——」
「はい」
「母の優しさを超えています」
「……」
「父がこんな料理を知っていたら——」
彼は深く息を吐いた。
「もう少し優しい人になれたかもしれません」
俺は何も言えなかった。
ジルベール卿は静かにスプーンを置いた。
そして深く深く頭を下げた。
「田中殿」
「はい」
「お願いがあります」
「なんなりと」
「父の罪は、私が引き受けます」
「ジルベールさん」
「ですが、これからのヴィッセル家を、私は変えたい」
「……」
「武力で政争をするのではなく」
「はい」
「人を温める家に、したい」
彼の目は決意に燃えていた。
「ですので、貴殿にお願いがあります」
「はい」
「定期的に、私に料理を教えていただけませんか」
「……」
「私は料理人になる気はありません」
「はい」
「でも、料理を知ることで——」
「人が、わかる」
俺は思わず言葉を引き取った。
ジルベール卿が目を見開いた。
「……はい」
「同じ考えです」
「はい」
「俺、ジルベールさんに料理を教えます」
「!」
「いつかあなたが、ヴィッセル家をちゃんと立て直せるように」
俺は頭を下げた。
ジルベール卿が震える手で、俺の手を握った。
「ありがとうございます」
「料理人として、当然のことです」
「貴殿は料理人を超えていらっしゃる」
「いえ、ただの料理人です」
「……」
「料理ができるなら、十分です」
俺は笑顔で頷いた。
ジルベール卿は何度も頭を下げて、応接室を後にした。
彼の足取りは来た時より、ずっと軽くなっていた。
応接室の扉が閉まった後。
ガリオさんがぼそっと呟いた。
「田中、お前」
「はい」
「敵を味方にする才能、半端ねぇな」
「敵を味方に、ですか」
「ヴィッセル家、最大の敵対派閥が、お前の料理一つで味方になった」
「……」
「これ、王宮の政治、根本から変わるぞ」
「……ガリオさん、大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃない」
ガリオさんがにやりと笑った。
「お前は料理人だ。でも結果的に、王国の政治を動かしてる」
「俺、料理しかしてませんけど」
「だから、すごいんだよ」
俺は深くため息をついた。
料理人としてできることを、しているだけ。
でもなぜか結果的に、世界が動いていく。
不思議な感覚だった。
その夜。
俺はレイナとシャルロッテ王女とリエラさんと、四人で王宮の庭を散歩していた。
月明かりが優しく降り注いでいた。
「師匠」
「はい、王女殿下」
「リエラさんと、お母様のお話を聞きました」
「ええ」
「美しいお話ですわ」
「……」
「私も、お母様に料理を作ってあげたかった」
王女がぽつりと呟いた。
リエラさんが優しく、王女の手を握った。
「殿下」
「はい」
「お料理はいつでも、亡き方に届きますわ」
「……」
「『美味しいなぁ』と空に向かって言うだけで、ちゃんと聞いていてくださいます」
王女が目を潤ませた。
「リエラさん」
「はい」
「あなたは、優しい方ですね」
「私も、母を十年放っておいた罪深い人間ですわ」
「いえ」
王女が首を振った。
「あなたは、やっと気づいた」
「……」
「気づいて、戻る勇気を持った」
「……」
「それは罪じゃありません。むしろ勇気です」
王女の言葉に、リエラさんが静かに頭を下げた。
「ありがとうございます、殿下」
二人の女性が握手を交わした。
王族の王女と、平民の料理人。
でも二人の間には、もう身分の壁はなかった。
レイナが隣で微笑んだ。
「綺麗ね」
「はい、本当に」
「師匠の料理が、人を繋いでいる」
「……」
「あなたの料理は、本当にすごい」
「俺、料理しかしてませんよ」
「だから、すごい、って言ってる」
「……」
俺は視線を夜空に向けた。
星々が煌めいていた。
異世界の月。異世界の星。
でも俺はもう、ここで生きている。
料理人として、誰かの心を温めながら。
それが俺の、生きる意味なのかもしれない。
俺は深く息を吐いた。
王都での滞在も、そろそろ終わりに近づいていた。
ベラ亭に戻る日が近い。




