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廃業料理人、異世界の『毒』を喰らう ~『鑑定』スキルで気付いたら、この世界の食材ぜんぶ俺のご馳走でした~  作者: 生クリーム王子


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第16話 王女の、初めての料理

 お披露目会の翌朝。

 俺は王宮の厨房に立っていた。

 隣には、エプロン姿のシャルロッテ王女。

 紫のドレスの上に、真っ白な新品のエプロンをぎこちなく結んでいる。

「師匠、このエプロン、結び方、合ってる?」

「ちょっと緩いですね」

「どうすれば」

「こう、蝶結びをしっかり」

 俺は手を伸ばして、彼女のエプロンの紐を、きゅっと締め直した。

 王女がぴくり、と肩を揺らした。

「……!」

「あ、すみません、失礼しました」

「い、いえ、別に問題ありません」

 王女が少しだけ頬を赤らめた。

 でもすぐに、真剣な表情に切り替えた。

「師匠、今日は何から教えてもらえますか」

「そうですね」

 俺は厨房を見回した。

 昨日のお披露目会で、俺は王妃のレシピを『推測』で再現した。

 だからこそ王女の願いを、今日、叶えてあげたかった。

 亡くなった母親と同じ味を、王女自身の手で作れるように。

「今日は、玉ねぎスープからにしましょう」

「……玉ねぎスープ」

「はい」

「亡き母の、味、ですわね」

「はい」

 王女は深く息を吐いた。

 それからまっすぐに俺を見つめた。

「私、上手くできる自信はありませんの」

「大丈夫ですよ」

「でも、失敗したくない」

「最初は誰でも失敗しますから」

「……そうですわね」

 王女が恥ずかしそうに微笑んだ。

 俺は厨房の棚からル・オニオンを取り出した。

 昨日、キャラメリゼに使ったのと同じ最高級の素材。

「まず、皮を剥きます」

「はい」

「包丁は、これを使ってください」

 俺はグスタフさんに用意してもらった、王女用の小さめの包丁を渡した。

 王女がその柄をぎこちなく握った。

「……重い」

「慣れないうちは、そう感じます」

「これで切れるの?」

「はい、素材は柔らかいですから」

 俺は王女の横に立って、実演してみせた。

 ル・オニオンの皮を、するりと剥く。

 左手の親指を、包丁の背に添える。

 優しく押さえる。

 ス、と刃が滑る。

 切り口からふわりと甘い香りが立った。

 王女が目を輝かせた。

「……すごい」

「慣れれば、誰でもできます」

「本当に?」

「はい。やってみてください」


 王女がおっかなびっくり、ル・オニオンの皮を剥き始めた。

 手つきは、生まれて初めてナイフを握る子どものようだった。

 包丁が傾く。皮が厚く切れる。

 途中でナイフの動きが止まる。

 ……うん、完全に初心者だ。

 でも、それでいい。

 誰だって最初はそこから始まる。

「師匠、皮、厚く切れちゃいました」

「大丈夫です。後で中身を使えるので、問題ないですよ」

「……ほんとに?」

「はい」

「これ、持って帰って、捨てないことにするの?」

「王女殿下、この世界では食材を無駄にするのは、一番の罪ですよ」

「……」

「特に、素材を育ててくれた農家さんに失礼です」

 王女が、はっ、と息を呑んだ。

 何かに気付いたような顔で、手元のル・オニオンを見つめた。

「私、今まで、食材を『当たり前に出てくるもの』だと思ってた」

「はい」

「残したり、捨てたりしていた」

「はい」

「……王族の恥ですわね」

「いえ、知らなかっただけです」

 俺は穏やかに答えた。

「今日、気付けばいいんですよ」

「……」

 王女は何度か頷いた。

 そして静かに、ル・オニオンの皮剥きを再開した。

 さっきよりも少しだけ丁寧な手つきだった。

 素材を大切にしようとする手つき。


 皮剥きが終わると、今度は切る作業。

 王女が包丁を慎重に構えた。

「力は、要らないんですよね?」

「はい。親指で軽く押さえるだけです」

「こう?」

 王女が包丁をル・オニオンに当てた。

 ス、と刃が入った。でも途中で止まった。

 繊維が硬くて切れない。

「あ、あれ?」

「力、入れすぎです」

「え?」

「優しく、ですよ」

 俺は王女の手の甲に、そっと自分の手を添えた。

 王女の肩がまた、びくり、と跳ねた。

 俺は構わず、手を優しく下に導いた。

「ほら、こうです」

 ス、と刃が滑った。

 ル・オニオンが綺麗に二つに分かれた。

 王女が目を丸くした。

「……切れた」

「切れました」

「こんなに軽く」

「力じゃないんですよ」

 俺は手を離した。

 王女が自分の手をじっと見つめた。

 それから俺の顔を見上げた。

「師匠」

「はい」

「もう一度、同じように、教えて」

「いいですよ」

 俺はもう一度、王女の手の甲に手を添えた。

 今度はちょっと違った。

 王女が俺の手を、しっかり受け入れていた。

 そして二人でゆっくり、包丁を滑らせた。

 ス、ス、ス。

 ル・オニオンが薄く均一に切られていく。

「……気持ち、いい」

 王女がぽつりと呟いた。

「切るのが、ですか?」

「ええ。こんなに静かに切れるの、知らなかった」

「料理は、意外と静かな作業なんですよ」

「……そうね」

 王女の声が穏やかになった。

 俺は手を離して、一歩下がった。

「後は、自分でやってみてください」

「はい」

 王女は集中して切り始めた。

 さっきよりも、ずっと滑らかな手つき。

 これが、呑み込みの早さというやつか。

 さすが王族。

 ……いや、違うかもしれない。

 たぶん、『母の味を再現したい』という強い意志が、彼女を動かしている。

 料理に向き合う理由が明確な人は、成長が早い。

 前世で、親父がそう言っていた。


 その時だった。

 厨房の扉が、ガチャリと開いた。

 入ってきたのは——レイナだった。

 今日は毒師ギルド総帥の、深紅のドレス姿。

 腕組みをして、まっすぐ俺たちを見た。

「師匠」

「あ、レイナさん」

「私、ちょうどお茶を淹れに来たの」

「お茶、ですか」

「ええ」

 彼女はそう言いながら、俺と王女の距離をじっと見ていた。

 俺は少しだけ身を引いた。

 王女がすかさず反応した。

「あら、レイナさん。ご一緒にどうですか」

「いえ、遠慮しておきますわ」

「そう、ですか」

「でも、師匠の指導は独占しないでくださいね」

「独占していませんわ」

「そう、なの?」

「私は弟子として、教えを受けているだけ」

 王女がにっこりと微笑んだ。

「あなたと同じですわよ」

 ……うわ。

 レイナの眉がぴくり、と動いた。

 でも、彼女はすぐに冷静を取り戻した。

「そうね。弟子、同士」

「ええ」

「お互い、師匠の邪魔はしないように」

「もちろん」

 二人の視線が火花を散らした。

 俺はごくり、と唾を飲んだ。

 カインさんが厨房の隅で、真顔で呟いた。

「田中殿」

「はい」

「ハーレム、難易度、上昇中です」

「カインさん、それはハーレムじゃないですって」

「私の辞書では、これはハーレムです」

「……」

「一緒にいる女性がお互い火花を散らす現象は、定義上、ハーレムです」

「暗殺者の辞書、怖い」

 カインさんが静かに頷いた。

 ガリオさんが厨房の入り口から、顔を覗かせた。

「おい田中」

「はい」

「飯、できたか」

「まだです」

「早くしろ」

「ガリオさん、指導中です」

「分かった」

 ガリオさんはあっさり引いた。

 でも、去り際にぼそっと言った。

「……田中、すげぇな。女二人、同時指導、だもんな」

「指導です」

「そういうことにしとこう」

 俺はため息をついた。

 厨房での集中が、完全に乱れた。

 でも王女は気にしていないようだった。

 むしろ少し楽しそうに、ル・オニオンを切り続けていた。


 一時間後。

 王女の玉ねぎスープが完成した。

 少しだけ味が濃い。塩を入れすぎたらしい。

 でも十分、美味しいレベルには達していた。

 初めてにしては、大成功と言える。

 王女は完成したスープをじっと見つめた。

 それから銀のスプーンを取った。

 震える手で一口、味見した。

 ——時間が止まった。

 王女の紫の瞳がゆっくり潤んだ。

 でも昨日と違って、笑っていた。

 涙は溢れなかった。

 代わりに穏やかな微笑みが、口元に広がった。

「……ほぼ、母の味ですわ」

「塩分、多めですけどね」

「知ってますわ。でもお母さまも、ちょっとしょっぱめがお好きでしたの」

「そうなんですか」

「ええ」

 王女はもう一口飲んだ。

 そして静かにスプーンを置いた。

 俺の方を見上げた。

 紫の瞳がまっすぐに俺を射抜いた。

「師匠」

「はい」

「私、今日、一生忘れない日になりました」

「……」

「自分の手で、お母さまの味を作れた」

「はい」

「この感動、ずっと覚えていたい」

 俺は頭を下げた。

「料理人として、そう言ってもらえるのが一番嬉しいです」

「師匠」

「はい」

「ありがとうございました」

 王女が深く頭を下げた。

 王族の彼女が、一介の料理人に頭を下げた。

 俺は何も言えなかった。

 ただ、料理人でいられてよかったと思った。


 そんな場面を見ていたレイナが、ぽつりと呟いた。

「……ずるい」

「え?」

「師匠、私にもそんな瞬間、作って」

「もう作りましたよ、ベラ亭で」

「あ」

「忘れたんですか」

「……忘れてない」

「ですよね」

「でも、王女、羨ましい」

 レイナが珍しく唇を膨らませた。

 その顔があまりにも子供っぽくて——俺は思わず笑ってしまった。

「レイナさん」

「はい」

「また一緒に料理、しましょうね」

「……うん」

 レイナが素直に頷いた。

 王女がその様子を見て、ふふ、と笑った。

「師匠、本当に罪作りな方ですわね」

「え」

「知らない方がいい、ですわ」

 王女は意味深に微笑んで、言わなかった。

 俺は首を傾げた。

 カインさんが厨房の隅で、真剣な顔でメモを取っていた。

「カインさん、何書いてるんですか」

「……師匠のハーレム、観察記録です」

「やめてください、それ」

「暗殺者時代の習慣で」

「暗殺者時代の観察眼を、そんなことに使わないで」

 俺は深くため息をついた。


 厨房の窓の外に、王都の青空が広がっていた。

 昨日のお披露目会から、まだ一日も経っていないのに。

 俺の周りには、もう三人の女性がいた。

 レイナ、シャルロッテ王女、そして、まだ直接会ってないけど、ベラさんも俺を息子のように見ていた。

 これはたぶん、『ハーレム』というやつなのかもしれない。

 でも、俺はあくまで料理人だ。

 誰かを選ぶ、なんて考え、全くなかった。

 美味しいメシを作れれば、それが一番幸せ。

 それだけだった。

 ただ——

 隣で穏やかに微笑んでいる、レイナとシャルロッテを見ていると。

 心の奥が、じんわり温かくなる。

 その温かさがなんなのか。俺にはまだわからなかった。

 でも今は、それでいい気がした。

 俺はそっと火を落として、厨房の片付けを始めた。

 今日もいい一日が終わっていった。

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