第15話 お披露目会、毒入りワインと、隣に立つ女
翌朝、俺は王宮の厨房に立っていた。
グスタフさんが、昨日とはまるで違う態度で俺を迎えた。
「田中殿、今日の品書き、いかがされますか」
敬意のこもった落ち着いた声。
一夜にして、呼び方が「お前」から「田中殿」に変わっていた。
一晩で何があったのか、聞くのが怖い。
たぶん、グスタフさん自身の中で何かが変わったのだろう。
俺は素直に頭を下げた。
「グスタフさん、今日はご協力いただけますか」
「もちろん、お供いたします」
「ありがとうございます」
「田中殿の下で、学ばせてください」
グスタフさんが真面目な顔で頭を下げた。
……四十年のベテランが、俺の下で、学ばせてください。
この世界、なんなんだ。
でも嫌な気はしなかった。
むしろこういう料理人と一緒に厨房に立てるなら、心強い。
「じゃあ、今日のコース、考えますね」
俺は頭の中で組み立て始めた。
ヴィッセル家の招待を断った翌日の、貴族お披露目会。
来るのは、王家寄りの貴族、ヴィッセル派の貴族、中立派の貴族。
つまり、敵と味方と傍観者、全員が揃う。
料理で、全員を黙らせる必要がある。
……やるしかない。
俺はル・オニオンを手に取って笑った。
「グスタフさん」
「はい」
「この素材だけで、三品、作ります」
「三品、ですか」
「同じル・オニオンから、前菜、メイン、デザートまで」
グスタフさんが目を見開いた。
「……ル・オニオンで、デザート?」
「ええ」
「無茶、ではございませんか」
「無茶じゃないです」
俺は断言した。
「素材のポテンシャルを完全に引き出せば、できます」
グスタフさんはしばらく俺を見つめた。
それから深く頷いた。
「——お任せいたします」
午後。
王宮の大広間に、二十名ほどの貴族が集まっていた。
全員、華やかな礼服。
金、銀、宝石——宝石店が丸ごと移動してきたような、きらびやかさ。
アルフォンス王子とシャルロッテ王女が上座に座っていた。
俺は厨房側の扉から、そっと様子を覗いた。
……うわ、怖そうな顔ばっかりだ。
特に、中央のテーブルに座っている一人の男。
【鑑定】が走った。
【クラウド・ヴィッセル(54歳)】
職業:ヴィッセル侯爵家当主
状態:敵意あり・観察中
備考:王子派と対立する旧家の筆頭。
昨夜、田中一郎の招待を断られた当人。
……ヴィッセル侯爵、本人まで来てる。
恰幅のいい白髪の男。高級そうな紫のローブに金の刺繍。
指には、大きなルビーの指輪。
静かに俺の方を睨んでいた。
ガリオさんが隣でぼそっと呟いた。
「田中」
「はい」
「今日のお披露目、あいつにとっては、お前を潰す最後のチャンスだ」
「やっぱり」
「何かしてくる。覚悟しろ」
「はい」
レイナも静かに頷いた。
「私が横にいるから」
「はい」
カインさんは毒味役として、俺の隣に控えていた。
グスタフさんが、ぐっと腕をまくり上げた。
「では田中殿、始めましょう」
「はい」
最初に出したのは、前菜。
ル・オニオンを薄切りにして軽く焼き、メルゼのオイルと微量の塩で仕上げた、シンプルな一皿。
一口サイズ。まるで小さな飴玉のような見た目。
貴族たちが一瞬、首を傾げた。
「これは……?」
「前菜、と伺いましたが」
「ただの玉ねぎでは……?」
ざわめきが広がった。
俺は黙って頭を下げた。
アルフォンス王子がにっこり微笑んで、一口食べた。
——。
彼の目が大きく見開かれた。
「……これは」
王子の呟きが広間に響いた。
「信じられない」
隣のシャルロッテ王女も食べた。
彼女は目を閉じて味わってから、小さく言った。
「——繊細な甘みとオイルの香りが、完璧に調和している」
その言葉に貴族たちが、次々と前菜を口に運んだ。
一人が固まる。二人が固まる。
三人目で、ヴィッセル侯爵の周りの男たちまで固まった。
「な、なんだ、この旨味」
「ル・オニオンだけでこんな味に……」
「素材の質が違うのか?」
俺の隣でグスタフさんが、静かに頷いた。
「いいえ、素材は王宮で普段出しているものと同じです」
「なら、何が……」
「田中殿の腕です」
グスタフさんが誇らしげに言った。
広間が静かになった。
ヴィッセル侯爵だけが、小さな前菜を口に含んだまま無表情を保っていた。
続いて、メイン。
ル・オニオンのコンソメスープ。ただし普通のコンソメじゃない。
俺は三日かけて抽出した、極上のダシを使った。
レッドローズ草を完全処理したダシ。
一般的には『毒』とされる素材から、極限まで旨味だけ抜き取った、至高の一杯。
深い琥珀色のスープ。
貴族たちの前に順番に置かれた。
一口。二口。
三口目で、何人かの貴族が目を潤ませていた。
「……なんだ、これ」
「私、今まで何を食べていたんだ」
「これがコンソメなのか……」
貴族たちの反応は素直だった。
権威も立場も関係なく、皆ただ美味しい、と呟いていた。
ヴィッセル侯爵も一口飲んだ。
その眉がわずかに動いた。
でもすぐに彼は無表情を取り戻した。
そして、隣に控えていた執事に小声で何か囁いた。
執事が頷いた。
……あ。
ガリオさんの肩がぴくり、と反応した。
「田中」
俺は小さく頷いた。
たぶん、これが『仕掛け』だ。
俺は厨房に戻って、デザートの準備を始めた。
デザート。ル・オニオンのキャラメリゼ。
糖度八倍のル・オニオンを、極限まで弱火でじっくりキャラメル色になるまで炒めたもの。
仕上げに蜂蜜をほんの少し垂らした。
それを白い皿に盛り、生クリームを添える。
……前世のフレンチのデザートに近いかもしれない。
玉ねぎをデザートにするのは、地球でも珍しいことじゃない。
でもこの世界では、誰も知らないはずだ。
広間に運んだ。
貴族たちが皿を見て、一斉にざわつき始めた。
「これ、デザートなのか?」
「見た目は綺麗だが……」
「また玉ねぎ?」
疑いの視線が俺に突き刺さった。
その中で。
ヴィッセル侯爵が初めて口を開いた。
「田中、殿」
彼の低い声が広間に響いた。
「はい」
「デザートまで玉ねぎで通されるとは」
「はい」
「……貴族の舌を嘗めているのか?」
ざわ、と広間が凍った。
嘲りの混じった声。誰もが息を詰めた。
俺は侯爵の目をまっすぐ見た。
「いえ、嘗めておりません」
「ならば」
「このデザートは、王妃様が生前愛された料理を思い出しながら、作りました」
——。
広間が静まり返った。
シャルロッテ王女の肩が、ぴくりと跳ねた。
アルフォンス王子の目が鋭く光った。
ヴィッセル侯爵の顔が強張った。
「王妃様、だと」
「はい」
「貴様、王妃様にお会いしたことがあるのか」
「ありません」
「ならば、なぜ——」
「生前の王妃様が、ル・オニオンを甘いデザートにすることをお好みだった、と聞いたからです」
広間が再び凍った。
それは、嘘だった。
俺は王妃様のことを何も知らない。
知っているのは、昨日、王女が玉ねぎスープを食べて泣いていたということ。
レイナから、王妃様と王女の思い出の料理が玉ねぎスープだった、ということ。
それだけだった。
でも俺は料理人として、知っていた。
母から娘に受け継がれる味、というものがある。
そしてその味は、必ずシンプルで温かいものだ。
玉ねぎの甘さで作るデザート。
たぶん、王妃様は知っていたはずだ。
シャルロッテ王女が震える手でスプーンを取った。
一口食べた。
瞬間——彼女の紫の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「……お母さま」
彼女の震える声。
「この味、お母さまが私の誕生日に作ってくださった味、だわ」
「!」
「レシピは王妃様だけがご存知で、他の料理人には伝えられなかったはずの」
王子が静かに俺を見た。
「田中殿」
「はい」
「貴殿は、本当に王妃のレシピを知らないのか」
「……推測、です」
「推測」
「料理人としての直感です」
王子がしばらく俺を見つめた。
それからふっと笑った。
「なるほど」
彼は自分の分のキャラメリゼを、一口食べた。
しばらく沈黙。
それから深く息を吐いた。
「——母上の味だ」
その一言に、広間が完全に凍った。
ヴィッセル侯爵が青ざめた。
「殿下、そ、それは……」
「間違いないな」
王子が静かに言った。
「田中殿は王妃を知らないにもかかわらず、母の味を再現した」
「……」
「これを『偶然』だと思うか、侯爵」
「……」
「いや、『偶然』であるはずがない」
王子が立ち上がった。
その青い瞳が静かな怒りで光っていた。
「これは料理人の本物の才能だ」
静かな声だった。
でもその声には、有無を言わせない迫力があった。
ヴィッセル侯爵は何も言えなかった。
ただ俯いて、黙っていた。
その時だった。
俺の【鑑定】が自動で走った。
【貴族Cのワイングラス】
内容物:
・通常ワイン
・『虹蛇草』の抽出液(致死量の1.5倍)
症状:服用15分後に心臓停止。
……。
広間の一人の貴族のワイングラスに、毒が仕込まれていた。
【鑑定】はその毒を混ぜた人物まで特定していた。
『ヴィッセル侯爵の執事』。
そして毒を盛られた貴族は——王子だった。
俺の心臓が跳ねた。
隣のレイナも気付いたらしい。彼女の表情が一瞬で険しくなった。
「——殿下ッ」
俺は叫んだ。
「そのワイン、飲まないでください!」
広間中の視線が、一斉に俺に集まった。
王子がワイングラスを手に取ったまま、動きを止めた。
「田中殿、これは——」
「毒です、殿下」
俺ははっきりと言った。
「虹蛇草の抽出液、致死量の1.5倍」
広間が騒然となった。
ヴィッセル侯爵の顔が一瞬で白くなった。
カインさんが素早く王子のワイングラスを取り上げた。
匂いを嗅いだ。
「……確認しました。田中殿の仰る通りです」
カインさんの宣告に、貴族たちが悲鳴に近い声を上げた。
王子がゆっくり立ち上がった。
そしてヴィッセル侯爵を見た。
「——侯爵」
「殿下、私は何も——」
「毒を仕込んだのは、貴殿の執事だ」
王子の声は冷たかった。
「田中殿の【絶対鑑定】が特定している」
「そ、そんな証拠が——」
「証拠はいらん」
王子が手を挙げた。
近衛騎士たちが音もなく、侯爵とその執事を取り囲んだ。
「ヴィッセル侯爵、クラウド・ヴィッセル、貴殿を王族暗殺未遂の容疑で、身柄を拘束する」
「殿下、おまちを——!」
侯爵の叫びが大広間に響いた。
でもそれはもう、届かなかった。
騎士たちが侯爵と執事を連行していった。
広間の貴族たちは、完全に青ざめていた。
俺はふう、と息を吐いた。
レイナが隣で、俺の腕にそっと触れた。
「さすがね、一郎」
「……何もしてません」
「してるわよ」
レイナが微笑んだ。
「あなたは、王子の命を救った」
「……」
「そして、王妃の遺志も繋いだ」
俺は何も言えなかった。
ただ、胸が熱くなった。
ふと、シャルロッテ王女を見ると。
彼女は泣きながら笑っていた。
両手でスプーンを握りしめて、キャラメリゼを一口ずつ大切そうに食べていた。
その涙が、笑顔の頬を伝っていた。
俺は静かに頭を下げた。
料理人として、やるべきことはやった。
ただ、それだけだった。
その夜。
王宮の広間で、正式な宣言が出された。
「田中一郎殿を、王家の【特別料理顧問】として、正式に任命する」
アルフォンス王子の声が響いた。
貴族たちが一斉に頭を下げた。
……特別料理顧問。
何、そのポスト。
俺は目を白黒させた。
ガリオさんが後ろでぼそっと呟いた。
「田中」
「はい」
「宮廷のお偉いさんになっちゃったな」
「なっちゃいましたね」
「……一日で」
「一日、ですね」
「ベラさん、腰抜かすぞ」
「抜かさないでほしいです」
王子が俺の肩に手を置いた。
「田中殿、改めて礼を言う」
「……いえ」
「貴殿は私の命の恩人だ」
「たまたまです」
「『たまたま』で人は王族を救えん」
王子がふっと笑った。
「貴殿は面白い男だな」
「ありがとうございます、たぶん」
「料理を続けてくれ」
「もちろんです」
俺は頭を下げた。
王宮での最初の大仕事が——こうして終わった。
ただ、俺にはもうわかっていた。
この出来事は終わりじゃない。
これから、もっと色々なことが起きる。
でも、それでも。
俺は厨房に立ち続けるだけだ。
料理人として、できることをするだけだ。
それが俺の覚悟だった。




