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廃業料理人、異世界の『毒』を喰らう ~『鑑定』スキルで気付いたら、この世界の食材ぜんぶ俺のご馳走でした~  作者: 生クリーム王子


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第14話 王宮の夜、貴族たちのざわめき

 王子との食事会が終わった後。

 俺たちは王宮の客室に案内された。

 客室、というより、もはや一つのフロア全体が俺たちに割り当てられていた。

 寝室、応接間、書斎、さらには専用の浴室まである。

 ベラ亭の三部屋分くらいの広さが、寝室一つに充てられていた。

「……ガリオさん」

「なんだ」

「俺、なんでこんな待遇なんですか」

「殿下が気に入ったってことだろうな」

「気に入りすぎじゃないですか」

「王族の『気に入った』は、庶民の『気に入った』と重みが違うんだ」

 ガリオさんは慣れた様子でソファに座り、靴を脱ぎ始めた。

 カインさんは入り口の近くに立って、部屋全体を見回している。

 ……警戒している。元・暗殺者の癖が抜けない。

「カインさん、座ってくださいよ」

「いえ、夜番です」

「王宮の中ですよ」

「王宮の中こそ、油断できません」

 彼は本気の顔で言った。

 ガリオさんがため息をついた。

「まあ、カインに任せておけ。こいつが夜番なら、俺は爆睡できる」

「助かります」

 レイナは既に自分の部屋に入っていた。

 女性用の部屋は別に用意されていた。

 王女の気遣いかもしれない。それとも単に王宮の慣例か。

 どちらにせよ、ありがたかった。

 俺はソファに深く腰を沈めた。

 一日の疲れが、どっと押し寄せてきた。

 ……慣れない場所は、疲れる。


 窓の外を見ると、王都の夜景が広がっていた。

 石畳の道が街灯に照らされて、柔らかく光っていた。

 ベラ亭のあるオルバの街とは、まったく違う光景。

 規模も華やかさも、比べものにならない。

 でも——

 俺はふと、ベラさんの顔を思い出した。

 今頃、ベラ亭の厨房で、ベラさんは一人で夕食の仕込みをしているはずだ。

 ちょっと、帰りたくなった。

 ……いや、まだ仕事は始まったばかりだ。

 俺はそっと首を振った。

「田中」

 ガリオさんが静かに声をかけてきた。

「はい」

「明日は、少し本格的な仕事になる」

「仕事?」

「王子が貴族連中を集めて、お前の料理をお披露目する、って話だ」

「……え」

「言ってなかったか、ダミアンは」

「言ってませんでした」

 俺は頭を抱えた。

 貴族たち相手のお披露目。

 絶対、面倒なことが起きる展開だ。

「田中、覚悟しろ」

「はい」

「貴族ってのは、面倒くせぇ生き物だ」

「でしょうね」

「特に頭の固い連中は、田舎の料理人、ってだけで舐めてかかってくる」

「……」

「王女と王子がお前を気に入ってる、って話が広まれば、嫉妬と敵意も湧いてくる」

「楽しみですね」

「皮肉、上手くなってきたな」

 ガリオさんがにやりと笑った。

 俺はため息をついた。

 宮廷の貴族たち。正直、面倒だった。

 でも料理人として、やることは変わらない。

 素材に真剣に向き合って、美味しいものを作るだけだ。

 それだけだ。


 そろそろ寝るか、と思ったその時。

 部屋の扉がトントン、と控えめにノックされた。

 カインさんが即座に反応した。

「どなたです」

「……ヴィッセル家使者でございます。田中一郎殿に、謁見のお願い、上申いたしたく」

 外から、若い男の声。

 カインさんが振り返って俺を見た。

「田中殿、どうします」

「……誰なんですか、ヴィッセル家って」

 ガリオさんが低く唸った。

「旧家の名門、ヴィッセル侯爵家、だ」

「名門」

「……厄介だな。断るのも受けるのも、面倒だ」

 ガリオさんが少し考えてから言った。

「カイン、扉を開けてくれ。一度、話だけ聞こう」

「了解」

 カインさんが慎重に扉を開けた。

 廊下に立っていたのは、二十代半ばくらいの執事風の男だった。

 痩せ型で、白い手袋に黒い燕尾服。

 彼は俺の姿を確認すると、深く頭を下げた。

「田中一郎様に拝謁の栄を賜り、恐悦至極」

「……えっと、何の用で」

「我が主、ヴィッセル侯爵家当主、クラウド・ヴィッセル侯爵より、田中殿にご招待のお手紙を預かっております」

 執事が懐から金色の封筒を差し出した。

 封蝋は猪の紋章。ヴィッセル家の紋章なのだろう。

「……ガリオさん」

「どうした」

「これ、受け取っていいんですかね」

「内容による」

「読んでいいですか」

「ああ」

 俺は封を切った。

 中には高級な羊皮紙の手紙が入っていた。

 手紙の内容は簡潔だった。


田中一郎殿


明日、我が屋敷にて、

小規模な、食事会を、開催いたします。


貴殿の、噂高き、料理を、

是非、我が家の、客人たちに、披露いただきたく。


報酬として、金貨百枚、用意いたしております。


クラウド・ヴィッセル


 ……金貨、百枚。

 【鑑定】によれば、安宿で三万泊できる金額。

 ……は?

 俺は思わず目を疑った。

 ガリオさんが手紙を覗き込んで、深くため息をついた。

「田中、これは罠だ」

「え」

「絶対、行くな」

「え、え」

「これ、お前に『宮廷外の貴族を選ぶ』選択をさせるための、試験みたいなもんだ」

「……」

「王子がお前を王宮に連れてきた翌日にこんな招待が来るのは、偶然じゃない」

「……」

「ヴィッセル家は、アルフォンス王子と対立してる派閥だ」

「……敵の招待、ですか」

「そういうことだ」

 俺は執事を見た。

 執事は完璧な無表情で、俺の返事を待っていた。

 俺は深く考えて、言った。

「執事さん」

「はい」

「大変ありがたいお話ですが、お断りいたします」

 執事の眉がピクリと動いた。

「……理由を伺っても?」

「俺は料理人です。依頼者を選ぶ権利があるので」

「……」

「今回は既に、王子殿下から依頼を受けております」

 俺はきっぱりと頭を下げた。

「お気持ちはありがたく頂戴いたします」

 執事はしばらく無言だった。

 それからゆっくり頭を下げた。

「承知いたしました」

 彼は手紙を回収することなく、踵を返した。

 静かに廊下を去っていった。

 カインさんがそっと扉を閉めた。

 ガリオさんが、ふう、と息を吐いた。

「上出来だ、田中」

「褒めてもらえます?」

「お前、あの執事の雰囲気、感じただろう」

「はい。正直、怖かったです」

「あの執事、あれでもかなりの腕利きの暗殺者だぞ」

「……え」

「お前が断らなかったら、道中で事故に見せかけて殺される可能性もあった」

「……マジですか」

「マジだ」

 俺はソファの背に頭を預けた。

 異世界、怖い。貴族社会、怖い。

 でもなんとなく、わかっていた。

 料理人として、『誰のための料理か』を決めるのは自分だ。

 それだけは譲っちゃいけない気がした。


 カインさんが呟いた。

「田中殿、今の判断は正解でした」

「はい」

「あのヴィッセル家は、宮廷内で最も陰険な家柄です」

「知ってるんですか、カインさん」

「……過去に仕事で関わったことがあります」

「……」

「あの家の食事会は、毒殺の温床です」

「温床」

「これまで五人の賓客が、原因不明で死んでいます」

「それ、もう温床じゃなくて発生源、ですよね」

「……そう言われれば」

 カインさんは真顔のまま頷いた。

 ガリオさんがソファから立ち上がった。

「とにかく今夜は警戒だ。カイン、扉の見張り、よろしく」

「了解」

「田中、お前は寝ろ。明日に備えろ」

「はい」

 俺は頷いて寝室に向かった。


 寝室のふかふかの羽毛布団に潜った。

 ベラ亭の固い藁のベッドとは、比べ物にならない寝心地。

 でも、なんだか落ち着かなかった。

 豪華すぎて、体が拒否反応を起こしている。

 俺は天井をじっと見つめた。

 明日のお披露目。貴族たち。ヴィッセル家の暗殺者。

 色々考えていたら、全く眠れる気がしない。

 そう思って寝返りを打ったその時。

 寝室の扉が静かにノックされた。

 コン、コン。小さな音。

 ……誰だ。

 警戒しながら、扉を開けた。

 立っていたのは——レイナだった。

 寝間着姿。薄い白いシルクのガウンを羽織っていた。

 銀髪が肩に流れていた。

 俺は思わず固まった。

 ……綺麗だ。

 いや、それ以前に、何しに来た、この人。

「……レイナ、さん?」

「師匠」

「はい」

「お邪魔してもいい?」

「え、え、ええと」

 俺は戸惑った。

 男の部屋に、女性が夜に訪ねてくる。

 前世でも今世でも、初めてのシチュエーション。

 どう対応したらいいのかわからない。

 でもレイナの目が真剣だった。

 俺は覚悟を決めて頷いた。

「……どうぞ」

 レイナは静かに部屋に入ってきた。

 扉を閉めた。鍵はかけなかった。

 ちょっと安心した。


 レイナはベッドの端に静かに腰掛けた。

 俺も少し離れた位置に腰を下ろした。

 しばらく沈黙が落ちた。

 窓の外、月明かりが部屋を淡く照らしていた。

「……あなた、今日、すごかったわね」

 レイナが静かに口を開いた。

「え?」

「王女の心を殴りつける、って比喩、大袈裟じゃなかった」

「そうですかね」

「本当は、あの子、二年、人を寄せ付けなかったの」

「……」

「王妃様が亡くなってから、王宮の誰にも心を開かなかった」

「レイナさん、王女とお知り合いなんですか」

「ええ、幼少期から」

 彼女は懐かしそうに目を細めた。

「毒師ギルド総帥の娘時代。何度か王宮に招かれたの。王妃様は毒を好む方ではなかったけど、毒師ギルドを尊重してくださった」

「……そうですか」

「当時、王女はまだ十五歳くらいだった」

 レイナの声は穏やかだった。

「明るくて、好奇心旺盛で、王妃様に甘えるのが大好きな子どもだった」

「……」

「王妃様が亡くなって、王女は変わったわ。気まぐれで、わがままで、冷たい『王女らしい王女』に」

「……それで、今日」

「ええ。あなたがあの子を元に戻した」

 レイナが俺をまっすぐ見た。

「たった一杯のスープで」

「……俺、何もしてません」

「あなた、いつもそう言うわね」

 彼女がふっと笑った。

 その笑顔が月明かりに照らされて——俺は思わず視線を逸らした。

 綺麗、すぎる。

「師匠」

「はい」

「ありがとう」

「え、なんで」

「あなたの料理のおかげで、王女がまた笑うようになった」

「……」

「私の大切な幼なじみを救ってくれて、本当にありがとう」

 レイナがゆっくり頭を下げた。

 俺は慌てて手を振った。

「いや、あの、頭、上げてください、レイナさん」

「……」

「俺、ただ料理をしただけで」

「それが全てだ、って分かって言ってる」

 レイナが顔を上げた。瞳が潤んでいた。

「あなたは、それが全てだ、って気付かずにやる」

「……」

「だから、あなたはすごい」

 俺は何も言えなかった。

 ただ、胸が温かくなった。

 レイナはふと、俺の手に自分の手をそっと重ねた。

「師匠」

「は、はい」

「明日、絶対、一緒にいるから」

「……」

「貴族たちがどんな意地悪をしても、私が守る」

「ありがとうございます」

「私の師匠を、絶対に傷つけさせない」

 彼女の声は優しかった。

 でも、その奥に確かな強さがあった。

 毒師ギルド総帥、レイナ・ヴェル・モルガナート。

 大陸最高位の毒術師。

 彼女が俺を守ると言った。

 これ以上の用心棒はないだろう。

 ガリオさんもカインさんも強い。

 でもレイナはまた別の強さを持っていた。

 俺は深く頭を下げた。

「よろしくお願いします、レイナさん」

「うん」

 レイナはそっと立ち上がった。

 扉の手前で振り返って、一言、呟いた。

「おやすみなさい、一郎」

「……」

 初めて、名前で呼ばれた。

 俺は返事ができなかった。

 レイナは静かに部屋を出ていった。

 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


 俺はベッドに倒れ込んだ。

 天井を見つめて、ぼんやり考えた。

 「一郎」。

 ずっと「師匠」や「田中」と呼ばれていたのに。

 ……いや、深く考えるのはやめよう。

 レイナの優しさだ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 俺は目を閉じた。

 眠りは意外に早く訪れた。

 明日のお披露目に備えて——俺は深く深く眠った。

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