第11話 王都からの招集状
第一章が一段落して一週間が経った頃。
ベラ亭の入り口に、見慣れない男が立っていた。
白銀の甲冑。胸に輝くオーランド王家の紋章。
明らかに普通の客じゃない。
食堂の常連客たちがざわっと静まり返った。
ベラさんが厨房の奥からちょこちょこと俺の服を引っ張った。
「田中さん、田中さん」
「はい」
「あの方、あの方……!」
「わかってます、見ればわかります」
王家の使者。しかも結構な位の騎士らしい。
【鑑定】が勝手に走った。
【ダミアン・ロートレック(32歳)】
職業:王国近衛騎士団 第三席
状態:正式な使者として派遣
備考:アルフォンス第一王子の信任厚し。
任務:田中一郎を王都へ招集する。
……はい?
王子? 直々? 王都?
俺は厨房の奥でため息をついた。
ガリオさんが「だから言ったろ」という顔で肩をすくめた。
「田中、出ていけ。俺がついていく」
「ガリオさん」
「お前の用心棒だ。こういう時のためだ」
頼もしい。昨日辞職届を出したばかりなのに早速仕事をしてくれている。
俺はエプロンを外して食堂に出た。
「田中一郎、殿」
騎士の男——ダミアンは俺の姿を見て深く頭を下げた。
いや、むしろ俺より丁寧な、膝を折るような正式な礼。
「王家の使いでまいりました」
「は、はい」
「王国第一王子、アルフォンス・ヴァン・オーランド殿下より招集状をお預かりしております」
ダミアンは巻物の封筒をうやうやしく差し出した。
金色の封蝋。王家の紋章。
開けるのが怖い。
隣のガリオさんがそっと小声で言った。
「読め、田中」
「俺が読んでいいんですか?」
「宛名、お前だぞ」
……。
震える手で封を切った。中身を読んだ。
親愛なる、田中一郎殿へ。
貴殿の作る『玉ねぎスープ』の噂は、
遠く王都にも届いております。
是非、王宮にて、その手技を、披露いただきたく。
つきましては、七日後の、月が中天に昇る頃、
王都オーランド王宮へ、お越しいただきたく存じます。
身辺の警護については、
当方にて責任を持って、お手配いたします。
アルフォンス・ヴァン・オーランド
(追記:私個人として、貴殿のスープを、
心から、楽しみに、しております)
……。
俺は巻物を静かに閉じた。
ダミアンがじっと俺の返事を待っている。
隣のガリオさんが深く息を吐いた。
「田中」
「はい」
「断れないぞ、これ」
「でしょうね」
「王子直々の招集だ。断れば不敬罪になる」
「ですよね」
「受けろ」
ガリオさんが静かに頷いた。
「どっちにしろ遅かれ早かれこうなる運命だった」
「……そうですか」
「俺がついてく。カイン、レイナも連れていけ」
「ガリオさん、毒師ギルド総帥を王宮に連れていくのは——」
「大丈夫だ」
ガリオさんがニヤリと笑った。
「毒師ギルドは王国と友好関係にある。表向きな」
「表向き、って」
「レイナ本人と王室の仲はそんなに悪くない。何度か顔を合わせたことがあるはずだ」
「……そうなんですか」
「ついてきてもらえば、逆に護衛として最高だ」
俺はダミアンに頭を下げた。
「承知いたしました。七日後、王都へ参上いたします」
「ご英断、ありがとうございます」
ダミアンはもう一度深く頭を下げて、颯爽と宿屋を後にした。
彼の姿が消えた瞬間、食堂中の客が一斉に俺を見た。
「王子の、招集……?」
「あの料理人、そんな人だったの?」
「まあ、玉ねぎスープ食べれば納得するよな」
ざわめきが広がった。
俺は肩をすくめた。
「とりあえずお客さん、食事続けてください」
「あ、はい!」
「ベラさんのパイが冷めます」
ざわめきが少しだけ収まった。店の空気が少しだけ戻った。
ベラさんが呆然と厨房で固まっていた。
「うちの看板料理人が……王宮に……」
「ベラさん、気をしっかり」
「あぁぁ、田中さん、やっぱりすごい方だったんですねぇぇ……」
「いや、別にすごい料理人じゃ——」
「すごい! すごいですよぉ!」
ベラさんが両手で俺の手を握った。
「お気に入りの看板料理人が王子様に招かれるなんて、宿屋の一生の自慢ですぅぅ!」
「泣かないでください、ベラさん」
「泣きませんっ、今日はっ、誇らしい涙ですぅぅぅ!」
ベラさんがボロボロ泣いた。
……今日も泣くんじゃないか。
ベラさんの涙の蛇口はだいぶ緩くなっている。
その夜。
宿屋の奥の食堂で。
俺、ガリオさん、レイナ、カインの四人がテーブルを囲んでいた。
「王都か」
レイナが静かにワインを一口すすった。
「懐かしいわね。五年行ってない」
「レイナさん、王都と関係あるんですか?」
「毒師ギルドの本部は王国南部だけれど、王室との取引で何度か王宮に出入りしたことがあるわ」
「毒師ギルドと王室の関係って」
「友好関係よ。基本的には」
「基本的に、って」
「たまに王室の暗殺依頼を受けるけど」
「……」
「過去の話、過去の話」
レイナがにこり、と微笑んだ。目が笑ってない。
……怖い。
ガリオさんが深くため息をついた。
「大丈夫か、本当に」
「大丈夫よ。アルフォンス第一王子には恩があるの」
「恩?」
「三年前、私が王都で別件の工作中にちょっとしたトラブルに巻き込まれて——」
「……」
「第一王子が裏で解決してくれた」
「王子、あなたのこと知ってるってことですか?」
「ええ。むしろ懇意の仲」
「……」
「だから、あなたが王子に会う時、私が横にいれば話が早いわ」
レイナが意味深に笑った。
なんかすごい人脈なんだな、この人。
毒師ギルドの総帥って伊達じゃないんだな。
ガリオさんがさらにため息をついた。
「俺、Aランク冒険者なんてただのお飾りだったんだな、と思えてきた」
「ガリオさんの戦闘力は本物です」
「慰めてくれるな、田中」
「本気ですよ」
俺の言葉にガリオさんがちょっとだけ目を細めた。
「お前、そういうとこ、本当に」
「なんですか」
「いや、なんでもねぇ」
ガリオさんはぼそり、と呟いてワインを飲み干した。
カインさんが真顔で口を開いた。
「田中殿」
「はい」
「王宮では毒味役がつきますが」
「そうなんですか」
「俺が務めます」
「えっ」
「毒味役は元・暗殺者の適任職です」
「その発想、おかしくないですか」
「毒の判別なら俺の十六年の経験が生きる」
「生きてほしくないキャリアだ」
俺が突っ込むと、カインさんは真顔のまま頷いた。
「ただし田中殿の料理は毒ではないから、毒味役は実質、味見役です」
「カインさん、それが本音ですね?」
「……俺は田中殿の料理を毎日食べたい」
「素直ですね」
一同が笑った。
レイナがふっ、と微笑んだ。
「カイン、あなた、ずいぶん可愛くなったわね」
「総帥にそんなこと言われる日が来るとは」
「だからレイナって」
「……レイナさん」
カインさんが少し照れたように視線を逸らした。
俺はテーブルの上の食器を見ながらぼんやり考えていた。
一週間後、王都。
王子。貴族。宮廷料理人。
スケールがどんどん大きくなっている。
でも不思議と怖いとは思わなかった。
たぶんそれはこのテーブルを囲んでいる三人が——いてくれるからだ。
ガリオさん、カインさん、レイナ。
不思議な仲間だった。
料理人、暗殺者、毒師ギルド総帥、Aランク冒険者。
前世の田中食堂にこんな仲間はいなかった。
俺はワインを一口すすった。
温かい気持ちがこみ上げてきた。
……異世界、悪くない。
何度この言葉を思ったかわからないけど、今夜も素直にそう思えた。
翌日から準備が始まった。
ベラさんに一週間の休みをもらった。
カインさんとレイナで移動の手配。
ガリオさんが衣装を選んでくれた。
Aランク冒険者ならではの王宮マナーの知識を俺に叩き込んだ。
「いいか田中。王宮ではまず右足から歩み出す」
「右足から」
「左膝を軽く曲げる」
「左膝」
「王族に視線を合わせすぎない」
「合わせない」
「声は低めにゆっくり話す」
「ゆっくり」
「俺の下で二日、特訓だ」
「はい」
我ながら真面目に特訓を続けた。
料理人としての姿勢は悪くなかったらしい。
ガリオさん曰く「不細工な所作じゃない」そうだ。
褒められているのかどうかわからない評価だった。
レイナは王宮で着るローブを準備してくれた。
深緑の上質な布地。シンプルな刺繍。
貴族じゃない、料理人の立場にふさわしい格式だった。
「あなた、これを着て」
「ありがとうございます」
「似合うはずよ」
「自信ないです」
「……ふふ、大丈夫。私が保証する」
レイナがそっと微笑んだ。
その微笑がいつもより少しだけ柔らかく見えた。
俺は視線を逸らした。なんか、くすぐったかった。
そして七日後。
俺たちはオルバの街を出発した。
馬車は三頭立て。御者はダミアン。
ベラさんと他の宿屋の客たちが総出で見送ってくれた。
「田中さーん、元気で帰ってきてくださいねぇぇぇ!」
「はい!」
「お土産、忘れずにぃぃぃ!」
「……お土産」
「いえ! いいんです! 無事であれば!」
ベラさんの涙と手の振りが、街の門までずっと続いた。
俺は窓から手を振り返した。
馬車が街を離れていく。石畳が砂利道に変わっていく。
遠ざかるベラ亭の看板。
「田中」
隣でガリオさんが呟いた。
「はい」
「お前、この世界で何がしたい?」
「……え?」
「突然だが、聞いておきたいと思ってな」
俺は少し考えた。そして答えた。
「ずっと厨房にいたいです」
「うん」
「田中食堂の名前、いつかこの世界にも建てたいです」
「それは王都編の後か」
「たぶん、そうなります」
「なるほど」
ガリオさんが満足そうに頷いた。
「じゃあ俺は、そのためにお前のケツを持つ」
「よろしくお願いします」
俺はもう一度、窓の外の空を見上げた。
王都までは馬車で三日の旅路。
新しい章の幕が開けようとしていた。




