第9話 毒師ギルド総帥、初の『おかわり』をする
レイナが弟子入りして、初日の朝。
俺は厨房に立って、不思議な光景を眺めていた。
カインさんとレイナ。
元・暗殺者と、その上司だった毒師ギルド総帥。
この二人がエプロンを着けて、ル・オニオンの皮を剥いている。
……なろう小説でも、なかなか見ないシュール絵面だ。
「カイン、このル・オニオンの皮の剥き方——」
「総帥、今は『レイナ』で」
「そうね。ごめんなさい」
「それに、皮剥きなら俺の方が先輩だ。見て」
カインさんが真顔で、自分のル・オニオンを差し出した。
一糸乱れぬ、完璧な剥き方だった。
レイナが目を見開いた。
「……二日で、ここまで」
「暗殺者の手だ。繊細な作業は得意だ」
「認めるわ。あなた、筋がいい」
「ありがとうございます、総帥」
「だからレイナでいいって言ってるでしょう」
「……申し訳ありません、レイナさん」
「うん、それでいい」
この二人、ちょっとだけ先輩後輩の空気が出始めている。
俺は黙って、二人の仕事を見守っていた。
ベラさんが厨房の入り口から、うっとりと眺めていた。
「あぁぁ、なんだかお弟子さんたちが真剣で、素敵です……」
「ベラさん、また泣かないでくださいね」
「泣かないです、さすがに今日は」
「ならよかった」
ベラさんのメンタル、三日目にして安定してきた。
この人、適応力が異常に高い。
宿屋の女将、あなどれない。
レイナの手がふと止まった。
「田中」
「はい」
「あなたの手の動き、さっきから見ていたのだけれど」
「はい」
「なぜ左手の親指を、いつも包丁の背に添えているの?」
俺はちょっと驚いた。
誰かにこの動きを指摘されたのは、親父以来だ。
「……よく気づきましたね」
「手元は、戦いでも料理でも読むものだから」
「物騒な理由だ」
「結果はどうあれ、観察眼は活きるでしょう?」
レイナがそう言って、少しだけ得意げに笑った。
俺はため息混じりに答えた。
「力の逃がし方、ですよ」
「力の、逃がし方?」
「ル・オニオンは柔らかい。親指で軽く押さえるだけで、包丁が滑り込む。力入れすぎると繊維が潰れて、甘みが減るんです」
「……」
「甘みを逃がさない持ち方、なんです」
レイナがじっと俺の手を見つめた。
そしてゆっくり、自分のル・オニオンに向き合い直した。
親指を包丁の背に添える。優しく押さえる。
ス、と刃が滑る。
切り口からふわりと甘い香りが立った。
レイナが息を呑んだ。
「——違う」
「違いますか?」
「違う。切った時の音が違うの」
「よくわかりますね、それ」
「毒師は、音でも素材を読むのよ」
レイナがそう言って、自分の切ったル・オニオンを、信じられないものを見る目で眺めた。
「十年、毒の素材を切ってきた」
「はい」
「でもこんな音、聞いたことがなかった」
「料理の音は、殺す音じゃないですからね」
「……」
俺は何気なく言ったつもりだった。
でもレイナの目が、静かに潤んだ。
「……そうね」
彼女はぽつりと頷いた。それ以上は何も言わなかった。
ただル・オニオンを、一つ、また一つと丁寧に切り続けた。
その手はさっきまでの、戦うための手じゃなかった。
……うん。
この人はちゃんと料理人になれる、と思った。
昼の営業が始まった。
今日の賄いは、レイナの『初めての料理』になる予定だった。
「レイナさん、最初は簡単なやつで——」
「私、玉ねぎスープを作りたいの」
「え」
「あなたが昨日、作っていたもの」
「……いきなり、本命ですか」
「できそうにない?」
「いや、できますよ」
俺は肩をすくめた。
ちなみにレイナさん。
昨日、自分の人生の半分を無駄だったと涙した人が、今日、目がキラキラしている。
回復、早い。
毒師ギルド総帥、メンタル、タフだ。
「じゃあ、教えますね」
「お願いします、師匠」
……師匠。
俺、人生で初めて、師匠と呼ばれた。
しかも大陸最高位の毒師から。
なんだこれ、くすぐったい。
でも嫌いじゃない、この感覚。
「まず、ル・オニオンを弱火で、飴色になるまで」
「弱火、どの程度?」
「表面が焦げない、が最低ライン」
「焦げる、は、料理としては失格よね」
「失格です」
「毒としては『炭化』は表面処理の一環として有効なのだけれど」
「料理では、違います」
「わかったわ」
レイナは真剣に頷いた。
この人、本当に真面目だ。
ちょっと好感が持てる。
料理人として、教え甲斐がありそうだ。
ただし教えるうちに、俺はあることに気付き始めた。
レイナさん、手先が異常に不器用——ではない。
でも、何かがずれている。
ル・オニオンを炒めながら、レイナが手を止めた。
「師匠」
「はい」
「……これ、本当に、毒、入ってない?」
「入ってないです」
「おかしいわ」
「何がですか」
「匂いが甘すぎる。これは——おびき寄せる類の毒の香り」
「それが普通です。玉ねぎって、そういうものなんです」
俺は少しだけ頭を抱えた。
レイナの脳内が、十年の毒師人生で、完全に毒ベースに作り変わっている。
甘い匂い=誘引毒、と認識してしまう。
料理人としての価値観を、一から叩き直す必要があった。
「レイナさん」
「はい」
「甘い匂いは、『美味しいぞ』っていう、食材からのメッセージです」
「メッセージ……」
「毒じゃなくて」
「毒じゃ、ない」
レイナが復唱した。
「食材は、美味しく食べてもらうために香りを出してるんです」
「…………」
レイナの目が、何かを噛み締めるように閉じられた。
そしてゆっくり口を開いた。
「師匠」
「はい」
「私、これまで世界を、毒の目でしか見ていなかったのかもしれない」
「うん、そうかもしれないですね」
「……」
「でも、今日から違いますよ」
俺はニッと笑って、彼女の鍋を見つめた。
「これ、食材からの手紙ですから」
レイナがもう一度、鍋を覗き込んだ。
飴色にゆっくりと変わっていくル・オニオン。
ふわり、と甘い香り。
彼女はそっと、鍋に鼻を近づけた。
目を閉じた。
何かを深く吸い込むように。
「……優しい匂い」
呟いた声は、本当に微かだった。
俺はそっと視線を逸らした。
大陸最高位の毒師が、玉ねぎを炒める匂いを『優しい』と表現した。
この瞬間を、ベラさんが号泣しながら見ていなくてよかったと、心から思った。
完成したレイナの初・玉ねぎスープ。
少しだけ甘さが強すぎた。
ル・オニオンをちょっと炒めすぎたせいだ。
でも、飲める。普通に美味しいレベルには達していた。
初めてにしては上出来だった。
俺は一口すすってから、満面の笑みで言った。
「美味しいです」
レイナが固まった。
「……本当に?」
「本当です。甘みがちょっと強いですが、これは味の個性です。レイナさんのスープです」
「私の、スープ……」
「ベラさん、ガリオさん、カインさんにも振る舞いましょう」
「で、でも、私の初めて作ったもので」
「レイナさん、料理の一番のご褒美、なんだと思ってます?」
「……わからない」
「『美味しい』って言ってもらうこと、ですよ」
俺は肩をすくめた。
レイナが息を呑んだ。
ゆっくりと顔に血が上った。
「……わかった」
彼女は決意した顔で頷いた。
そしてベラさんの元へ、そっと皿を運んだ。
食堂のカウンターで、ベラさんはレイナの差し出したスープをじっと見つめた。
「これは……?」
「私が、作りました」
「総帥が?」
「……レイナ、でいいわ」
「レイナさんが、ですか?」
「ええ」
ベラさんがスプーンを取った。
一口。しばらく黙った。
次の瞬間、ベラさんの目から涙が、ぽろっ、と零れ落ちた。
「……ベラさん、泣かないでって、昨日、言ったでしょ!」
「だ、だってぇぇ……」
「どうして泣くの」
「美味しい、ですぅぅ……!」
レイナの肩がぴくり、と跳ねた。
ベラさんは涙と鼻水を同時に垂らしながら、両手でスプーンを握りしめた。
「ホントに美味しいですよぉ、レイナさぁん……!」
レイナが口をぽかんと開けた。
それからじんわりと、目頭を押さえた。
「……そう」
彼女の声がかすかに震えていた。
「そう、ありがとう」
レイナが俯いた。
隣でガリオさんが、ぶっきらぼうに言った。
「うめぇな、これ」
「え、が、ガリオさんまで」
「不味かったら不味いって言うぜ、俺は」
ガリオさんがもう一口すすった。
「上等だ。毒師の姉ちゃん、料理人の才能、あるぞ」
「……ありがとうございます」
レイナが静かに頭を下げた。
カインさんはただ一言、言った。
「——総帥、おかわり、もらえますか」
「カイン」
「はい」
「あなた、また『総帥』って言ってるわよ」
「……申し訳ございません、レイナ先輩」
「先輩じゃなくて、名前でいいわ。前もそう呼んでたでしょう」
「……レイナ」
「はい」
レイナはカインのおかわりを、大切そうによそった。
その手が少しだけ震えていた。
俺は黙って厨房に戻って、鍋を片付け始めた。
涙が出そうだったから、誰にも顔を見られたくなかった。
その日の夕方。
レイナは一日、ずっと厨房に立ち続けていた。
玉ねぎスープを二十回作り直した。
最後の一杯で、俺に言った。
「師匠」
「はい」
「今日、私、生まれて初めて、誰かに『美味しい』って言われたわ」
俺はゆっくり頷いた。
「二十四年生きてきて、初めてよ」
「そうですか」
「人を殺す方法なら、何百も知っている」
「……」
「でも、人に『美味しい』って言わせたことは、一度もなかった」
「……それは、これからいくらでもありますよ」
「そう、かしら」
「料理人、続ける限り、毎日ですよ、レイナさん」
レイナがふっ、と笑った。
「じゃあ、続ける」
「はい」
「一生、ね」
俺の心臓がぴくり、と跳ねた。
……いや。
これは料理を続けるって話であって。
ほら、主人公無自覚の、あれですよ、俺、そういうタイプだから。
でもベラさんが、厨房の入り口で両手を組んでニヤニヤしていた。
ガリオさんが奥の席で、ぼそっ、と呟いた。
「……これ、俺、仕事辞めてお前の下に転がり込んだ方が、人生、面白そうだな」
「え」
「いや、なんでもねぇ」
「ガリオさん、独り言、全部聞こえてますよ」
「独り言じゃねぇ。宣言だ」
「宣言なの!?」
ガリオさんがニカッと笑った。
まだ詳細は言ってくれなかった。
でも、何かが動き始めている予感。
俺はため息をつきながら、火を落とした。
今日もいい一日だった。
その夜。
レイナは寮の自分の部屋で、一人、日記を開いていた。
羽ペンをインクに浸す。
今までの日記は、すべて毒の実験結果と、ターゲットの情報だった。
でも今日の日記には、こう書いた。
『【本日の記録】
ベラさんが、私のスープで泣いた。
カインが、おかわりを頼んできた。
ガリオさんが、褒めてくれた。
田中一郎は、私を見て笑っていた。
——私は今日、生まれたのだと思う』
レイナはインクが乾くのを待ってから、そっと日記を閉じた。
窓の外、月が静かに輝いていた。
レイナ、初めての料理回でした。
次話、いよいよ第1章の締めくくりが近づきます。
お気に入り登録・評価、お願いいたします!




